全訳全注『孟子』朱子注 離婁上

7 離婁章句上 章番号 1 章通し番号 62
本文訳
  孟子は言う。
  離婁のように目がよく見えても、公輸子のように細工に巧みでも、円や四角をつくる道具を使わなければ、円や四角をつくることはできない。師曠しこうのように耳がよくても、竹管を使わないと音の調律はできない。堯舜の道は法度はっとを用いて天下を治める。今、仁の心、仁の評判があるのに、民は恩沢を受けていないし後世の範とすることができない。先王の道を行なわないからだ。だから言う。善の心だけでは政をするのに不足である。法だけでも政をすることはできない。詩経に言う。「過ちがない。欠けている所もない。古い法典に因り、古い法典に従っている。」先王の法に従いあやまったことは今まで一度もない。聖人は目の働きを尽して、さらに定規、コンパス、水準器を作り、直線、四角、円、水平をつくるようにした。それでいくらでも直線、四角、円、水平をつくることができる。耳の働きを尽し、さらに調律器で音を正した。それでいくらでも音を正すことができる。心を尽し、さらに人をそこなうのが忍べない法度をつくった。それで仁は天下をおおう。だから言う。高いものを作るには、丘陵の上に作る。低いものを作るには川や沢のある低い所に作る。政をするのに先王の道によらないと、智と言えようか。
  仁者だけが高位におるべきである。不仁な者が高位におれば、悪を衆にまくことになる。上は義と理を考えることがない。下は法を守ることがない。朝廷にいる者は道を信じていない。民は法を信じていない。高位の者は義を犯し、民は法を犯す。これで国が滅びないのは幸運である。だから言う。城壁が完備していない、武器が多くないことは、国の災いでない。田野が開発されていない、財貨が集まらないのは、国を害するものでない。上の者に道理がなく、下の者が道理を学ぶことがなければ、賊民が起こる。滅ぶのに日を待たない。
  詩経に言う。「天はまさに国をくつがえそうとしている。泄泄えいえいと怠慢し悦従すること無かれ。」泄泄えいえい沓沓とうとうのようなもので怠慢し悦従するさまある。君に仕えて義がない、進退に礼がない、言えば先王の道を謗るのは、詩経の言う怠慢、悦従のようなものだ。だから言う。人が君に言いにくいことを言って君を正すのは、恭と言う。善を言って君の邪心を防ぐのは敬と言う。自分の君はできないと言うのは賊と言う。

   通し番号 378 章内番号 1 章通し番号 62 識別番号 7_1_1
本文
  1孟子曰、2離婁之明、3公輸子之巧、4不以規矩、5不能成方員、6師曠之聰、7不以六律、8不能正五音、9堯舜之道、10不以仁政、11不能平治天下、
1 mèng zǐ yuē 、2 lí lóu zhī míng 、3 gōng shū zǐ zhī qiǎo 、4 bù yǐ guī jŭ 、5 bù néng chéng fāng yuán 、6 shī kuàng zhī cōng 、7 bù yǐ liù lǜ 、8 bù néng zhèng wŭ yīn 、9 yaó shùn zhī daò 、10 bù yǐ rén zhèng 、11 bù néng píng zhì tiān xià 、
  孟子曰く、離婁りろう(1)明、公輸子の巧、(2)規矩きく以てせざれば、(3)(4)えんを成すこと能わず、師曠しこう(5)そう(6)六律以てせざれば、(7)五音ごいんを正すこと能わず、堯舜の道は、仁政以てせざれば、天下を(8)平治すること能わず
(1)明: よく見える  見人所不見、謂之明(人の見ざる所を見る、之を明と謂う) 通し番号668-17朱注に「有物必有法、如有耳目、則有聰明之德、有父子、則有慈孝之心(物有れば必ず法有り、耳目有れば、則ち聡明の徳有り、父子有れば、則ち慈孝の心有るが如し)」とある。
(2)規矩きく: 円や四角をつくる道具(朱注) 通し番号391-2に「規矩、方員之至也(規矩は、方えんの至りなり)」とある。
(3)方: 四角 正方形  正曰方(正は方と曰う) 方者中矩(方はあたる) 通し番号300-39朱注に「買田一方(田一方を買う)」とある。
(4)えん: 円 員、通圓(員、円に通ず) 通し番号382-2に「繼之以規矩準繩、以爲方員平直(之にぐに規矩準じょうを以て、以て方えん平直をつくる」とある。
(5)そう: 耳がさとい  耳徹爲聰(耳とおるは聡と爲す)
(6)六律: 竹を切って作った竹管 五音の音程を調節する(朱注) 正確には六律は陽の六音を調節するもので、陰の六音を調節するのは、六呂りくりょと言う。六律と六呂の竹管の長さが違うため、6つずつ穴をあけて、12の音程の調節ができる。六律は黄鍾こうしょう太蔟たいそう姑洗こせん蕤賓すいひん夷則いそく無射ぶえきの六つの音程があり、六呂りくりょには、大呂たいりょ夾鍾きょうしょう仲呂ちゅうりょ林鍾りんしょう南呂なんりょ応鍾おうしょうの六つの音程がある。
(7)五音ごいん: 音を清濁高下により分類したもの。宮、商、かく、羽を五音と言う。(朱注)
(8)平治: 治める  平にも「治める」の意味がある  平、治也(平、治なり) 通し番号470-1に「君子平其政(君子其政をおさむ)」とある。 通し番号267-1に「夫天未欲平治天下也(それ天未だ天下を平治するを欲せざるなり)」とある。

朱注
  1離婁、2古之明目者、3公輸子、4名班、5魯之巧人也、6規、7所以爲員之器也、8矩、9所以爲方之器也、10師曠、11晉之樂師、12知音者也、13六律、14截竹爲筩、15陰陽各六、16以節五音之上下、17黄鍾、18太蔟、19姑洗、20蕤賓、21夷則、22無射、23爲陽、24大呂、25夾鍾、26仲呂、27林鍾、28南呂、29應鍾、30爲陰也、31五音、32宮、33商、34角、35徵、36羽也、37范氏曰、38此言治天下不可無法度、39仁政者、40治天下之法度也、
1 lí lóu 、2 gŭ zhī míng mù zhě 、3 gōng shū zǐ 、4 míng bān 、5 lǔ zhī qiǎo rén yĕ 、6 guī 、7 suǒ yǐ wéi yuán zhī qì yĕ 、8 jŭ 、9 suǒ yǐ wéi fāng zhī qì yĕ 、10 shī kuàng 、11 jìn zhī yuè shī 、12 zhī yīn zhě yĕ 、13 liù lǜ 、14 jié zhú wéi tŏng 、15 yīn yáng gě liù 、16 yǐ jié wŭ yīn zhī shàng xià 、17 huáng zhōng 、18 tài cù 、19 gū xiǎn 、20 ruí bīn 、21 yí zé 、22 wú shè 、23 wéi yáng 、24 dà lǚ 、25 jiā zhōng 、26 zhòng lǚ 、27 lín zhōng 、28 nán lǚ 、29 yīng zhōng 、30 wéi yīn yĕ 、31 wŭ yīn 、32 gōng 、33 shāng 、34 jiǎo 、35 zhēng 、36 yŭ yĕ 、37 fàn zhī yuē 、38 cǐ yán zhì tiān xià bù kĕ wú fǎ dù 、39 rén zhèng zhě 、40 zhì tiān xià zhī fǎ dù yĕ 、
  離婁、古の明目なる者なり、公輸子、名は班、魯の(1)巧人なり、規、以てえんつくる所の(2)器なり、矩、以て方をつくる所の器なり、師曠しこう、晋の(3)楽師がくしなり、音を知る者なり、六律、竹を(4)(5)とうつくる、陰陽各おのおの六、以て五音の上下を節す、黄鍾こうしょう太蔟たいそう姑洗こせん蕤賓すいひん夷則いそく無射ぶえき、陽と爲し、大呂たいりょ夾鍾きょうしょう仲呂ちゅうりょ林鍾りんしょう南呂なんりょ応鍾おうしょう、陰と爲すなり、五音、きゅうしょうかくなり、范氏曰く、此言えらく、天下を治めるは法度はっと無かるべからず、仁政は、天下を治めるの法度なり、
(1)巧人: 細工師 巧は「細工」の意味がある。
(2)器: 道具 器、所以操事(器、以て事をあやつる所なり) 通し番号672-3朱注に「蕢、草器也(あじか、草の器なり)」とある。
(3)楽師がくし: 音楽家
(4)る: 切る 断つ  截、斷也(せつ、断なり) 通し番号275-5朱注に「絶、猶截也(絶、猶せつのごときなり)」とある。
(5)とう: 竹管  筩、斷竹也(とう、断竹なり)
朱注訳
離婁は古の目がよく見えるものである。公輸子は名は班であり、魯の細工師である。規は円をつくる道具である。矩は四角をつくる道具である。師曠しこうは晋の音楽家であり、音がわかっている者である。六律は竹を切って竹管をつくり、それに陰と陽の穴を六つずつつくり、五音の上下を調節する。黄鍾こうしょう太蔟たいそう姑洗こせん蕤賓すいひん夷則いそく無射ぶえきが陽である。大呂たいりょ夾鍾きょうしょう仲呂ちゅうりょ林鍾りんしょう南呂なんりょ応鍾おうしょうが陰である。五音はきゅうしょうかくである。范氏は言う。これは、天下を治めるのは法度がなければならない、仁政は天下を治める法度であると言う。


   通し番号 379 章内番号 2 章通し番号 62 識別番号 7_1_2
本文
  1今有仁心仁聞、2而民不被其澤、3不可法於後世者、4不行先王之道也、
1 jīn yoǔ rén xīn rén wén 、2 ér mín bù bèi qí zé 、3 bù kĕ fǎ yú hòu shì zhě 、4 bù xíng xiān wàng zhī daò yĕ 、
  今(1)仁心(2)仁聞有り、而るに民其(3)沢をこうむらず、後世に於て法とすべからざるは、先王の道を行わざるなり、
(1)仁心: 人を愛する心(朱注)
(2)仁聞: 人を愛しているという評判(朱注)
(3)沢: 恩沢 澤、恩澤也(沢、恩沢なり)(通し番号256-7朱注) 通し番号566-6に「施澤於民久(沢を民に施すこと久し)」とある。

朱注
  1聞、2去聲、3○仁心、4愛人之心也、5仁聞者、6有愛人之聲、7聞於人也、8先王之道、9仁政是也、10范氏曰、11齊宣王不忍一牛之死、12以羊易之、13可謂有仁心、14梁武帝終日一食蔬素、15宗廟以麪爲犧牲、16斷死刑必爲之涕泣、17天下知其慈仁、18可謂有仁聞、19然而宣王之時、20齊國不治、21武帝之末、22江南大亂、23其故何哉、24有仁心仁聞而不行先王之道故也、
1 wén 、2 qù shēng 、3 ○ rén xīn 、4 ài rén zhī xīn yĕ 、5 rén wén zhě 、6 yoǔ ài rén zhī shēng 、7 wén yú rén yĕ 、8 xiān wàng zhī daò 、9 rén zhèng shì yĕ 、10 fàn zhī yuē 、11 qí xuān wáng bù rĕn yī niú zhī sǐ 、12 yǐ yáng yì zhī 、13 kĕ wèi yoǔ rén xīn 、14 liáng wŭ dì zhōng rì yī shí shū sù 、15 zōng miaò yǐ miàn wéi xī shēng 、16 duàn sǐ xíng bì wèi zhī tì qì 、17 tiān xià zhī qí cí rén 、18 kĕ wèi yoǔ rén wén 、19 rán ér xuān wáng zhī shí 、20 qí guó bù zhì 、21 wŭ dì zhī mò 、22 jiāng nán dà luàn 、23 qí gù hé zāi 、24 yoǔ rén xīn rén wén ér bù xíng xiān wàng zhī daò gù yĕ 、
  (1)聞、去声、○仁心、人を愛するの心なり、仁聞は、人を愛するの(2)声有りて、人に聞こえるなり、先王の道、仁政是れなり、范氏曰く、斉の宣王一牛の死を忍びず、羊以て之に(3)う、仁心有りと謂うべし、梁の武帝(4)終日に一たび(5)蔬素そそを食す、宗廟(6)めん以て犧牲と爲す、死刑を(7)断じて必ず之が爲に(8)涕泣ていきゅうす、天下其慈仁を知る、仁聞有ると謂うべし、然り而して宣王の時、斉国治まらず、武帝の末、江南大いに乱る、其故何ぞや、仁心仁聞有りて先王の道を行わざる故なり、
(1)聞、去声: 現代中国語では第二声に発音するため、第二声でピンインをつける。
(2)声: 名 誉れ  聲、名也(声、名なり) 通し番号956-19朱注に「雖不能殄絶其慍怒、亦不自墜其聲問之美(其慍怒を殄絶てんぜつすること能わずと雖も、亦自ずから其声問の美をとさず)」とある。
(3)う: 換える 交換する  換、易也(換、易なり)  通し番号873-2に「柳下惠不以三公易其介(柳下恵は三公以て其介をえず)」とある。
(4)終日: 一日 日を終えるまで 通し番号327-2に「終日而不獲一禽(終日にして一禽をず)」とある。
(5)蔬素そそ: 野菜の質素なもの  凡草菜可食者、通名爲蔬(凡そ草菜食すべきもの、通名は蔬と爲す) 凡物無飾曰素(凡そ物飾り無しは素と曰う)
(6)めん: 麦粉  麪、麥屑末也(めん、麦の屑末せつまつなり)
(7)断ず: 決める 断定する   斷、猶決也(断、猶決のごときなり) 通し番号502-11朱注に「蓋言斷之在己(蓋し之を断ずるは己に在るを言う)」とある。
(8)涕泣ていきゅう: 涙を流して泣く  涕、涙也(涕、涙なり) 通し番号406-17朱注に「故涕泣而以女與之(故に涕泣して女以て之に与う)」とある。
朱注訳
聞は去声である。仁心は人を愛する心である。仁聞は人を愛するという評判が人の間で聞こえる。先王の道は仁政である。范氏は言う。斉の宣王は一頭の牛を殺すことが忍べず、羊に換えた。仁心があると言うことができる。梁の武帝は一日に一食で野菜の粗末なものを食べた。宗廟に犠牲のかわりに麦粉をささげた。死刑を決めるとその者のために泣いた。天下はその慈愛を知っていた。仁聞があると言うことができる。しかし宣王の時斉は治まらなかったし、武帝の末には江南は大いに乱れた。どうしてか。仁心、仁聞があって先王の道を行わなかったからである。


   通し番号 380 章内番号 3 章通し番号 62 識別番号 7_1_3
本文
  1故曰、2徒善不足以爲政、3徒法不能以自行、
1 gù yuē 、2 tú shàn bù zú yǐ wéi zhèng 、3 tú fǎ bù néng yǐ zì xíng 、
  故に曰く、(1)徒善とぜんは以て政を爲すに足らず、(2)徒法は以て自ずから行うこと能わず、
(1)徒善とぜん: 心があって政がない(朱注)
(2)徒法: 政があって心がない(朱注)

朱注
  1徒、2猶空也、3有其心、4無其政、5是謂徒善、6有其政、7無其心、8是謂徒法、9程子嘗言、10爲政須要有綱紀文章、11謹權、12審量、13讀法、14平價、15皆不可闕、16而又曰、17必有關雎、18麟趾之意、19然後可以行周官之法度、20正謂此也、
1 tú 、2 yóu kòng yĕ 、3 yoǔ qí xīn 、4 wú qí zhèng 、5 shì wèi tú shàn 、6 yoǔ qí zhèng 、7 wú qí xīn 、8 shì wèi tú fǎ 、9 chéng zǐ cháng yán 、10 wéi zhèng xū yaò yoǔ gāng jì wén zhāng 、11 jǐn quán 、12 shĕn liàng 、13 dú fǎ 、14 píng jià 、15 jiē bù kĕ quē 、16 ér yoù yuē 、17 bì yoǔ guān jū 、18 lín zhǐ zhī yì 、19 rán hòu kĕ yǐ xíng zhoū guān zhī fǎ dù 、20 zhèng wèi cǐ yĕ 、
  徒、猶空のごときなり、其心有りて、其政無し、是れ徒善と謂う、其政有りて、其心無し、是れ徒法と謂う、程子嘗て言えらく、政を爲すはすべから(1)綱紀(2)文章有ることを要すべし、(3)権を謹み、(4)量を(5)つまびらかにし、法を(6)読み、価を(7)ただす、皆(8)くべからず、而して又曰く、必ず(9)関雎かんしょ(10)麟趾りんしの意有り、然る後以て(11)周官の法度を行なうべし、正に此を謂うなり、
(1)綱紀: 大綱と細則  如網罟、大繩其綱也、網目其紀也(網罟もうこの如し、大縄其綱なり、網目其紀なり 網罟:あみ)
(2)文章: 礼楽法度 『論語』泰伯19に「煥乎、其有文章(煥乎かんことして、其文章有り)」とあり、朱子は「文章、禮樂法度也(文章、礼楽法度なり)」と注す。
(3)権: 手段が常道に反して結果が道に合う  權者、反經而善也(権は、経に反して善きなり) 通し番号458-13朱注に「天下之道、有正有權、正者萬世之常、權者一時之用(天下の道は、正有り権有り、正は万世の常、権は一時の用なり)」とある。
(4)量: 制度  量、度也(量、度なり)
(5)つまびらかにする: つまびらかにする 知り尽す  審、悉也(審、悉なり)  通し番号415-3朱注に「心存、則有以審夫得失之幾(心存すれば、則ち以てその得失のつまびらかにすること有り)」とある。
(6)読む: 文章語句の意味をくみとる。  抽繹其義、蘊至於無窮、是之謂讀(其義を抽繹し、うんは無窮に至る、是を之読と謂う 蘊:奥)
(7)ただす: 正す  平、正也(平、正なり)
(8)く: 欠ける  闕、缺也(けつ、欠なり) 通し番号607-4朱注に「王公下、諸本多無之字、疑闕文也(王公の下、諸本多く之の字無し、疑うらくはけつ文なり)」とある。
(9)関雎かんしょ: 詩経の周南の最初の編名。周南は詩経の最初にあり周王朝の初めの時代の盛治の時を歌っている。周南には序があり、それに次の一文がある。 是以關雎樂得淑女以配君子、愛在進賢、不淫其色、哀窈窕、思賢才、而無傷善之心焉、是關雎之義也(是を以て関雎は淑女を得て以て君子に配するを楽しみ、愛は賢を進めることに在り、其色にみだらならず、窈窕ようとういつくしみ、賢才を思う、而して善を傷つけるの心無し、是れ関雎の義なり 窈窕:心、容貌ともに美しい女性) 
(10)麟趾りんし: 詩経の周南の最後に麟之趾という編名がある。周南には序があり、それに次の一文がある。「然則關雎麟趾之化、王者之風、繋之周公(然らば則ち関雎かんしょ麟趾りんしの化、王者の風なり、之を周公につなぐ)」とある。
(11)周官: 周礼しゅらいのこと。十三経の一つであり、『儀礼ぎらい』『礼記』『周礼』を三礼とする。 周公旦が書き残したものとされ、官制とその職掌を細かく記述している。

朱注訳
徒は空のようなものである。その心があってその政がないのを徒善と言う。その政があってその心がないのを徒法と言う。程子はかつて言う。政は綱紀、礼楽、法度が必要である。常道に反することは注意深くする、制度を詳らかにする、先王の法の意味をよくくみ取る、値段を正す、これらはどれも欠くことができない。必ず詩経の関雎かんしょ麟趾りんしの心を持って後に、周礼に書かれている法度を行なうことができる。まさにこのことである。

  現代日本は法治国家である。法律で国を治めようとしている。しかし法だけでは国は治まらない。法律的に正しくても仁愛の心がないと国は治まらない。これは一個人と接する場合も同じである。法律的に正しいことを言っても、仁愛の心で相手に接しないと相手は服さない。孟子の言うように「徒法は以て自ずから行うこと能わず」である。

   通し番号 381 章内番号 4 章通し番号 62 識別番号 7_1_4
本文
  1詩云、2不愆不忘、3率由舊章、4遵先王之法而過者、5未之有也、
1 shī yún 、2 bù qiān bù wàng 、3 lǜ yóu jiù zhāng 、4 zūn xiān wàng zhī fǎ ér guò zhě 、5 wèi zhī yoǔ yĕ 、
  詩に云う、(1)あやまらず忘れず、旧(2)章に(3)したがる、先王の法に(4)したがいてあやまつ者は、未だ之有らざるなり、
(1)あやまる: 誤る(朱注) 通し番号737-11朱注に「是以小弁之怨、未足爲愆也(是を以て小弁の怨は、未だあやまちと爲すに足らざるなり)」とある。
(2)忘れる: 落ちている 欠けている 「不愆不忘」を鄭玄は「成王之令德不過誤不遺失、循用舊典之文章(成王の令徳は過誤せず遺失せず、旧典の文章を循用す)」としており、忘は遺失にあたり、遺失は「落とす」である。
(3)章: 典法(朱注)
(4)したがう: 従う 通し番号951-11朱注に「中庸所謂率性之謂道、是也(中庸謂う所の性にしたがう之道と謂う、是れなり)」とある。
(5)したがう: 従う  遵、循也(じゅんじゅんなり)

朱注
  1詩、2大雅假樂之篇、3愆、4過也、5率、6循也、7章、8典法也、9所行不過差不遺忘者、10以其循用舊典故也、
1 shī 、2 dà yǎ jiǎ lè zhī piān 、3 qiān 、4 guò yĕ 、5 lǜ 、6 xún yĕ 、7 zhāng 、8 diǎn fǎ yĕ 、9 suǒ xíng bù guò chà bù yí wàng zhě 、10 yǐ qí xún yòng jiù diǎn gù yĕ 、
  詩、大雅仮楽の篇、愆、過なり、率、(1)循なり、章、典法なり、行う所(2)過差せず(3)遺忘せざるは、其旧典を循用するを以ての故なり、
(1)循: 従う  循、順也(循、順なり) 通し番号512-19朱注に「事物之理、莫非自然、順而循之、則爲大智(事物の理、自然に非ざる莫し、順にして之にしたがえば、則ち大智と爲る)」とある。
(2)過差: 過失  差、失也(差、失なり)
(3)遺忘: 落とす  遺、忘也(遺、忘なり) 忘、失也(忘、失なり)
朱注訳
詩は大雅の仮楽の篇である。愆はあやまちである。率は循である。章は典法である。行なう所に過ちがなく、落ちている所がないのは、古の法に従っているからである。


   通し番号 382 章内番号 5 章通し番号 62 識別番号 7_1_5
本文
  1聖人旣竭目力焉、2繼之以規矩準繩、3以爲方員平直、4不可勝用也、5旣竭耳力焉、6繼之以六律、7正五音、8不可勝用也、9旣竭心思焉、10繼之以不忍人之政、11而仁覆天下矣、
1 shèng rén jì jié mù lì yān 、2 jì zhī yǐ guī jŭ zhŭn shéng 、3 yǐ wéi fāng yuán píng zhí 、4 bù kĕ shèng yòng yĕ 、5 jì jié ĕr lì yān 、6 jì zhī yǐ liù lǜ 、7 zhèng wŭ yīn 、8 bù kĕ shèng yòng yĕ 、9 jì jié xīn sī yān 、10 jì zhī yǐ bù rĕn rén zhī zhèng 、11 ér rén fù tiān xià yǐ 、
  聖人既に目力を(1)つくし、之にぐに規矩(2)(3)じょうを以て、以て方えん(4)直をつくれば、(5)げて用うべからざるなり、既に耳力をつくし、之にぐに六律を以て、五音を正せば、げて用うべからざるなり、既に(6)心思をつくし、之にぐに人にしのびざるの政を以てす、而して仁天下をおおう、
(1)つくす: つくす  竭、盡也(けつ、尽なり) 通し番号121-26朱注に「人君但當竭力於其所當爲(人君ただ当に力を其の当に爲すべき所につくすべし)」とある。
(2)準: 水平をつくるもの(朱注)
(3)じょう: 直線をつくるもの(朱注)
(4)直: まっすぐである  直、不曲也(直、曲がらざるなり) 通し番号635-9に「其直如矢(其直は矢の如し)」とある。
(5)げて: あげて ことごとく  重物不可擧者、謂之不勝、用之不可盡者、亦言不勝(重き物ぐべからざるは、之をがらずと謂う、之を用い尽きるべからざるは、亦がらずと言う) 通し番号244-19朱注に「使其臣有能因是心而將順之、則義不可勝用矣(其臣をして能く是心に因りて将に之に順わんとすること有らしべば、則ち義げて用うべからず)」とある。
(6)心思: 目力、耳力とあり、この力は「はたらき」の意味である。心も心力としてもよかったのだろうが、心は思うものであり、思うのが心のはたらきだから心思としたのだろう。

朱注
  1勝、2平聲、3○準、4所以爲平、5繩、6所以爲直、7覆、8被也、9此言古之聖人、10旣竭耳目心思之力、11然猶以爲未足以徧天下、12及後世、13故制爲法度、14以繼續之、15則其用不窮、16而仁之所被者廣矣、
1 shèng 、2 píng shēng 、3 ○ zhŭn 、4 suǒ yǐ wéi píng 、5 shéng 、6 suǒ yǐ wéi zhí 、7 fù 、8 bèi yĕ 、9 cǐ yán gŭ zhī shèng rén 、10 jì jié ĕr mù xīn sī zhī lì 、11 rán yóu yǐ wéi wèi zú yǐ biàn tiān xià 、12 jí hòu shì 、13 gù zhì wéi fǎ dù 、14 yǐ jì xù zhī 、15 zé qí yòng bù qióng 、16 ér rén zhī suǒ bèi zhě guǎng yǐ 、
  (1)勝、平声、○準、以て(2)平をつくる所なり、縄、以て直をつくる所なり、覆、被なり、此言えらく、古の聖人、既に耳目心思の力をつくす、然れども猶以て、未だ以て天下にあまねくし、後世に及ぶに足らずと爲す、故に法度を(3)制爲せいいし、以て之に継続す、則ち其用窮まらず、而して仁の(4)おおう所のもの広し、
(1)勝、平声: 「耐える」の意味では昔は第一声に発音していたが、現在では第四声のため、第四声でピンインをつける。
(2)平: 水平  天下莫平於水、水平謂之準(天下水より平かなること莫し、水平之を準と謂う)
(3)制爲せいい: つくる
(4)おおう: おおう  通し番号529-2に「被髮纓冠而往救之、則惑也(被髮に冠をえいして往きて之をとめれば、則ちまどいなり 被髮:髮がおおう)」とある。
朱注訳
勝は平声である。準は水平にするものである。繩は直線をつくるものである。覆はおおう。次のように言う。古の聖人は目、耳、心の働きを尽したが、天下にあまねくゆきわたり、後世に及ぶのにはまだ不足であると考えた。だから法度をつくった。それで用いて尽きることがなく、仁のおおう所は広くなった。


   通し番号 383 章内番号 6 章通し番号 62 識別番号 7_1_6
本文
  1故曰、2爲高必因丘陵、3爲下必因川澤、4爲政不因先王之道、5可謂智乎、
1 gù yuē 、2 wéi gaō bì yīn qiū líng 、3 wéi xià bì yīn chuān zé 、4 wéi zhèng bù yīn xiān wàng zhī daò 、5 kĕ wèi zhì hū 、
  故に曰く、高きをつくるは必ず丘陵に因る、ひくきをつくるは必ず川沢に因る、政を爲すに先王の道に因らざれば、智と謂うべけんや(1)(乎)、
(1)乎: 反語を示す

朱注
  1丘陵本高、2川澤本下、3爲高下者因之、4則用力少而成功多矣、5鄒氏曰、6自章首至此、7論以仁心仁聞行先王之道、
1 qiū líng bĕn gaō 、2 chuān zé bĕn xià 、3 wéi gaō xià zhě yīn zhī 、4 zé yòng lì shǎo ér chéng gōng duō yǐ 、5 zoū zhī yuē 、6 zì zhāng shoǔ zhì cǐ 、7 lùn yǐ rén xīn rén wén xíng xiān wàng zhī daò 、
  丘陵本より高し、川沢本よりひくし、高下をつくる者之に因れば、則ち力を用いること少なくして功を成すこと多し、鄒氏曰く、章首り此に至るは、仁心仁聞以て先王の道を行うことを論ず、
朱注訳
丘陵はもとより高く、川沢はもとより低い。高いもの、低いものを作るには、丘陵や川沢によると、力を用いることが少なくて、功をなすことは多くなる。鄒氏は言う。この章の始めからここまでは、仁の心、仁の名があって、先王の道を行なうことを論じる。

  人間は社会の産物であり、社会の影響を受けていない人間はいない。人間は言葉を話すが、その人の生まれ育った母国の言葉、母国語を話す。ものを考える時も母国語を用いて考える。母国語はまるで自分が生来持っていたかのように思っているが、そうではなく環境が得さしめたものである。優れた人の言に親しむと、知らずに優れた人の言葉を話し、優れた人の言葉でものを考えるようになる。優れた人に親しむ環境がそうさせるのである。だから高い丘の上にものを建てることになる。当然低い土地にものを建てる人より高いものを建てることが容易である。常に優れた人に親しむことが大事である所以である。

   通し番号 384 章内番号 7 章通し番号 62 識別番号 7_1_7
本文
  1是以惟仁者宜在高位、2不仁而在高位、3是播其惡於衆也、
1 shì yǐ wéi rén zhě yí zaì gaō wèi 、2 bù rén ér zaì gaō wèi 、3 shì bō qí è yú zhòng yĕ 、
  是を以てただ仁者よろしく高位に在るべし、不仁にして高位に在るは、是れ其悪を衆に(1)くなり、
(1)く: まく  播、猶種也(播、猶種のごときなり) 通し番号670-2に「播種而耰之(種をきて之をおおう)」とある。

朱注
  1仁者、2有仁心仁聞而能擴而充之、3以行先王之道者也、4播惡於衆、5謂貽患於下也、
1 rén zhě 、2 yoǔ rén xīn rén wén ér néng kuò ér chōng zhī 、3 yǐ xíng xiān wàng zhī daò zhě yĕ 、4 bō è yú zhòng 、5 wèi yí huàn yú xià yĕ 、
  仁者は、仁心仁聞有りて能く(1)ひろめて之をみたし、以て先王の道を行なう者なり、惡を衆にくは、患を下に(2)おくるを謂うなり、
(1)ひろむ: 広める  擴、張小使大也(拡、小を張り大ならしめるなり) 通し番号168-22朱注に「孟子此章、擴前聖所未發(孟子の此章、前聖未だ発さざる所をひろむ)」とある。
(2)おくる: 贈る  貽、贈遺也(、贈遺なり)
朱注訳
仁者は仁の心、仁の名があって、それを広め満たし、先王の道を行なう者である。悪を衆にくは、災いを下に贈ることを言う。


   通し番号 385 章内番号 8 章通し番号 62 識別番号 7_1_8
本文
  1上無道揆也、2下無法守也、3朝不信道、4工不信度、5君子犯義、6小人犯刑、7國之所存者幸也、
1 shàng wú daò kuí yĕ 、2 xià wú fǎ shoǔ yĕ 、3 zhāo bù xìn daò 、4 gōng bù xìn dù 、5 jūn zǐ fàn yì 、6 xiaǒ rén fàn xíng 、7 guó zhī suǒ cún zhě xìng yĕ 、
  (1)上は(2)無きなり、下は(3)法守無きなり、(4)朝は道を信ぜず、(5)工は(6)度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は(7)刑を犯して、国の存する所は幸いなり、
(1)ここは「上は道無きなり」が上の「不仁にして高位に在る」によって起こることである。不仁者が上にいるから、義理で事物をはかることがないのである。「下は法守無きなり」は「其悪を衆にくなり」で起こることを言っている。悪を下にまき、下は法を守ることがないのである。「朝は道を信ぜず」は「上は道無きなり」を言い換えている。「上は道無きなり」とは上が義と理で考えることがないことである。朝は朝廷にいる人で、上にあたる。「工は度を信ぜず」は「下は法守無きなり」を言い換えている。「下は法守無きなり」とは百工、つまり民が法を信じないこである。「君子は義を犯し、小人は刑を犯して、国の存する所は幸いなり」は一つのまとまりである。「朝は道を信ぜず」から、「君子は義を犯す」が起こり、「工は度を信ぜず」から「小人は刑を犯す」が起こる。君子は義を犯し小人は刑を犯して国の存する所は幸いであるとする。朱子は「此六なるもの有れば、其国必ずほろぶ、其ほろびざるものは僥倖ぎょうこうのみ」とするが、「幸いなり」にかかるのは、後の二つ、あるいは後の四つだけである。「上無道揆也、下無法守也」と最初の二つには「也」がついており、ここで切れると考えるのが自然である、前の二つも「國之所存者幸也」にかかると考えるのは無理がある。
(2)道: 義と理で事物をはかりよいようにする(朱注) 朱子は揆は度であるとし、「はかる」の意味がある。 通し番号466-1に「先聖後聖、其揆一也(先聖後聖、其一なり)」とある。
(3)法守: 自ら法度を守る(朱注)
(4)朝: 朝廷にいる人 趙注は「朝廷之士、不信道德(朝廷の士、道徳を信ぜず)」としている。 通し番号246-3に「得侍同朝甚喜(侍するを得て同ちょう甚だ喜ぶ)」とある。
(5)工: もろもろの職人 民の代表としてもろもろの職人をあげているだけで、民とほぼ同じ意味  工、百工也(伊藤仁斎)
(6)度: 法(朱注) 通し番号81-15に「一遊一豫、爲諸侯度(一遊一予、諸侯の度と爲る)」とある。
(7)刑: 法  刑、法也(刑、法なり) 通し番号45-7に「刑于寡妻(寡妻に刑となる)」とある。

朱注
  1朝、2音潮、3○此言不仁而在高位之禍也、4道、5義理也、6揆、7度也、8法、9制度也、10道揆、11謂以義理度量事物而制其宜、12法守、13謂以法度自守、14工、15官也、16度、17卽法也、18君子小人、19以位而言也、20由上無道揆、21故下無法守、22無道揆、23則朝不信道、24而君子犯義、25無法守、26則工不信度、27而小人犯刑、28有此六者、29其國必亡、30其不亡者僥倖而已、
1 zhāo 、2 yīn cháo 、3 ○ cǐ yán bù rén ér zaì gaō wèi zhī huò yĕ 、4 daò 、5 yì lǐ yĕ 、6 kuí 、7 dù yĕ 、8 fǎ 、9 zhì dù yĕ 、10 daò kuí 、11 wèi yǐ yì lǐ dù liáng shì wù ér zhì qí yí 、12 fǎ shoǔ 、13 wèi yǐ fǎ dù zì shoǔ 、14 gōng 、15 guān yĕ 、16 dù 、17 jí fǎ yĕ 、18 jūn zǐ xiaǒ rén 、19 yǐ wèi ér yán yĕ 、20 yóu shàng wú daò kuí 、21 gù xià wú fǎ shoǔ 、22 wú daò kuí 、23 zé zhāo bù xìn daò 、24 ér jūn zǐ fàn yì 、25 wú fǎ shoǔ 、26 zé gōng bù xìn dù 、27 ér xiaǒ rén fàn xíng 、28 yoǔ cǐ liù zhě 、29 qí guó bì wáng 、30 qí bù wáng zhě jiǎo xìng ér yǐ 、
  朝、音は潮、○此は不仁にして高位に在るの禍を言うなり、道、義理なり、揆、度なり、法、制度なり、道揆は、義理以て事物を度量して其宜を制するを謂う、法守、法度以て自ら守るを謂う、工、官なり、度、即ち法なり、君子小人、位以てして言うなり、上は道揆無きに由る、故に下は法守無し、道揆無ければ、則ち朝は道を信ぜず、而して君子は義を犯す、法守無ければ、則ち工は度を信ぜず、而して小人は刑を犯す、此六なるもの有れば、其国必ずほろぶ、其ほろびざるものは(1)僥倖ぎょうこうのみ、
(1)僥倖ぎょうこう: 思いもかけぬ幸せ 通し番号118-13朱注に「不可僥倖而苟免(僥倖ぎょうこうにしてかりそめに免れるべからず)」とある。
朱注訳
朝は音は潮である。これは不仁な者が高位にいる禍を言う。道は義理である。揆は度である。法は制度である。道揆は、義と理でものを考慮し、よいようにすることである。法守は法度を自ら守ることを言う。工は官である。度は法である。君子小人は位で言っている。上は義と理を考えることをしない。それで下にいる者は法を守らない。義と理を考えないと、朝廷にいる者は道を信じず、位の高い者は義を犯す。法を自ら守らないと、官吏は法を信じず、民は法を犯す。この六つがあれば、国は必ず滅ぶ。滅ばないのは幸運なだけである。


   通し番号 386 章内番号 9 章通し番号 62 識別番号 7_1_9
本文
  1故曰、2城郭不完、3兵甲不多、4非國之災也、5田野不辟、6貨財不聚、7非國之害也、8上無禮、9下無學、10賊民興、11喪無日矣、
1 gù yuē 、2 chéng guō bù wán 、3 bīng jiǎ bù duō 、4 feī guó zhī zāi yĕ 、5 tián yĕ bù pì 、6 huò caí bù jù 、7 feī guó zhī hài yĕ 、8 shàng wú lǐ 、9 xià wú xué 、10 zeí mín xìng 、11 sàng wú rì yǐ 、
  故に曰く、(1)城郭じょうかくまったからず、(2)兵甲多からざるは、国のわざわいに非ざるなり、田野(3)ひらけず、貨財(4)あつまらざるは、国の害に非ざるなり、(5)上は礼が無く、下は学ぶことが無ければ、賊民興り、ほろぶこと日無し、
(1)城郭じょうかく: 城壁 内側を城、外側を郭と言う。  内曰城、外曰郭(内は城と曰い、外は郭と曰う) 通し番号775-2に「夫貉、五穀不生、惟黍生之、無城郭宮室、宗廟祭祀之禮(それ貉は、五穀生ぜず、惟きび之に生ず、城郭宮室、宗廟祭祀の礼無し)」とある。
(2)兵甲: 兵は「武器」、甲は「よろい」の意味。兵甲は人を傷つける兵(武器)と人を守るよろいを並べて戦闘の道具を示している。  兵、戈、戟、劍、矢也(兵は、ほこほこ、剣、矢なり) ほこは長い柄の先に刀をつけた武器である。戈と戟の違いは、先についている刀が一つのものが戈で、二つのものが戟である。甲、鎧(甲、鎧なり) 兵甲は兵革とも言う。通し番号205-3に「兵革非不堅利也(兵革堅利ならざるに非ざるなり)」とある。
(3)ひらく: ひらく  辟、叚借爲闢(へき、叚借してへきと爲す) 闢、開也(闢、開なり) 通し番号137-9に「地不改辟矣(地改めひらかず)」とある。
(4)あつまる: 集まる  集、聚也(集、しゅうなり) 通し番号13-21朱注に「窊下之地、水所聚也(窊下わかの地、水あつまる所なり)」とある。
(5)上が礼無し: 物の道理を考えない  上無礼は無道揆に応ず、礼は即道の節文なり(中村惕斎)節文は「ほどよく切り盛りする」

朱注
  1辟、2與闢同、3喪、4去聲、5○上不知禮、6則無以敎民、7下不知學、8則易與爲亂、9鄒氏曰、10自是以惟仁者至此、11所以責其君、
1 pì 、2 yŭ pì tóng 、3 sàng 、4 qù shēng 、5 ○ shàng bù zhī lǐ 、6 zé wú yǐ jiāo mín 、7 xià bù zhī xué 、8 zé yì yŭ wéi luàn 、9 zoū zhī yuē 、10 zì shì yǐ wéi rén zhě zhì cǐ 、11 suǒ yǐ zé qí jūn 、
  辟、闢と同じ、喪、去声、○上が礼を知らざれば、則ち以て民に(1)教えること無し、下が学を知らざれば、則ち乱を爲すことにくみやすし、鄒氏曰く、是以惟仁者り此に至る、以て其君を責むる所なり、
(1)教える: 善に導く  敎也者、長善而救其失也(教なるものは、善をすすめて其失を救うなり)
朱注訳
辟、闢と同じ。喪は去声である。上が礼を知らないと民に教えることがない。下が学ぶことをしないと乱をなしやすい。鄒氏は言う。是以惟仁者からここまでは、君を責めている。

  国家の安全保障を考える時は、まず軍備の拡張を考える。仮想敵国が核武装すると、自国も核武装しなければ自国の安全保障が脅かされると考える。それで核武装に邁進することになる。ところが孟子は国家に強大な武力がないのは、国の災いでないと言う。上の者が道理を考えず、下の者が道理を考えないと国家は日ならずして滅ぶと言う。このことは仮想敵国を滅ぼすのに、武力は必要ないことを示している。仮想敵国の上の者が道理を考えず、下の者が道理を学ばないようにすれば、仮想敵国は日ならずして滅ぶのである。

   通し番号 387 章内番号 10 章通し番号 62 識別番号 7_1_10
本文
  1詩曰、2天之方蹶、3無然泄泄、
1 shī yuē 、2 tiān zhī fāng jué 、3 wú rán xiè xiè 、
  詩に曰う、天の(1)まさ(2)くつがえらんとす、(3)しか(4)泄泄えいえいとすること無かれ、
(1)まさに: まさに~する  方、叚借爲當爲將(方、叚借して当と爲し将と爲す) 通し番号740-3朱注に「時宋牼方欲見楚王(時に宋牼そうこうまさに楚王にまみえんと欲す)」とある。
(2)くつがえる: くつがえる(朱注) 通し番号150-10に「今夫蹶者趨者、是氣也(今それつまずく者はしる者は、是れ気なり)」とある。
(3)しかく: 形容の辞  然、狀事之詞也(然、事をあらわすの詞なり)
(4)泄泄えいえい: 怠慢し喜び従うさま(朱注)

朱注
  1蹶、2居衛反、3泄、4弋制反、5○詩、6大雅板之篇、7蹶、8顚覆之意、9泄泄、10怠緩悅從之貌、11言天欲顚覆周室、12群臣無得泄泄然、13不急救正之、
1 jué 、2 jū wèi fǎn 、3 xiè 、4 yì zhì fǎn 、5 ○ shī 、6 dà yǎ bǎn zhī piān 、7 jué 、8 diān fù zhī yì 、9 xiè xiè 、10 dài huǎn yuè cóng zhī maò 、11 yán tiān yù diān fù zhoū shì 、12 qún chén wú dé xiè xiè rán 、13 bù jí jiù zhèng zhī 、
  蹶、居衛反、泄、弋制反、○詩、大雅の板の篇、けつ(1)顚覆てんぷくの意、泄泄えいえい(2)怠緩(3)悦従の貌、言えらく、天は周室を顚覆せんと欲す、群臣泄泄えいえい然として、急ぎ之を救正せざるを得ること無かれ、
(1)顚覆てんぷく: くつがえること  顚覆、言反倒(顚覆、反倒を言う)
(2)怠緩: 怠りゆるむ 怠慢
(3)悦従: 喜び従う
朱注訳
蹶は居衛反である。泄は弋制反である。詩は大雅の板の篇である。けつはくつがえることである。泄泄えいえいは怠慢で喜び従うさまである。天は周室をくつがえそうとしている。群臣は怠慢で君の意に喜んで従うだけで急いで救い正そうとしないことがあってはならない。


   通し番号 388 章内番号 11 章通し番号 62 識別番号 7_1_11
本文
  1泄泄、2猶沓沓也、
1 xiè xiè 、2 yóu tà tà yĕ 、
  泄泄えいえい、猶沓沓とうとうのごときなり、


朱注
  1沓、2徒合反、3○沓沓、4卽泄泄之意、5蓋孟子時人語如此、
1 tà 、2 tú hé fǎn 、3 ○ tà tà 、4 jí xiè xiè zhī yì 、5 gaì mèng zǐ shí rén yŭ rú cǐ 、
  沓、徒合反、○沓沓とうとう、即ち泄泄えいえいの意なり、蓋し孟子の時人の語此如し、
朱注訳
沓は徒合反である。沓沓とうとう泄泄えいえいの意味である。孟子の時の言葉はこのようになるのだろう。

   通し番号 389 章内番号 12 章通し番号 62 識別番号 7_1_12
本文
  1事君無義、2進退無禮、3言則非先王之道者、4猶沓沓也、
1 shì jūn wú yì 、2 jìn tuì wú lǐ 、3 yán zé feī xiān wàng zhī daò zhě 、4 yóu tà tà yĕ 、
  君につかえ義無し、進退礼無し、言えば則ち先王の道をそしる者は、猶沓沓とうとうのごときなり、
(1)そしる: そしる  非者、譏也(非は、譏なり) 通し番号1007-2に「非之無舉也(之をそしるに挙げること無きなり)」とある。

朱注
  1非、2詆毀也、
1 feī 、2 dǐ huǐ yĕ 、
  非、(1)詆毀ていきなり、
(1)詆毀ていき: そしる ていにもにも「そしる」意味がある。  詆、呰也(ていなり) 呰、口毀也(呰、口毀なり) 毀、謗也(毀、ぼうなり)
朱注訳
非はそしる。


   通し番号 390 章内番号 13 章通し番号 62 識別番号 7_1_13
本文
  1故曰、2責難於君、3謂之恭、4陳善閉邪、5謂之敬、6吾君不能、7謂之賊、
1 gù yuē 、2 zé nán yú jūn 、3 wèi zhī gōng 、4 chén shàn bì xié 、5 wèi zhī jìng 、6 wú jūn bù néng 、7 wèi zhī zeí 、
  故に曰く、(1)難を君に責めるは、之を恭と謂う、善を(2)べ邪を閉ずるは、之を敬と謂う、吾君能わずというは、之を賊と謂う、
(1)難: 人が言うのをはばかること  難、憚也、人所忌憚也(難は憚なり、人が忌憚する所なり) ここは「行い難い先王の道」と取るのが一般的である。通し番号44-14に「もとより王の王たらざるは、太山をさしはさみ以て北海を超ゆの類に非ざるなり、王の王たらざるは、是れ枝を折るの類なり」とあるように、先王の道は決して難しいものでない。たやすいものである。ここを「行い難い先王の道」と読んだのでは、通し番号44-14との統一が取れない。ここは「人が難しとすること」つまり「臣下が君に言うのをはばかること」と取るべきである。臣下は君に媚びる者が多く、君の過ちを言わないものである。
(2)ぶ: のべる  述、陳也(述、陳なり)(通し番号81-5朱注) 通し番号57-7朱注に「此王政之本、常生之道、故孟子爲齊梁之君各陳之也(此は王政の本、常の生の道なり、故に孟子斉梁の君の爲におのおの之をべるなり)」とある。

朱注
  1范氏曰、2人臣以難事責於君、3使其君爲堯舜之君者、4尊君之大也、5開陳善道、6以禁閉君之邪心、7惟恐其君或陷於有過之地者、8敬君之至也、9謂其君不能行善道、10而不以告者、11賊害其君之甚也、12鄒氏曰、13自詩云天之方蹶至此、14所以責其臣、15○鄒氏曰、16此章言、17爲治者、18當有仁心仁聞以行先王之政、19而君臣又當各任其責也、
1 fàn zhī yuē 、2 rén chén yǐ nán shì zé yú jūn 、3 shǐ qí jūn wéi yaó shùn zhī jūn zhě 、4 zūn jūn zhī dà yĕ 、5 kaī chén shàn daò 、6 yǐ jìn bì jūn zhī xié xīn 、7 wéi kŏng qí jūn huò xiàn yú yoǔ guò zhī dì zhě 、8 jìng jūn zhī zhì yĕ 、9 wèi qí jūn bù néng xíng shàn daò 、10 ér bù yǐ gaò zhě 、11 zeí hài qí jūn zhī shèn yĕ 、12 zoū zhī yuē 、13 zì shī yún tiān zhī fāng jué zhì cǐ 、14 suǒ yǐ zé qí chén 、15 ○ zoū zhī yuē 、16 cǐ zhāng yán 、17 wéi zhì zhě 、18 dāng yoǔ rén xīn rén wén yǐ xíng xiān wàng zhī zhèng 、19 ér jūn chén yoù dāng gě rèn qí zé yĕ 、
  范氏曰く、人臣が難事以て君をただし、其君をして堯舜の君爲らしめるは、君を尊ぶことの大なり、善道を(1)開陳し、以て君の邪心を禁閉し、ただ其君過ち有るの地に陥ること(2)るを恐れるは、君を敬することの至りなり、其君善道を行なうこと能わざると謂いて、以て告げざる者は、其君を(3)そこない害するの甚だしきなり、鄒氏曰く、詩云天之方蹶り此に至るは、以て其臣を責むる所なり、○鄒氏曰く、此章言えらく、治を爲す者、当に仁心仁聞有りて以て先王の政を行うべくして君臣又当におのおの其責を任ずべきなり、
(1)開陳: 開きのべる
(2)り: 有り  或、叚借爲有(或、叚借して有と爲す) 通し番号925-5朱注に「苟執於辭、則時或有害於義(もし辞に執すれば、則ち時に義に害有ることり)」とある。
(3)そこなう: そこなう  賊、害也(賊、害なり)(通し番号103-1朱注) 通し番号103-2に「賊仁者謂之賊(仁をそこなう者之を賊と謂う)」とある。
朱注訳
范氏は言う。臣は人が言うのをはばかることを君に言って君を正し、君を堯舜のような君にするのは、君を尊ぶことが大きいことである。善道を言い君の邪心を閉じて、ただ君が過ちに陥ることを恐れるのは、君を非常に敬していることである。君が善道を行なうことができないと言って、君に告げないのは、君を害することが甚だしい。鄒氏は言う。「詩に曰う、天のまさくつがえらんとす」よりここまでは、臣を責めている。この章は、治政をする者は、仁の心、仁の名があり、さらに先王の政をすべきであり、君と臣はそれぞれその責務を果たすべきであると言っている。



7 離婁章句上 章番号 2 章通し番号 63
本文訳
  孟子が言う。定規、コンパスは四角や円をつくることを極めている。聖人は人倫を極めている。君にふさわしい者になろうとすれば、君の道を尽す。臣にふさわしい者になろうとすれば、臣の道を尽す。君の道、臣の道は堯舜に則るだけだ。舜が堯に仕えるように君に仕えないのは、君を敬さないことだ。堯が民を治めるように民を治めないのは、民を害することだ。孔子は言う。「道は仁と不仁の二つだけである。」民を虐げることが非常にひどいと、身は殺され国は滅ぶ。民を虐げることがひどいと、身は危うく国は侵略される。その王はゆうれいというおくりなをつけられる。孝行で慈愛のある子孫でもその諡を改めることはできない。詩経に言う。「殷王朝の鏡とすべきものは遠くにない。近い夏王朝にある。」これはこのことを言っている。


   通し番号 391 章内番号 1 章通し番号 63 識別番号 7_2_1
本文
  1孟子曰、2規矩、3方員之至也、4聖人、5人倫之至也、
1 mèng zǐ yuē 、2 guī jŭ 、3 fāng yuán zhī zhì yĕ 、4 shèng rén 、5 rén lún zhī zhì yĕ 、
  孟子曰く、規矩は、方えんの至りなり、聖人は、人倫の至りなり、


朱注
  1至、2極也、3人倫說見前篇、4規矩盡所以爲方員之理、5猶聖人盡所以爲人之道、
1 zhì 、2 jí yĕ 、3 rén lún shuō jiàn qián piān 、4 guī jŭ jìn suǒ yǐ wéi fāng yuán zhī lǐ 、5 yóu shèng rén jìn suǒ yǐ wéi rén zhī daò 、
  至、極なり、人倫の(1)(2)前篇に見ゆ、規矩以て方員る所の理を尽すは、猶聖人以て人る所の道を尽すがごとし、
(1)説: 言論  說、謂論說(説、論説を謂う) 通し番号280-21朱注に「文公見孟子而聞性善堯舜之說、則固有以啓發其良心矣(文公孟子にい性善堯舜の説を聞き、則ち固より以て其良心を啓発すること有り)」とある。
(2)前篇: 滕文公章句上 通し番号308-11に「敎以人倫、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信(教えるに人倫を以てす、父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り)」とある。
朱注訳
至は極である。人倫のことは前篇にある。定規やコンパスは四角や円の形をつくるのを極めている。聖人が人の道を極めているようなものである。


   通し番号 392 章内番号 2 章通し番号 63 識別番号 7_2_2
本文
  1欲爲君盡君道、2欲爲臣盡臣道、3二者皆法堯舜而已矣、4不以舜之所以事堯事君、5不敬其君者也、6不以堯之所以治民治民、7賊其民者也、
1 yù wéi jūn jìn jūn daò 、2 yù wéi chén jìn chén daò 、3 èr zhě jiē fǎ yaó shùn ér yǐ yǐ 、4 bù yǐ shùn zhī suǒ yǐ shì yaó shì jūn 、5 bù jìng qí jūn zhě yĕ 、6 bù yǐ yaó zhī suǒ yǐ zhì mín zhì mín 、7 zeí qí mín zhě yĕ 、
  君るを欲せば君の道を尽す、臣るを欲せば臣の道を尽す、二なるものは皆堯舜にのっとるのみ、舜の以て堯につかえる所を以て君につかえざるは、其君を敬せざる者なり、堯の以て民を治める所を以て民を治めざるは、其民をそこなう者なり、


朱注
  1法堯舜以盡君臣之道、2猶用規矩以盡方員之極、3此孟子所以道性善、4而稱堯舜也、
1 fǎ yaó shùn yǐ jìn jūn chén zhī daò 、2 yóu yòng guī jŭ yǐ jìn fāng yuán zhī jí 、3 cǐ mèng zǐ suǒ yǐ daò xìng shàn 、4 ér chēng yaó shùn yĕ 、
  堯舜にのっとり以て君臣の道を尽すは、猶規矩を用いて以て方えんの極を尽すがごとし、此孟子以て性善を(1)い、而して堯舜を称する所なり、
(1)う: 言う  道、言也(道、言なり)(通し番号35-1朱注) 通し番号130-41朱注に「故不道管仲之事(故に管仲の事をわず)」とある。
朱注訳
堯舜に則って君臣の道を尽すのは、定規、コンパスを用いて四角と円の極みを致すようなものである。これがために孟子は性善を言い堯舜を賞賛する。


   通し番号 393 章内番号 3 章通し番号 63 識別番号 7_2_3
本文
  1孔子曰、2道二、3仁與不仁而已矣、
1 kŏng zǐ yuē 、2 daò èr 、3 rén yŭ bù rén ér yǐ yǐ 、
  孔子曰く、道は二、仁と不仁のみ、


朱注
  1法堯舜、2則盡君臣之道而仁矣、3不法堯舜、4則慢君賊民而不仁矣、5二端之外、6更無他道、7出乎此、8則入乎彼矣、9可不謹哉、
1 fǎ yaó shùn 、2 zé jìn jūn chén zhī daò ér rén yǐ 、3 bù fǎ yaó shùn 、4 zé màn jūn zeí mín ér bù rén yǐ 、5 èr duān zhī waì 、6 gēng wú tā daò 、7 chū hū cǐ 、8 zé rù hū bǐ yǐ 、9 kĕ bù jǐn zāi 、
  堯舜にのっとれば、則ち君臣の道を尽して仁なり、堯舜にのっとらざれば、則ち君に(1)おこたり民をそこないて不仁なり、二端の外、(2)さらに他の道無し、此を出ずれば、則ち彼に入る、謹まざるべけんや、
(1)おこたる: 怠る 慢、怠惰也(慢、怠惰なり) 通し番号115-9に「是上慢而殘下也(是れ上おこたりて下をそこなうなり)」とある。
(2)さらに: さらに  更、再也、復也(更、再なり、復なり) 通し番号149-15朱注に「而不必更求其助於氣(必ずしもさらに其助を気に求めず)」とある。
朱注訳
堯舜に則ると、君臣の道を尽して仁である。堯舜に則らないと、君に怠り、民を害す。この二つの他に道はない。一方を出ると他方に入る。謹まないでおれようか。


   通し番号 394 章内番号 4 章通し番号 63 識別番号 7_2_4
本文
  1暴其民甚、2則身弑國亡、3不甚、4則身危國削、5名之曰幽厲、6雖孝子慈孫、7百世不能改也、
1 bào qí mín shèn 、2 zé shēn shì guó wáng 、3 bù shèn 、4 zé shēn weī guó xiāo 、5 míng zhī yuē yoū lì 、6 suī xiào zǐ cí sūn 、7 bǎi shì bù néng gaǐ yĕ 、
  其民を(1)そこなうこと甚しければ、則ち身(2)しいせられ国亡ぶ、甚しからざれば、則ち身危うく国けずらる、之を名づけてゆうれいと曰う、孝子(3)慈孫と雖も、百世改めること能わざるなり、
(1)そこなう: そこなう しいたげる  暴、虐也(暴、虐なり) 通し番号422-2に「自暴者、不可與有言也(自らそこなう者、ともに言うこと有るべからざるなり)」とある。
(2)しいす: 殺す  弑、下殺上也(は、下が上を殺すなり)(通し番号4-28朱注) 通し番号364-3に「臣弑其君者有之、子弑其父者有之(臣其君をしいする者之有り、子其父を弑する者之有り)」とある。
(3)慈孫: 仁愛の心のある孫  慈、謂愛之深也(慈、愛の深きを謂うなり)

朱注
  1幽、2暗、3厲、4虐、5皆惡諡也、6苟得其實、7則雖有孝子慈孫、8愛其祖考之甚者、9亦不得廢公義而改之、10言不仁之禍必至於此、11可懼之甚也、
1 yoū 、2 àn 、3 lì 、4 nüè 、5 jiē è shì yĕ 、6 goǔ dé qí shí 、7 zé suī yoǔ xiào zǐ cí sūn 、8 ài qí zǔ kaǒ zhī shèn zhě 、9 yì bù dé fèi gōng yì ér gaǐ zhī 、10 yán bù rén zhī huò bì zhì yú cǐ 、11 kĕ jù zhī shèn yĕ 、
  幽は、暗、厲は、虐、皆あし(1)おくりななり、(2)もし其実を得れば、則ち孝子慈孫、其(3)祖考を愛するの甚だしき者有りと雖も、亦(4)公義を廢して之を改めることを得ず、不仁の禍必ず此に至り、おそるべきの甚しきを言うなり、
(1)おくりな: その業績によって死後につける名  諡、行之迹也(諡、行のあとなり)
(2)もし: もし  苟、猶若也(苟、猶若のごときなり) 通し番号371-1朱注に「言苟有能爲此距楊墨之說者、則其所趨正矣(言えらく、もし能く此楊墨をふせぐの説を爲す者有れば、則ち其おもむく所正し)」とある。
(3)祖考: 亡祖父と亡父  祖、父之父也(祖、父の父なり) 父死稱考(父死すれば考とう) 通し番号659-6朱注に「然敬之當如祖考也(然れば之を敬するは当に祖考の如きなり)」とある。
(4)公義: 私のない道理  無私爲公(私無しを公と爲す) 義、道也(義、道なり) 義者、理也(義は、理なり) 通し番号507-34朱注に「庾斯雖全私恩、亦廢公義(庾斯私恩を全くすると雖も、亦公義を廢す)」とある。
朱注訳
幽は暗である。厲は虐である。みな悪いおくりなである。その実があるなら、孝行な子、慈愛のある孫がいて、父と祖父をとても愛しても、公の道理を廃して諡を改めることはできない。不仁の禍は必ずこのようになり、非常に恐れるべきであることを言う。


   通し番号 395 章内番号 5 章通し番号 63 識別番号 7_2_5
本文
  1詩云、2殷鑒不遠、3在夏后之世、4此之謂也、
1 shī yún 、2 yīn jiàn bù yuǎn 、3 zaì xià hòu zhī shì 、4 cǐ zhī wèi yĕ 、
  詩に云う、殷(1)かん遠からず、(2)夏后の世に在り、此を之謂うなり、
(1)かん: 鏡  鑑、或書作鑒(鑑、或いは書いて鑒に作る) 鑑、叚借爲鏡(鑑、叚借して鏡と爲す)
(2)夏后: 禹の国名。夏とも、夏后氏とも言う。禹は舜から譲られて天子となった。后は君の意味で、譲られた天子となったのをほめて呼ぶ意味がある。 通し番号137-1に「夏后、殷、周之盛、地未有過千里者也(夏后、殷、周の盛、地未だ千里をすぐるもの有らざるなり)」とある。


朱注
  1詩、2大雅蕩之篇、3言商紂之所當鑒者、4近在夏桀之世、5而孟子引之、6又欲後人以幽厲爲鑒也、
1 shī 、2 dà yǎ dàng zhī piān 、3 yán shāng zhòu zhī suǒ dāng jiàn zhě 、4 jìn zaì xià jié zhī shì 、5 ér mèng zǐ yǐn zhī 、6 yoù yù hòu rén yǐ yoū lì wéi jiàn yĕ 、
  詩、大雅蕩の篇、言えらく、商の紂の当に(1)かんがみるべき所のものは、近く夏の桀の世に在り、而して孟子之を引き、又後人幽厲以てかがみと爲すことを欲するなり、
(1)かんがみる: かんがみる 鑑、或書作鑒(鑑、或いは書いて鑒に作る) 鑑者、所以能見也(鑑は、以て能く見る所なり)
朱注訳
詩は大雅の蕩の篇である。商(殷)の紂が見るべき所は近い夏の桀にあることを言う。孟子はこれを引用して、後世の人が幽厲を鏡とすることを願う。



7 離婁章句上 章番号 3 章通し番号 64
本文訳
  孟子が言う。夏、殷、周の三代が天下を得たのは、仁によってである。天下を失ったのは不仁によってである。国の存亡興廃もまたそうである。天子が不仁であると、天下を保つことができない。諸侯が不仁であると、国を保つことができない。卿大夫が不仁であると、家を保つことができない。士や民が不仁であると、身を保つことができない。死ぬこと、滅ぶことを嫌うのに、不仁を楽しんでいる。これは酔うのを嫌うのに、酒を強いるようなものである。

   通し番号 396 章内番号 1 章通し番号 64 識別番号 7_3_1
本文
  1孟子曰、2三代之得天下也、3以仁、4其失天下也、5以不仁、
1 mèng zǐ yuē 、2 sān dài zhī dé tiān xià yĕ 、3 yǐ rén 、4 qí shī tiān xià yĕ 、5 yǐ bù rén 、
  孟子曰く、三代の天下を得るや、仁を以てす、其天下を失うや、不仁を以てす、


朱注
  1三代、2謂夏、3商、4周也、5禹、6湯、7文、8武、9以仁得之、10桀、11紂、12幽、13厲、14以不仁失之、
1 sān dài 、2 wèi xià 、3 shāng 、4 zhoū yĕ 、5 yŭ 、6 tāng 、7 wén 、8 wŭ 、9 yǐ rén dé zhī 、10 jié 、11 zhòu 、12 yoū 、13 lì 、14 yǐ bù rén shī zhī 、
  三代は、夏、商、周を謂うなり、禹、湯、文、武は、仁を以て之を得る、桀、紂、(1)幽、(2)厲は、不仁を以て之を失なう、
(1)幽: 周の第12代の王、姫宮涅ききゅうでつのこと。虐政を行った。また褒姒ほうじを寵愛し、正室の申后、太子の宜臼を廃して、褒姒を正室とし、その子の伯服を太子にした。それで申后の父、申侯が怒り、蛮族の犬戎と連合し反乱を起こした。戦乱で都は破壊された。
(2)厲: 周の第10代の王 暴虐を極めた。暴動が発生し、厲王は都から逃げた。
朱注訳
三代は夏、商、周を言う。禹、湯、文、武は仁で天下を得た。桀、紂、幽、厲は不仁で天下を失った。


   通し番号 397 章内番号 2 章通し番号 64 識別番号 7_3_2
本文
  1國之所以廢興存亡者亦然、
1 guó zhī suǒ yǐ fèi xìng cún wáng zhě yì rán 、
  国の廃興存亡する所以のもの亦然り、


朱注
  1國、2謂諸侯之國、
1 guó 、2 wèi zhū hoú zhī guó 、
  國は、諸侯の国を謂う、
朱注訳
国は諸侯の国を言う。


   通し番号 398 章内番号 3 章通し番号 64 識別番号 7_3_3
本文
  1天子不仁、2不保四海、3諸侯不仁、4不保社稷、5卿大夫不仁、6不保宗廟、7士庶人不仁、8不保四體、
1 tiān zǐ bù rén 、2 bù baǒ sì haǐ 、3 zhū hoú bù rén 、4 bù baǒ shè jì 、5 qīng dà fū bù rén 、6 bù baǒ zōng miaò 、7 shì shù rén bù rén 、8 bù baǒ sì tǐ 、
  天子不仁なれば、(1)四海を保たず、諸侯不仁なれば、(2)社稷を保たず、卿大夫不仁なれば、(3)宗廟を保たず、士(4)庶人不仁なれば、(5)四体を保たず、
(1)四海: 天下 四方にある海の内の意味で天下になる。 通し番号553-26に「三年四海遏密八音(三年四海は八音を遏密あつみつす)」とある。
(2)社しょく: 国家 社は土地の神、稷は五穀の神。社には地の神の句龍こうりゅうを祭り、稷には農業の神の后稷を祭る。君主が居城を建てる時はこの二神を王宮の右に祭り、宗廟を左に祭る。君を社稷の主とし、国家存すれば社稷の祭が行われ、亡べば廃せられることから、転じて国家のことも言う。 句龍能平水土、祀之以爲社、后稷能殖百穀、祀以爲稷(句龍能く水土をおさむ、之をまつりて以て社と爲す、后稷能く百穀をそだてる、まつりて以て稷と爲す) 通し番号843-1に「有安社稷臣者、以安社稷爲悅者也(社稷を安んずる臣なる者有り、社稷を安んずるを以て悦と爲す者なり)」とある。
(3)宗廟: 祖先を祭る所 「宗廟を保たず」と言うのは家が滅びるから、祖先を祭ることができなくなるのである。宗には「一族」の意味があり、廟には「祭る所」の意味がある。日本では墓で先祖の遺骨を祭り、仏壇で先祖の位牌を祭るが、このようなものである。 同祖曰宗(祖を同じくするを宗と曰う) 廟、貌也、先祖形貌所在也(廟、貌なり、先祖の形貌在る所なり) 通し番号112-7に「若殺其父兄、係累其子弟、毀其宗廟、遷其重器、如之何其可也(若し其父兄を殺し、其子弟を係累し、其宗びょうこぼち、其重器をうつせば、之を如何いかんぞ其可ならん)」とある。
(4)庶人: 一般の人々 通し番号235-5に「自天子達於庶人(天子自り庶人に達る)」とある。
(5)四体: 両手両足 体は現代の意味と孟子の頃の意味でずれがある。体全体でなく体の一部を体と言う。 身之支分、謂之體、手足頭目鼻口、皆體也(身の支分、之を体と謂う、手足頭目鼻口は、皆体なり 支分:分けたもの)(中井履軒)

朱注
  1言必死亡、
1 yán bì sǐ wáng 、
  必ず死亡するを言う、
朱注訳
必ず死に滅ぶことを言う。


   通し番号 399 章内番号 4 章通し番号 64 識別番号 7_3_4
本文
  1今惡死亡而樂不仁、2是猶惡醉而強酒、
1 jīn è sǐ wáng ér lè bù rén 、2 shì yóu è zuì ér qiǎng jiŭ 、
  (1)今死亡をにくみて不仁を楽しむ、是れ猶醉をにくみて酒を強いるがごとし、
(1)今: これ ここに  今、指事之詞也(今、指事の詞なり) 通し番号613-2に「今有禦人於國門之外者(今人を国門の外にとどめる者有り)」とある。

朱注
  1惡、2去聲、3樂、4音洛、5強、6上聲、7○此承上章之意、8而推言之也、
1 è 、2 qù shēng 、3 lè 、4 yīn luò 、5 qiǎng 、6 shàng shēng 、7 ○ cǐ chéng shàng zhāng zhī yì 、8 ér tuī yán zhī yĕ 、
  悪、去声、楽、音は洛、強、上声、○此は上章の意を承けて、推して之を言うなり、
朱注訳
悪は去声である。楽は音は洛である。強は上声である。これは前の章の意を受けて、それを推して言う。



7 離婁章句上 章番号 4 章通し番号 65
本文訳
  孟子が言う。私は人を愛しているのに、人が私を愛さないなら、自分の仁に反る。私が人を治めて治まらないなら、自分の智に反る。私は人を礼しているのに、人が答えないなら、自分の敬に反る。何かをして望むことを得ることができないと、みな自分に反り求める。自分の身が正しければ、天下が自分に帰する。詩経に言う。「長く考え正理に合い、自ら多福を求める。」

   通し番号 400 章内番号 1 章通し番号 65 識別番号 7_4_1
本文
  1孟子曰、2愛人不親、3反其仁、4治人不治、5反其智、6禮人不答、7反其敬、
1 mèng zǐ yuē 、2 ài rén bù qìng 、3 fǎn qí rén 、4 zhì rén bù zhì 、5 fǎn qí zhì 、6 lǐ rén bù dá 、7 fǎn qí jìng 、
  孟子曰く、人を愛して(1)あいさざれば、其仁にかえる、人を治めて治まらざれば、其智に反る、人を礼して答えざれば、其敬に反る、
(1)あいす: 愛す 親、愛也(親、愛なり) 通し番号321-10に「夫夷子信以爲人之親其兄之子、爲若親其鄰之赤子乎(かの夷子信に人の其兄の子をあいすること、其となりの赤子をあいする若く爲すと以爲おもえるか)」とある。

朱注
  1治人之治、2平聲、3不治之治、4去聲、5○我愛人而人不親我、6則反求諸己、7恐我之仁未至也、8智、9敬放此、
1 zhì rén zhī zhì 、2 píng shēng 、3 bù zhì zhī zhì 、4 qù shēng 、5 ○ wǒ ài rén ér rén bù qìng wǒ 、6 zé fǎn qiú zhū jǐ 、7 kŏng wǒ zhī rén wèi zhì yĕ 、8 zhì 、9 jìng fàng cǐ 、
  (1)治人の治、平声、不治の治、去声、○我が人を愛して人が我をあいさざれば、則ち諸を己に反り求む、我の仁未だ至らざるを恐れるなり、智、敬此にならう、
(1)治人の治、平声、不治の治、去声: 朱子の注釈によると、治は他動詞に使う場合と自動詞で使う場合で昔は声調が異なったのである。今は両方とも第四声で発音するため、第四声でピンインをつける。
朱注訳
治人の治は平声である。不治の治は去声である。私は人を愛しているのに、人が私を愛さないなら、これを己に反って求める。自分の仁がまだ十分でないことを恐れる。智、敬もこれにならう。


   通し番号 401 章内番号 2 章通し番号 65 識別番号 7_4_2
本文
  1行有不得者、2皆反求諸己、3其身正而天下歸之、
1 xíng yoǔ bù dé zhě 、2 jiē fǎn qiú zhū jǐ 、3 qí shēn zhèng ér tiān xià guī zhī 、
  行いて得ざるもの有れば、皆(1)これを己に反り求む、其身正しくして天下之に帰す、
(1)これ: これ  諸、之也(諸、之なり) 通し番号243-6に「使管叔監殷、管叔以殷畔也、有諸(管叔をして殷を監さしむ、管叔殷以てそむくなり、これ有りや)」とある。

朱注
  1不得、2謂不得其所欲、3如不親、4不治、5不答、6是也、7反求諸己、8謂反其仁、9反其智、10反其敬也、11如此、12則其自治益詳、13而身無不正矣、14天下歸之、15極言其效也、
1 bù dé 、2 wèi bù dé qí suǒ yù 、3 rú bù qìng 、4 bù zhì 、5 bù dá 、6 shì yĕ 、7 fǎn qiú zhū jǐ 、8 wèi fǎn qí rén 、9 fǎn qí zhì 、10 fǎn qí jìng yĕ 、11 rú cǐ 、12 zé qí zì zhì yì xiáng 、13 ér shēn wú bù zhèng yǐ 、14 tiān xià guī zhī 、15 jí yán qí xiào yĕ 、
  得ざるは、其欲する所を得ざるを謂う、親まず、治まらず、答えざるが如き、是なり、諸を己に反り求むは、其仁に反り、其智に反り、其敬に反るを謂うなり、此如ければ、則ち其自ら治めることますます(1)つくして、身正しからざる無し、天下之に帰すは、其效を(2)きわめて言うなり、
(1)つくす: 尽す  詳、謂悉盡也(詳、悉尽を謂うなり)
(2)きわめて: きわめて 甚だ
朱注訳
得ざるは、望むことを得ないことを言う。愛さず、治まらず、答えずのようなものがこれになる。これを己に反り求むは、仁に反り、智に反り、敬に反ることを言う。このようにすれば自分を治めることをさらに尽すことになり、身が正しくないことがなくなる。天下之に帰すは、その効果を極言している。

  儒学は天下を治めようとせず、自分の身を正しくしようとする。自分の身が正しければ天下は自ずと治まると考える。だから修身にうるさい。資本主義社会で修身をうるさく言うと、多くの人が寡欲になる。寡欲になると物を買おうとしない。多くの人が物を買おうとしないから物が売れない。生産しても在庫がたまるだけである。人が皆修身に努めれば不況になり経済は成長しないのである。資本主義社会では修身は害悪以外の何ものでもない。だから資本主義社会では修身は重んじられない。政治家も修身をしようとせず、権謀術数で政治をしようとする。きれいなことを言ってもすることが違っている政治家を見て国民は政治家を信用しなくなる。だから国は治まらない。

   通し番号 402 章内番号 3 章通し番号 65 識別番号 7_4_3
本文
  1詩云、2永言配命、3自求多福、
1 shī yún 、2 yŏng yán pèi mìng 、3 zì qiú duō fú 、
  (1)詩に云う、(2)なが(3)おも(4)命に(5)う、自ら多福を求む、
(1)詩: 大雅文王の篇、
(2)ながし: 長い  永、長也(永、長なり)(通し番号176-5朱注)
(3)おもう: 思う  言、猶念也(言、猶念のごときなり)(通し番号176-7朱注)
(4)命: 正理  命字意輕、猶言天意也、正理之謂矣(命の字は意軽し、猶天意と言うがごときなり、正理の謂なり)(中井履軒)
(5)う: 合う  配、合也(配、合なり)(通し番号176-9朱注)


朱注
  1解見前篇、2○亦承上章而言、
1 jiě jiàn qián piān 、2 ○ yì chéng shàng zhāng ér yán 、
  解(1)前篇に見ゆ、○亦上章を承けて言う、
(1)前篇: 公孫丑章句上 通し番号176
朱注訳
解説は前篇にある。また前の章を受けて言う。

  君子はただ正理に合うことを長く考え行動するのである。私たちは何を長く考え行動しているのだろうか。政治家は人々の支持を得ることを長く考え行動する。商売人は利益が上ることを長く考え行動する。テレビ関係の人は視聴率を上げることを長く考え行動する。学者は自分の論文が高い評価を得ることを長く考え行動する。人々の支持、利益、視聴率、評価を得ることを長く考え行動するから正理は後に追いやられる。その結果しばしば正理に合わない行動をする。それで自ら災いを求めることになる。


7 離婁章句上 章番号 5 章通し番号 66
本文訳
  孟子が言う。人は常に言うことがある。みな天下国家のことを言う。天下の本は国にある。国の本は家にある。家の本は自分の身にある。

   通し番号 403 章内番号 1 章通し番号 66 識別番号 7_5_1
本文
  1孟子曰、2人有恆言、3皆曰、4天下國家、5天下之本在國、6國之本在家、7家之本在身、
1 mèng zǐ yuē 、2 rén yoǔ héng yán 、3 jiē yuē 、4 tiān xià guó jiā 、5 tiān xià zhī bĕn zaì guó 、6 guó zhī bĕn zaì jiā 、7 jiā zhī bĕn zaì shēn 、
  孟子曰く、人つねの言有り、皆曰う、天下国家、天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本は身に在り、


朱注
  1恆、2胡登反、3○恆、4常也、5雖常言之、6而未必知其言之有序也、7故推言之、8而又以家本乎身也、9此亦承上章而言之、10大學所謂自天子至於庶人、11壹是皆以脩身爲本、12爲是故也、
1 héng 、2 hú dēng fǎn 、3 ○ héng 、4 cháng yĕ 、5 suī cháng yán zhī 、6 ér wèi bì zhī qí yán zhī yoǔ xù yĕ 、7 gù tuī yán zhī 、8 ér yoù yǐ jiā bĕn hū shēn yĕ 、9 cǐ yì chéng shàng zhāng ér yán zhī 、10 dà xué suǒ wèi zì tiān zǐ zhì yú shù rén 、11 yī shì jiē yǐ xiū shēn wéi bĕn 、12 wèi shì gù yĕ 、
  恆、胡登反、○恆、常なり、常に之を言うと雖も、未だ必ずしも其言の序有るを知らざるなり、故に推して之を言う、而して又家以て身を本とするなり、此は亦上章を承けて之を言う、大学謂う所の天子り庶人に至る、(1)壹是いつしに皆身を脩めるを以て本と爲す、このための故なり、
(1)壹是いつし: すべて 一切  壹是、一切也(壹是、一切なり)(『大学』の朱注)
朱注訳
恆は胡登反である。恆は常である。常に言うけれど、その言に順番があることを必ずしも知らない。だから推してこれを言う。家は身を本とする。これはまた前の章を受けて言っている。天子から庶民まですべて身を修めることを本とすると大学が言うのはこのためである。



7 離婁章句上 章番号 6 章通し番号 67
本文訳
  孟子は言う。人君が政をするのは、難しいことでない。代々の家臣に怨まれないようにする。代々の家臣が服する人君には、一国の人々も服する。一国の人々が服する人君には、天下の人々が服する。その恩恵と命令は天下にあふれる。

   通し番号 404 章内番号 1 章通し番号 67 識別番号 7_6_1
本文
  1孟子曰、2爲政不難、3不得罪於巨室、4巨室之所慕、5一國慕之、6一國之所慕、7天下慕之、8故沛然德敎溢乎四海、
1 mèng zǐ yuē 、2 wéi zhèng bù nán 、3 bù dé zuì yú jù shì 、4 jù shì zhī suǒ mù 、5 yī guó mù zhī 、6 yī guó zhī suǒ mù 、7 tiān xià mù zhī 、8 gù pèi rán dé jiaò yì hū sì haǐ 、
  孟子曰く、政を爲すは難からず、罪を(1)巨室に得ず、巨室の(2)むかう所、一国之にむかう、一国のむかう所、天下之にむかう、故に沛然はいぜんとして(3)徳教四海にあふる、
(1)巨室: 代々国に功のある家臣や富貴な家(朱注)
(2)むかう: 向かう(朱注) 通し番号935-24朱注に「言聖人之心、不以貧賤而有慕於外(言えらく、聖人の心は、貧賎以てして外にむかうこと有らず)」とある。
(3)徳教: 恩恵と命令 徳教は政を云う(中村惕斎) 德、謂恩施也(徳は恩施を謂うなり) 敎、上所施、下所効也(教は上が施す所、下がのっとる所なり)  通し番号472-15朱注に「國人、猶言路人、言無怨無德也(国人、猶路人と言うがごとし、怨み無く徳無きを言うなり)」とある。

朱注
  1巨室、2世臣大家也、3得罪、4謂身不正而取怨怒也、5麥丘邑人祝齊桓公曰、6願主君無得罪於羣臣百姓、7意蓋如此、8慕、9向也、10心悅誠服之謂也、11沛然、12盛大流行之貌、13溢、14充滿也、15蓋巨室之心、16難以力服、17而國人素所取信、18今旣悅服、19則國人皆服、20而吾德敎之所施、21可以無遠而不至矣、22此亦承上章而言、23蓋君子不患人心之不服、24而患吾身之不脩、25吾身旣脩、26則人心之難服者先服、27而無一人之不服矣、28○林氏曰、29戰國之世、30諸侯失德、31巨室擅權、32爲患甚矣、33然或者不脩其本、34而遽欲勝之、35則未必能勝、36而適以取禍、37故孟子推本而言、38惟務脩德以服其心、39彼旣悅服、40則吾之德敎無所留礙、41可以及乎天下矣、42裴度所謂韓弘輿疾討賊、43承宗斂手削地、44非朝廷之力能制其死命、45特以處置得宜、46能服其心故爾、47正此類也、
1 jù shì 、2 shì chén dà jiā yĕ 、3 dé zuì 、4 wèi shēn bù zhèng ér qŭ yuàn nù yĕ 、5 mài qiū yì rén zhù qí huán gōng yuē 、6 yuàn zhǔ jūn wú dé zuì yú qún chén bǎi xìng 、7 yì gaì rú cǐ 、8 mù 、9 xiàng yĕ 、10 xīn yuè chéng fù zhī wèi yĕ 、11 pèi rán 、12 chéng dà liú xíng zhī maò 、13 yì 、14 chōng mǎn yĕ 、15 gaì jù shì zhī xīn 、16 nán yǐ lì fù 、17 ér guó rén sù suǒ qŭ xìn 、18 jīn jì yuè fù 、19 zé guó rén jiē fù 、20 ér wú dé jiaò zhī suǒ shī 、21 kĕ yǐ wú yuǎn ér bù zhì yǐ 、22 cǐ yì chéng shàng zhāng ér yán 、23 gaì jūn zǐ bù huàn rén xīn zhī bù fù 、24 ér huàn wú shēn zhī bù xiū 、25 wú shēn jì xiū 、26 zé rén xīn zhī nán fù zhě xiān fù 、27 ér wú yī rén zhī bù fù yǐ 、28 ○ lín zhī yuē 、29 zhàn guó zhī shì 、30 zhū hoú shī dé 、31 jù shì shàn quán 、32 wéi huàn shèn yǐ 、33 rán huò zhě bù xiū qí bĕn 、34 ér jù yù shèng zhī 、35 zé wèi bì néng shèng 、36 ér shì yǐ qŭ huò 、37 gù mèng zǐ tuī bĕn ér yán 、38 wéi wù xiū dé yǐ fù qí xīn 、39 bǐ jì yuè fù 、40 zé wú zhī dé jiaò wú suǒ liú ài 、41 kĕ yǐ jí hū tiān xià yǐ 、42 péi dù suǒ wèi hán hóng yú jí taǒ zeí 、43 chéng zōng liǎn shoǔ xiāo dì 、44 feī zhāo tíng zhī lì néng zhì qí sǐ mìng 、45 tè yǐ chǔ zhì dé yí 、46 néng fù qí xīn gù ĕr 、47 zhèng cǐ lèi yĕ 、
  巨室は、(1)世臣の(2)大家なり、罪を得るは、身正しからずして怨怒を取るを謂うなり、(3)麦丘の(4)ゆう人斉の桓公に(5)いのりて曰く、願わくば主君罪を(6)羣臣百姓に得ること無かれ、意蓋し此如し、慕、向なり、心よろこび誠に服するのいいなり、沛然は、盛大(7)流行の貌、溢は、充満なり、蓋し巨室之心、力以て服し難し、而して国人(8)もとより信を取る所なり、今既に悦服す、則ち国人皆服して、吾徳教の(9)ゆきわたる所は、以て遠くして至らざること無かるべし、此亦上章を承けて言う、蓋し君子人心の服さざるを患えず、而して吾身の脩らざるを患う、吾身既に脩まれば、則ち人心の服し難き者先ず服す、而して一人の服さざること無し、○林氏曰く、戦国の世、諸侯徳を失ない、巨室権を(10)ほしいままにし、患を爲すこと甚だし、然れども(11)或者あるいは其本を脩めずして、(12)にわかに之に勝たんと欲せば、則ち未だ必ずしも勝つこと能わずして、(13)まさに以て禍を取らんとす、故に孟子本を推して言う、ただ徳を脩めるを務め以て其心を服す、彼既に悦びて服せば、則ち吾の徳教(14)する所無く、以て天下に及ぶべし、(15)裴度はいど謂う所の(16)韓弘は(17)疾を輿して賊を討つ、(18)承宗しょうそう(19)手をおさめて地を削る、朝廷の力能く其死命を制するに非ず、(20)ただ処置宜を得るを以て、能く其心を服する故のみ、正に此類なり、
(1)世臣: 代々国に功のある家臣  世臣、累世勳舊之臣、與國同休戚者也(世臣は、累世くん旧の臣、国と休戚を同じくする者なり)(通し番号95-1朱注) 通し番号95-2に「所謂故國者、非謂有喬木之謂也、有世臣之謂也(謂う所の故国は、きょう木有るのいいを謂うに非ざるなり、世臣有るの謂なり)」とある。
(2)大家: 富貴な家  大家、謂富貴廣大之家(大家、富貴広大の家を謂う)
(3)麦丘: 地名
(4)邑: 村、里  邑、猶里也(邑、猶里のごときなり) 通し番号226-7朱注に「邑有先君之廟曰都(邑が先君の廟を有するを都と曰う)」とある。
(5)いのる: 祈る
(6)羣: 群 羣俗作群(羣俗に群と作る) 通し番号1013-19朱注に「歴序羣聖之統(羣聖の統を歴序す)」とある。
(7)流行: ゆきわたる  流、覃也(流、たんなり) 覃、叚借爲延(覃、叚借して延と爲す) 行者、移也(行は、移なり)  通し番号139-2に「德之流行、速於置郵而傳命(徳の流行、置郵して命を伝えるよりすみやかなり)」とある。
(8)もとより: もとより  素、本也(素、本なり) 通し番号824-4朱注に「言人素望其興道致治、而今果如所望也(人もとより其道を興し治を致すを望みて、今果たして望む所の如しを言うなり)」とある。
(9)ゆきわたる: ゆきわたる  施、延也(施、延なり) 通し番号986-4に「守約而施博者、善道也(守り約にしてゆきわたること博きは、善道なり)」とある。
(10)ほしいままにする; ほしいままにする  擅、專也(せん、専なり) 通し番号758-15朱注に「已立世子、不得擅易(已に世子を立てれば、ほしいままに易えることを得ず)」とある。 
(11)或者あるいは: あるいは おそらくは  或者、疑辭(或者は、疑辞なり)(通し番号209-5朱注) 通し番号209-3に「昔者辭以病、今日弔、或者不可乎(昔者きのう辞するに病を以てし、今日弔す、或者あるいは可ならざるか)」とある。
(12)にわかに: にわかに  遽、疾(きょ、疾なり) 通し番号450-12朱注に「脩己者、不可以是遽爲憂喜(己を脩めるは、是を以てにわかに憂喜を爲すべからず)」とある。
(13)まさに: まさに まさしく  適、猶正也(適、猶正なるがごときなり) 通し番号901-8朱注に「時又適有此事(時に又まさに此事有り)」とある。
(14)留: とどめる  礙、止也(礙、止なり)
(15)裴度はいど: 唐の人
(16)韓弘: 唐の人
(17)疾を輿す: 病気で車に乗る
(18)承宗しょうそう: 三国時代の蜀の人、王の字
(19)手をおさめる: 手を出さない  斂、藏之也(れん、之を蔵するなり)
(20)ただ: ただ  特、但也(特、但なり) 通し番号534-22朱注に「特哀其志而不與之絶耳(ただ其志をあわれみて之と絶たざるのみ)」とある。
朱注訳
巨室は代々の家臣である。罪を得るは身が正しくなく怨みや怒りを受けることを言う。麦丘の村の人が祈って斉の桓公に言う。「主君が群臣や百姓に罪を得ないことを願います。」これはこのような意味だろう。慕は向である。心から喜び、まことに服することを言う。沛然は盛大でゆきわたることを言う。溢は充満である。代々の家臣の心は力で服し難い。国民はもとより代々の家臣を信用する。今、代々の家臣がよろこんで服するなら国民もみな服する。自分の恩恵と命令は遠くまで及び至らない所がない。これはまた前の章を受けて言う。君子は人が服さないことを憂うことはない。自分の身が修まらないことを憂う。自分の身が修まれば服しにくい者がまず服す。そして服さない者は一人もいなくなる。林氏は言う。戦国の世は諸侯に徳がなかった。代々の家臣が権力をほしいままにし、諸侯の大きな憂いになっていた。しかし本を修めずに代々の家臣に勝とうとしても、必ずしもにわかに勝つことはできない。そればかりか災いが起こることになる。だから孟子は本を推すことを言う。ただ徳を修めることに務め、代々の家臣の心を服する。代々の家臣が喜んで服せば、自分の恩恵と命令を止めるものはなく、天下に及ぶことができる。裴度はいどは言う。韓弘は病身で出陣しても賊を平らげた。承宗は手を出さずに他国の領土を得た。朝廷の力が死命を制するのでなく、理にかなうことをすれば人の心を服することができる。まさにこの類である。

  「不得罪於巨室」を「巨室に罪を得ざれ」と読み、「代々の家臣に怨まれないようにしろ」と解釈するのが一般的である。しかしそう読むと、「代々の家臣に怨まれないように、代々の家臣が気に入るような政治をしろ」と解釈される恐れがある。滕の文公が三年の喪をしようとした時、代々の家臣は皆反対した。代々の家臣が気に入るようにするのが政治なら、滕の文公は三年の喪をしないのが正しかったことになってしまう。ここの「不得罪於巨室」の意味は人君の身を修めることで自ずと「不得罪於巨室」になると言っているのである。前章で家の本は自分の身にあると言っているが、この家はここの巨室になる。つまり代々の家臣を治める本は人君の身にある。人君の身が修まれば代々の家臣は自ずと服す。代々の家臣が服すれば国も服するし天下も服する。しかし代々の家臣が服するようにと政治をするのでない。ただ人君の身を修める。人君の身が修まれば代々の家臣は自ずと服するのである。


7 離婁章句上 章番号 7 章通し番号 68
本文訳
  孟子が言う。天下に道があれば、徳が乏しい者は徳の豊かな者に使われ、智が乏しい者は智が豊かな者に使われる。天下に道がないと、小さい者は大きい者に使われ、弱い者は強い者に使われる。この二つは自然の理である。自然の理に従う者は生き延び、自然の理に逆らう者は滅ぶ。斉の景公は言う、「私は命令を出して呉を使うことはできない。呉の言うことを受けないと呉と国交を絶つことになる。」涙を流して娘を呉に嫁がせた。今では小国は大国を師としている。ところが大国の命令を受けることを恥じている。これは弟子が師の命令を受けることを恥じるようなものだ。これを恥じるなら文王を師とするのに及ぶものはない。文王を師とすれば、大国は五年、小国は七年で政を天下に行うことができる。詩経に言う。「殷の子孫はその数は十万を下らない。上帝はすでに命令を出し、殷の子孫は周に服した。天命は常がない。殷の臣の才徳が優れ敏達な者は都でかん献の礼を助けた。」孔子は言う。「仁には衆をなすことはできない。」国君が仁を好めば天下に敵はない。天下に敵がないことを望むのに、仁をなそうとしない。これは熱い物を持つ前に手をぬらさないようなものである。詩経に言う。「熱い物を持つのに、手をぬらさないで持つことができようか。」


   通し番号 405 章内番号 1 章通し番号 68 識別番号 7_7_1
本文
  1孟子曰、2天下有道、3小德役大德、4小賢役大賢、5天下無道、6小役大、7弱役強、8斯二者天也、9順天者存、10逆天者亡、
1 mèng zǐ yuē 、2 tiān xià yoǔ daò 、3 xiaǒ dé yì dà dé 、4 xiaǒ xián yì dà xián 、5 tiān xià wú daò 、6 xiaǒ yì dà 、7 ruò yì qiáng 、8 sī èr zhě tiān yĕ 、9 shùn tiān zhě cún 、10 nì tiān zhě wáng 、
  孟子曰く、天下道れば、小徳は大徳に(1)えきし、小賢は大賢に役する、天下道無ければ、小は大に役し、弱は強に役す、斯二なるものは天なり、天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ、
(1)役す: 使われる 仕える  ここは「小徳は大徳に役せらる」と受身に読むのが一般的である。しかしこれは受身の形でなく、そのまま読めば「小徳は大徳に役す」と読むべきである。役すの意味は「仕える 使われる」である。役すの意味の中に「使われる」という受身の意味が入っているのである。  役、助也(役、助なり) 役すとはつかわるるぞ(中村惕斎)
(2)小は大に役し、弱は強に役す: ここの小、大、弱、強を国にかけ、小国、大国、弱国、強国のこと取るのが多い。しかしここは、「天下有道」と「天下無道」が対になっている。天下有道に続く、小徳、大徳、小賢、大賢は個人と国をともに含んでいると考えられる。そうならば対になっている小、大、弱、強も国のことだけでなく、個人も含むのだと考えるべきである。


朱注
  1有道之世、2人皆脩德、3而位必稱其德之大小、4天下無道、5人不脩德、6則但以力相役而已、7天者、8理勢之當然也、
1 yoǔ daò zhī shì 、2 rén jiē xiū dé 、3 ér wèi bì chēng qí dé zhī dà xiaǒ 、4 tiān xià wú daò 、5 rén bù xiū dé 、6 zé dàn yǐ lì xiàng yì ér yǐ 、7 tiān zhě 、8 lǐ shì zhī dāng rán yĕ 、
  道有るの世は、人皆徳を脩む、而して位は必ず其徳の大小に(1)かなう、天下道無ければ、人徳を脩めず、則ちただ力以てあい役すのみ、天は、理勢の当然なり、
(1)かなう: 合う  稱、適物之宜(称、物の宜にかなう) 通し番号235-3に「中古棺七寸、槨稱之(中古棺七寸、かく之にかなう)」とある。
(2)つかう: 役には「使う」「使われる」の両方の意味がある。 役、使也(役、使なり)
朱注訳
道がある世は人はみな徳を修める。位は必ずその徳の大きさに合う。天下に道がないと、人は徳を修めず、ただ力で人を使おうとするだけである。天は理と勢から当然のことを言う。


   通し番号 406 章内番号 2 章通し番号 68 識別番号 7_7_2
本文
  1齊景公曰、2旣不能令、3又不受命、4是絶物也、5涕出而女於吳、
1 qí jǐng gōng yuē 、2 jì bù néng lìng 、3 yoù bù shòu mìng 、4 shì jué wù yĕ 、5 tì chū ér nǜ yú wú 、
  斉景公曰く、既に令すること能わず、又(1)命を受けざるは、是れ物を絶つなり、なみだ出て呉に(2)めあわす、
(1)命: 言いつけること  命、告也(命は、告なり)
(2)めあわす: めあわす 嫁入りさせる  以女妻人曰女(女以て人に妻とするを女と曰う) 通し番号627-1に「堯之於舜也、使其子九男事之、二女女焉(堯の舜に於るや、其子九男は之に事えしめ、二女はこれめあわす)」とある。

朱注
  1女、2去聲、3○引此以言小役大、4弱役強之事也、5令、6出令以使人也、7受命、8聽命於人也、9物、10猶人也、11女、12以女與人也、13吳、14蠻夷之國也、15景公羞與爲昏、16而畏其強、17故涕泣而以女與之、
1 nǜ 、2 qù shēng 、3 ○ yǐn cǐ yǐ yán xiaǒ yì dà 、4 ruò yì qiáng zhī shì yĕ 、5 lìng 、6 chū lìng yǐ shǐ rén yĕ 、7 shòu mìng 、8 tīng mìng yú rén yĕ 、9 wù 、10 yóu rén yĕ 、11 nǜ 、12 yǐ nǚ yŭ rén yĕ 、13 wú 、14 mán yí zhī guó yĕ 、15 jǐng gōng xiū yŭ wéi hūn 、16 ér wèi qí qiáng 、17 gù tì qì ér yǐ nǚ yŭ zhī 、
  (1)女、去声、○此を引き以て小は大に役し、弱は強に役する事を言うなり、令は、令を出し以て人を使うなり、命を受けるは、命を人に聴くなり、物は、猶人のごときなり、女は、(2)女以て人に与えるなり、呉は、(3)蛮夷の国なり、景公とも(4)昏を爲すことをず、而るに其強を畏る、故に(5)涕泣して女以て之に与う、
(1)女、去声: 「おんな」の意味の時は第三声だが、「嫁入りさせる」の意味になる時は第四声だとする。
(2)女: 娘 まだ嫁いでいない女性  處子曰女、適人曰婦(処子は女と曰う、人にとつぐを婦と曰う) 處子、處女也(処子、処女なり) 適、謂往嫁也(適は往きて嫁すを謂うなり)
(3)蛮夷: 野蛮人 四夷(東夷、西戎、南蛮、北狄)のこと  通し番号734-11朱注に「越、蠻夷國名(越、蛮夷の国名なり)」とある。
(4)昏: 婚姻  昏、叚借爲婚(昏は、叚借して婚と爲す) 士娶妻之禮、以昏爲期、因以名焉、必以昏者、陽往而陰來(士が妻をめとるの礼は、昏以て期と爲す、因りて以て名づく、必ず昏以てするは、陽往きて陰来るなり 昏:日暮れ 期:時)
(5)涕泣: 涙を流して泣く  涕、涙也(涕、涙なり) 通し番号379-16朱注に「斷死刑必爲之涕泣(死刑を断じて必ず之が爲に涕泣ていきゅうす)」とある。
朱注訳
女は去声である。これを引用して小国は大国に使われ、弱国は強国に使われることを言う。令は命令を出して人を使うことである。命を受けるは、人の命令を聞く。物は人のようなものである。女は娘を人に与えることである。呉は蛮夷の国である。景公は呉国と婚姻をすることを恥じたが、その力を恐れた。それで涙を流して娘を嫁がせた。


   通し番号 407 章内番号 3 章通し番号 68 識別番号 7_7_3
本文
  1今也小國師大國、2而恥受命焉、3是猶弟子而恥受命於先師也、
1 jīn yĕ xiaǒ guó shī dà guó 、2 ér chǐ shòu mìng yān 、3 shì yóu dì zǐ ér chǐ shòu mìng yú xiān shī yĕ 、
  今や小国は大国を師とす、而して(1)命を受くるを恥ず、是れ猶弟子にして(2)先師に(3)命を受くるを恥ずるがごときなり、
(1)命: 言いつけること  命、告也(命は、告なり)
(2)先師: 師 趙注は「譬猶弟子不從師也(譬えば猶弟子師に従わざるがごときなり)」としており、先師を師としている。先には「先立つ 導く」の意味がある。 先、猶道也(先は、猶道のごときなり) 道、叚借爲導(道は、叚借して導と爲す)
(3)命: 教え  命、猶敎也(命は、猶教のごときなり)(通し番号323-9朱注) 通し番号323-2に「夷子憮然爲閒曰、命之矣(夷子憮然ぶぜんとして間を爲して曰く、おしえり)」とある。

朱注
  1言小國不脩德以自強、2其般樂怠敖、3皆若效大國之所爲者、4而獨恥受其敎命、5不可得也、
1 yán xiaǒ guó bù xiū dé yǐ zì qiáng 、2 qí bān lè dài áo 、3 jiē ruò xiào dà guó zhī suǒ wéi zhě 、4 ér dú chǐ shòu qí jiaò mìng 、5 bù kĕ dé yĕ 、
  言えらく、小国徳を脩めて以て自ら強くせず、其れ(1)般楽はんらく(2)怠敖たいごうし、皆大国の爲す所に(3)ならう者の若し、而るに独り其(4)教命を受くることを恥ずるは、べからざるなり、
(1)般楽はんらく: 楽しみに楽しむ  般、旋也、般樂、樂而又樂之意(般は、旋なり、般楽は、楽しみて又楽しむの意なり 旋:めぐる)(伊藤仁斎) 通し番号174-1に「今國家閒暇、及是時般樂怠敖、是自求禍也(今国家間暇たり、是時に及び般楽はんらく怠敖たいごうすれば、是れ自ら禍を求めるなり)」とある。
(2)怠敖たいごう: 怠り遊ぶ  敖、遊也(敖、遊なり)
(3)ならう: ならう 效、象也(效、象なり)
(4)教命: 言いつけること  教、猶告也(教は、猶告のごときなり) 命、告也(命は、告なり)
朱注訳
次のように言う。小国が徳を修めて自らを強くしない。怠り遊び楽しみに楽しむ。これはみな大国のしていることを真似ているようだ。それでいて大国の命令を受けることだけは恥じる。しかしそういうことをしていると、大国の命令を受けざるを得ない。


   通し番号 408 章内番号 4 章通し番号 68 識別番号 7_7_4
本文
  1如恥之、2莫若師文王、3師文王、4大國五年、5小國七年、6必爲政於天下矣、
1 rú chǐ zhī 、2 mò ruò shī wén wáng 、3 shī wén wáng 、4 dà guó wŭ nián 、5 xiaǒ guó qī nián 、6 bì wéi zhèng yú tiān xià yǐ 、
  如し之を恥じれば、文王を師とするに(1)くは莫し、文王を師とすれば、大国は五年、小国は七年にして、必ず政を天下に爲す、
(1)く: しく 及ぶ  若、如也(若は、如なり) 通し番号574-4に「我豈若處畎畝之中、由是以樂堯舜之道哉(我豈畎畝けんぽの中にり、是に由り以て堯舜の道を楽しむことに若かんや)」とある。

朱注
  1此因其愧恥之心、2而勉以脩德也、3文王之政、4布在方策、5舉而行之、6所謂師文王也、7五年七年、8以其所乘之勢不同爲差、9蓋天下雖無道、10然脩德之至、11則道自我行、12而大國反爲吾役矣、13程子曰、14五年七年、15聖人度其時則可矣、16然凡此類、17學者皆當思其作爲如何、18乃有益耳、
1 cǐ yīn qí kuì chǐ zhī xīn 、2 ér miǎn yǐ xiū dé yĕ 、3 wén wáng zhī zhèng 、4 bù zaì fāng cè 、5 jŭ ér xíng zhī 、6 suǒ wèi shī wén wáng yĕ 、7 wŭ nián qī nián 、8 yǐ qí suǒ chéng zhī shì bù tóng wéi chà 、9 gaì tiān xià suī wú daò 、10 rán xiū dé zhī zhì 、11 zé daò zì wǒ xíng 、12 ér dà guó fǎn wéi wú yì yǐ 、13 chéng zǐ yuē 、14 wŭ nián qī nián 、15 shèng rén dù qí shí zé kĕ yǐ 、16 rán fán cǐ lèi 、17 xué zhě jiē dāng sī qí zuò wéi rú hé 、18 nǎi yoǔ yì ĕr 、
  此は其(1)恥の心に因りて、(2)すすめるに徳を脩めるを以てするなり、(3)文王の政は、(4)つらねて(5)方策に在り、(6)挙げて之を行うは、謂う所の文王を師とするなり、五年七年、其乗る所の勢同じからざるを以て差と爲す、蓋し天下道無しと雖も、然れども徳を脩めるの至りは、則ち道我り行わる、而して大国反て吾が(7)役と爲る、程子曰く、五年七年は、聖人其時をはかれば則ち可なり、然れども凡そ此類、学ぶ者皆当に其作爲如何を思うべければ、乃ち益有るのみ、
(1): 恥  愧、猶辱也(愧、猶辱のごときなり) 辱、恥也(じょく、恥なり) 通し番号193-1朱注に「此亦因人愧恥之心、而引之使志於仁也(此は亦人の恥の心に因りて、之を引きて仁にこころざさしめるなり)」とある。
(2)すすめる 勧める  勉、猶勸也(勉、猶勧なり)  通し番号244-13朱注に「責賈不能勉其君以遷善改過、而敎之以遂非文過也(其君にすすめるに善にうつり過を改めることを以てすること能わず、而して之に教えるに非をすすめ過をかざるを以てすることを責むるなり)」とある。
(3)文王の政は、つらねて方策に在り: ここは『中庸』を本にしている。『中庸』は「文武之政、布在方策(文武の政は、つらねて方策に在り)」になっている。
(4)つらねる: つらねる 言葉をならべる  布、列也(布、列なり)
(5)方策: 文書 方は板、策は竹ふだを綴じ合わしたもの  方、板也(方は、板なり) 策、篇簡也(策は、篇簡なり) 篇、謂書於簡冊可編者也(篇は、簡冊に書きてむべきものを謂う む:綴じ連ねる)
(6)挙ぐ: 用いる  擧、猶用也(挙、猶用のごときなり) 通し番号300-18朱注に「如有用我者、舉而措之耳(し我を用いる者有れば、挙げて之をくのみ)」とある。
(7)役: 使われるもの 通し番号706-49朱注に「心爲形役、乃獸乃禽(心が形の役と爲れば、乃ち獣なり乃ち禽なり)」とある。
朱注訳
これはその恥の心によりて徳を修めることを勧める。文王の政は文書にのっている。それを用いて行うのが文王を師とすることである。五年、七年と違うのは、その勢いが同じでないからである。天下は無道だが、徳を極限まで修めると、道は我より行われて大国がかえって私に使われることになる。程子は言う。五年、七年は、聖人がその時間を考えることは可である。しかしこういう類は学ぶ者はただ何をなすべきかを考えれば益がある。


   通し番号 409 章内番号 5 章通し番号 68 識別番号 7_7_5
本文
  1詩云、2商之孫子、3其麗不億、4上帝旣命、5侯于周服、6侯服于周、7天命靡常、8殷士膚敏、9祼將于京、10孔子曰、11仁不可爲衆也、12夫國君好仁、13天下無敵、
1 shī yún 、2 shāng zhī sūn zǐ 、3 qí lì bù yì 、4 shàng dì jì mìng 、5 hoú yú zhoū fù 、6 hoú fù yú zhoū 、7 tiān mìng mǐ cháng 、8 yīn shì fū mǐn 、9 guàn jiāng yú jīng 、10 kŏng zǐ yuē 、11 rén bù kĕ wéi zhòng yĕ 、12 fū guó jūn haò rén 、13 tiān xià wú dí 、
  詩に云う、商の(1)孫子、其(2)かず(3)億のみならず、(4)上帝既に命ず、(5)これ周に服す、これ周に服すは、天命常(6)し、(7)殷士(8)(9)敏なるは、(10)京に(11)かんして(12)たすく、孔子曰く、仁には衆を爲すべからざるなり、それ国君仁を好めば、天下敵無し、
(1)孫子: 子孫  孫子、子孫也(孫子、子孫なり) 通し番号91-7朱注に「大王、公劉九世孫(大王は、公劉の九世の孫なり)」とある。
(2)かず: 数(朱注)
(3)億: 十万(朱注)
(4)上帝: 天の神 天帝
(5)これ: 発語の辞(朱注)
(6)し: ない 打ち消しの助辞  靡、一曰、無也(は、一に曰く、無なり) 通し番号554-27に「周餘黎民、靡有孑遺(周ののち黎民れいみんけつ有ることし)」とある。
(7)殷: 商のこと 朱子は商士として説明している。湯王が夏の桀を滅ぼして建てた王朝名は商である。第19代王である盤庚ばんこうの時にはくに遷都し、王朝名を殷に変更した。紀元前1122年、第30代王の紂の時に滅んだ。この王朝名は商と言ったり殷と言ったりする。
(8): 大きい(朱注) 中村惕斎は才徳が大きいとしている。体格が大きいと取っては意味が通じにくい。
(9)敏: 達している(朱注)
(10)京: 都(朱注) 君子の居城のある土地 京とは周の京師をさす(中村惕斎)京師は都のことである。
(11)かん: 宗廟の祭で鬱鬯うつちょうの酒を地に注ぎ、神を降す(朱注)
(12)たすく: 助ける(朱注)

朱注
  1祼、2音灌、3夫、4音扶、5好、6去聲、7○詩、8大雅文王之篇、9孟子引此詩及孔子之言、10以言文王之事、11麗、12數也、13十萬曰億、14侯、15維也、16商士、17商孫子之臣也、18膚、19大也、20敏、21達也、22祼、23宗廟之祭、24以鬱鬯之酒灌地而降神也、25將、26助也、27言商之孫子衆多、28其數不但十萬而已、29上帝旣命周以天下、30則凡此商之孫子、31皆臣服于周矣、32所以然者、33以天命不常、34歸于有德故也、35是以商士之膚大而敏達者、36皆執祼獻之禮、37助王祭事于周之京師也、38孔子因讀此詩而言、39有仁者則雖有十萬之衆、40不能當之、41故國君好仁、42則必無敵於天下也、43不可爲衆、44猶所謂難爲兄難爲弟云爾、
1 guàn 、2 yīn guàn 、3 fū 、4 yīn fú 、5 haò 、6 qù shēng 、7 ○ shī 、8 dà yǎ wén wáng zhī piān 、9 mèng zǐ yǐn cǐ shī jí kŏng zǐ zhī yán 、10 yǐ yán wén wáng zhī shì 、11 lì 、12 shù yĕ 、13 shí wàn yuē yì 、14 hoú 、15 wéi yĕ 、16 shāng shì 、17 shāng sūn zǐ zhī chén yĕ 、18 fū 、19 dà yĕ 、20 mǐn 、21 dá yĕ 、22 guàn 、23 zōng miaò zhī jì 、24 yǐ yù chàng zhī jiŭ guàn dì ér jiàng shén yĕ 、25 jiāng 、26 zhù yĕ 、27 yán shāng zhī sūn zǐ zhòng duō 、28 qí shù bù dàn shí wàn ér yǐ 、29 shàng dì jì mìng zhoū yǐ tiān xià 、30 zé fán cǐ shāng zhī sūn zǐ 、31 jiē chén fù yú zhoū yǐ 、32 suǒ yǐ rán zhě 、33 yǐ tiān mìng bù cháng 、34 guī yú yoǔ dé gù yĕ 、35 shì yǐ shāng shì zhī fū dà ér mǐn dá zhě 、36 jiē zhí guàn xiàn zhī lǐ 、37 zhù wáng jì shì yú zhoū zhī jīng shī yĕ 、38 kŏng zǐ yīn dú cǐ shī ér yán 、39 yoǔ rén zhě zé suī yoǔ shí wàn zhī zhòng 、40 bù néng dāng zhī 、41 gù guó jūn haò rén 、42 zé bì wú dí yú tiān xià yĕ 、43 bù kĕ wéi zhòng 、44 yóu suǒ wèi nán wéi xiōng nán wéi dì yún ĕr 、
  祼、音は灌、夫、音は扶、好、去声、○詩、大雅文王の篇、孟子此詩を引き孔子の言に及び、以て文王の事を言う、麗は、数なり、十万を億と曰う、侯は、(1)維なり、商士は、商の孫子の臣なり、膚は、大なり、敏は、達なり、かんは、宗廟の祭に、(2)鬱鬯うつちょうの酒以て地に(3)そそぎて神を降すなり、將は、助なり、言えらく、商の孫子衆多なり、其数ただ十万のみならず、上帝既に周に命じるに天下以てす、則ち凡そ此商の孫子、皆周に臣服す、以て然る所は、天命常ならず、有徳に帰する故を以てなり、是を以て商士の膚大にして敏達なる者は、皆かん献の礼をり、王の祭事を周の(4)京師に助けるなり、孔子此詩を読むに因りて言う、仁有る者なれば則ち十万の衆有ると雖も、之に(5)てきすること能わず、故に国君仁を好めば、則ち必ず天下に敵無きなり、衆を爲すべからざるは、猶謂う所の兄と爲り難く弟と爲り難しのごとし(6)(云爾)、
(1)維: 発語の辞
(2)鬱鬯うつちょう: くろきびを原料にしてつくった酒が鬯である。鬱金草うっこんそうというにおいのある草をついて煮たものが鬱である。鬱を鬯に加えたのが鬱鬯である。 醸黒黍爲酒曰鬯、築芳草以煮曰鬱、以鬱合鬯爲鬱鬯(黒黍こくしょかもし酒をつくるをちょうと曰う、芳草をき以て煮るをうつと曰う、鬱以て鬯に合わせ鬱鬯をつくる 築、所以擣也(築は、以てく所なり))
(3)そそぐ: 注ぐ  注、灌也(注は、灌なり)
(4)京師: 都  京、高丘也、師、衆也、京師、高山而師居也、董氏曰、所謂京師者、蓋起於此、其後、世因以所都爲京也(京は、高丘なり、師は、衆なり、京師は、高山にしておおく居るなり、とう氏曰く、謂う所の京師は、蓋し此より起こり、其後、世因りて都する所を以て京と爲すなり)
(5)てきする: 敵する  当、敵也(当は敵なり)
(6)(云爾): 文を収める辞 通し番号900-2に「是猶或紾其兄之臂、子謂之姑徐徐云爾(是れ猶或るひと其兄のうでねじるに、子之にしばらく徐徐にせよと謂うがごとし(云爾))」とある。
朱注訳
祼は音は灌である。夫は音は扶である。好は去声である。詩は大雅の文王の篇である。孟子はこの詩を引用して孔子の言葉に言及して、文王のことを言う。麗は数である。十万を億と言う。侯はこれである。商士は商の子孫の臣である。膚は大である。敏は達である。かんは宗廟の祭りで鬱鬯うつちょうという酒を地に注いで神を降ろすのである。将は助である。次のように言う。商(殷)の子孫は多くてその数は十万だけでない。上帝はすでに周に天下を命じたので、商(殷)の子孫はみな周に臣として服した。天命は常なく、徳がある所に帰するからである。商(殷)の子孫の才徳が優れ敏達な者はみなかん献の礼をして、王の祭事を周の都で助けた。孔子はこの詩を読んで言う。仁者には十万の衆がいても敵対することができない。だから国君が仁を好めば必ず天下に敵がない。衆を爲すべからざるは、兄と爲り難く、弟と爲り難いと言うようなものである。


   通し番号 410 章内番号 6 章通し番号 68 識別番号 7_7_6
本文
  1今也欲無敵於天下、2而不以仁、3是猶執熱而不以濯也、4詩云、5誰能執熱、6逝不以濯、
1 jīn yĕ yù wú dí yú tiān xià 、2 ér bù yǐ rén 、3 shì yóu zhí rè ér bù yǐ zhuó yĕ 、4 shī yún 、5 shéi néng zhí rè 、6 shì bù yǐ zhuó 、
  今や天下に敵無きを欲して、仁以てせず、(1)是れ猶熱きを(2)る、而るに以て(3)あらわざるがごときなり、詩に云う、誰か能く熱きを執るに、(4)ここに以てあらわざる、
(1)是猶執熱而不以濯也(是れ猶熱きをる、而るに以てあらわざるがごときなり): 「熱いものを持つ時には手を水で洗う」という意味である。水で手を洗って熱いものを持てばやけどしない。熱いものを持ったからやけどがひどくならないように手を水で洗うという意味ではない。災いが起こる前に処置をするのが賢人である。 將執熱物、必先濯其手、則熱不能傷手也(将に熱い物を執らんとすれば、必ず先其手をあらう、則ち熱が手を傷つけること能わざるなり)(安井息軒)
(2)る: とる 持つ  執、持也(執は、持なり) 通し番号628-5朱注に「質者、士執雉、庶人執鶩、相見以自通者也(質なるものは、士はきじり、庶人はあひるを執り、相まみえ以て自らを通じるものなり)」とある。
(3)あらう: 洗う  洗、濯也(洗、たくなり) 通し番号313-20に「江漢以濯之(江漢以て之をあらう)」とある。
(4)ここに: 語助(朱注)

朱注
  1恥受命於大國、2是欲無敵於天下也、3乃師大國、4而不師文王、5是不以仁也、6詩、7大雅桑柔之篇、8逝、9語辭也、10言誰能執持熱物、11而不以水自濯其手乎、12○此章言不能自強、13則聽天所命、14脩德行仁、15則天命在我、
1 chǐ shòu mìng yú dà guó 、2 shì yù wú dí yú tiān xià yĕ 、3 nǎi shī dà guó 、4 ér bù shī wén wáng 、5 shì bù yǐ rén yĕ 、6 shī 、7 dà yǎ sāng róu zhī piān 、8 shì 、9 yŭ cí yĕ 、10 yán shéi néng zhí chí rè wù 、11 ér bù yǐ shuǐ zì zhuó qí shoǔ hū 、12 ○ cǐ zhāng yán bù néng zì qiáng 、13 zé tīng tiān suǒ mìng 、14 xiū dé xíng rén 、15 zé tiān mìng zaì wǒ 、
  命を大国に受けるを恥ず、是れ天下に敵無きを欲するなり、(1)しかるに大国を師として、文王を師とせず、是れ仁以てせざるなり、詩は、大雅桑柔の篇、(2)逝は、語辞なり、言えらく、誰か能く熱き物を執り持つ、而るに水以て自ら其手をあらわざるや、○此章言えらく、自ら強くすること能わざれば、則ち天の命ずる所を聴く、徳を脩め仁を行えば、則ち天命我に在り、
(1)しかるに: 而に同じ  乃、猶而也(乃、猶而のごときなり) 通し番号142-9朱注に「孟子言告子未爲知道、乃能先我不動心、則此亦未足爲難也(孟子言えらく、告子未だ道を知ると爲さず、しかるに能く我に先だちて心を動かさず、則ち此亦未だ難とるに足らざるなり)」とある。
(2)逝は、語辞なり: 語辞は語助の意味で使っている。 逝、發語辭(逝は発語の辞なり)
朱注訳
命令を大国に受けるのを恥じるのは、天下に敵がないことを望むのである。大国を師とし、文王を師としないのは不仁である。詩は大雅の桑柔の篇である。逝は語助である。熱い物を持つのに、水で手を洗わない者があろうかと言う。この章は言う。自ら強くすることができないなら、天の命ずる所を聞く。徳を修め仁を行うと天の命は我にある。

  明治維新の頃、世界最強の強国、世界最大の大国はイギリスであった。その富の源泉は植民地である。アジア、アフリカ、オセアニアと世界の各地にまたがる広大な植民地がその帝国を支えた。イギリスには及ばないが、フランス、ドイツ、ロシアも強国であった。日本はこれらの列強にならい、国力を高めようとした。産業を興し軍備を整え植民地を得ようとした。朝鮮や中国に進出したのはこれである。孟子の言う「小国は大国を師とする」である。日清戦争で遼東半島を得た。ところがロシア、フランス、ドイツの三国が口出しし、遼東半島を清に返させた。国民はこれを屈辱と感じた。孟子の言う「小国は大国を師として、命を受くるを恥ず」である。第一次世界大戦後、イギリスの国力は落ち、第二次世界大戦後は植民地が相次いで独立したため、イギリスはますます国力が落ち、アメリカが最大の大国となった。その富の源泉は技術である。いろいろな製品を作りそれを売りまくって莫大な富を集めた。またその技術で強力な武器を作りそれで世界を威嚇した。自動車、テレビ、冷蔵庫、エアコン、化学繊維、パソコン、スマートフォンと、今まで考えられなかったような製品が次々と出て来た。これらはアメリカから生まれたものが多い。なぜか。アメリカは移民の国であり、移民しやすく、また優秀な人を高給で雇った。それで世界中の優秀な人がアメリカに集まった。こういう人たちが次々と革新的な製品を作り出した。
  日本が明治維新の頃、当時の大国、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアにならわず、文王にならう政治をしていたらどうなっただろうか。仁に務め、軍備などには金を使わず、その金を減税にあて、税を収入の十分の一にする。すると日本は慈愛にあふれた国で、犯罪も少なく、しかも税金が安いので実収入が多いと、世界中の優秀な人が日本に集まったに違いない。すると日本で次々と技術革新がなされ、画期的な製品が次々と生み出されただろう。それを売りまくることで莫大な富が日本に集まったはずである。

7 離婁章句上 章番号 8 章通し番号 69
本文訳
  孟子は言う。不仁の者とは話をすることができない。危ないものに安んじており、災いを利としている。不仁の者と話をすることができるなら、国が滅亡し家が没落することがあろうか。子供が歌う。「滄浪そうろうの水が澄んでいると、冠の紐を洗う。滄浪そうろうの水が濁っていると足を洗う。」孔子は言う。「君たち、よく聞きなさい。水が澄んでいると冠の紐を洗い、水が濁っていると足を洗う。自分からすることだ。」 人は必ずまず自分が人を侮る。その後に人がこちらを侮る。家は必ずまず自分がこわす。その後に人が家をこわす。国はまず自分が自分の国を攻撃する。その後に人が攻撃する。太甲に言う。「天がなす災いはまだ避けることができる。自らなす災いは生きのびることができない。」このことを言うのである。

   通し番号 411 章内番号 1 章通し番号 69 識別番号 7_8_1
本文
  1孟子曰、2不仁者、3可與言哉、4安其危而利其菑、5樂其所以亡者、6不仁而可與言、7則何亡國敗家之有、
1 mèng zǐ yuē 、2 bù rén zhě 、3 kĕ yŭ yán zāi 、4 ān qí weī ér lì qí zāi 、5 lè qí suǒ yǐ wáng zhě 、6 bù rén ér kĕ yŭ yán 、7 zé hé wáng guó baì jiā zhī yoǔ 、
  孟子曰く、不仁者、ともに言うべきや、其あやうきに安んじて其(1)わざわいを利とす、其の以て亡ぶ所のものを楽しむ、不仁にしてとも言うべければ、則ち(2)何ぞ国を亡ぼし家を敗ること之有らん、
(1)わざわい: 災い 菑は災と同じ(朱注) 通し番号300-48朱注に「救菑卹患(を救い患をうれう)」とある。
(2)何ぞ国を亡ぼし家を敗ること之有らん: 「何有亡國敗家」で「有」の目的語の「亡國敗家」を前に出して強調したから、之を置いた。

朱注
  1菑、2與災同、3樂、4音洛、5○安其危利其菑者、6不知其爲危菑、7而反以爲安利也、8所以亡者、9謂荒淫暴虐、10所以致亡之道也、11不仁之人、12私欲固蔽、13失其本心、14故其顚倒錯亂至於如此、15所以不可告以忠言、16而卒至於敗亡也、
1 zāi 、2 yŭ zāi tóng 、3 lè 、4 yīn luò 、5 ○ ān qí weī lì qí zāi zhě 、6 bù zhī qí wéi weī zāi 、7 ér fǎn yǐ wéi ān lì yĕ 、8 suǒ yǐ wáng zhě 、9 wèi huāng yín bào nüè 、10 suǒ yǐ zhì wáng zhī daò yĕ 、11 bù rén zhī rén 、12 sī yù gù bì 、13 shī qí bĕn xīn 、14 gù qí diān daò cuò luàn zhì yú rú cǐ 、15 suǒ yǐ bù kĕ gaò yǐ zhōng yán 、16 ér zú zhì yú baì wáng yĕ 、
  は、災と同じ、楽、音は洛、○其危に安んじ其菑を利とするは、其危と爲るを知らずして、かえって以て安利と爲すなり、以て亡ぶ所は、(1)(2)荒淫暴虐にして、以て亡を致す所の道を謂うなり、不仁の人、私欲固よりおおい、其本心を失う、故に其顚倒錯乱此如きに至る、忠言以て告ぐべからずして、(3)ついに敗亡に至る所以なり、
(1)荒淫暴虐: 通し番号103-5朱注に「害仁者、凶暴淫虐、滅絶天理、故謂之賊、害義者、顚倒錯亂、傷敗彝倫、故謂之殘(仁を害する者、凶暴淫虐、天理を滅絶す、故に之を賊と謂う、義を害する者、顚倒てんとう錯乱、彝倫いりんを傷敗す、故に之を残と謂う)」とあり、凶暴淫虐で仁を害するのがここの暴虐で、顚倒錯乱で義を害するのが、ここの荒淫にあたると思われる。
(2)荒淫: まどい乱れる 荒にも淫にも「まどい乱れる」の意味がある。 荒、叚借爲妄(荒、叚借して妄と爲す) 迷亂曰荒(迷乱荒と曰う)  淫、亂也(淫は、乱なり) 淫、惑也(淫は、惑なり)
(3)ついに: ついに 後に  卒、後也(卒、後なり) 通し番号963-4に「善搏虎、卒爲善士(善く虎をつ、ついに善士と爲る)」とある。
朱注訳
は、災と同じ。楽は音は洛である。其危に安んじ其菑を利とするは、それが危なく災いとなることを知らず、反って安らかで利をもたらすものとすることである。亡ぶ所以は、惑乱、暴虐をなして滅亡する道である。不仁の人は私欲がもとよりおおい、その本心を失っている。それでこのように転倒錯乱している。忠告することができず、結局滅亡することになるわけである。


   通し番号 412 章内番号 2 章通し番号 69 識別番号 7_8_2
本文
  1有孺子、2歌曰、3滄浪之水淸兮、4可以濯我纓、5滄浪之水濁兮、6可以濯我足、
1 yoǔ rú zǐ 、2 gē yuē 、3 cāng làng zhī shuǐ qīng xī 、4 kĕ yǐ zhuó wǒ yīng 、5 cāng làng zhī shuǐ zhuó xī 、6 kĕ yǐ zhuó wǒ zú 、
  (1)孺子じゅし有り、歌いて曰く、滄浪そうろうの水めば(2)(兮)、以て我(3)えい(4)あらうべし、滄浪の水濁にごらば、以て我足をあらうべし、
(1)孺子じゅし: 子供  趙注は「孺子、童子也(孺子、童子なり)」とする。 通し番号185-2に「今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心(今人たちまち孺子じゅしの将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕じゅつてき惻隱そくいんの心有り)」とある。
(2)兮: 助辞 一時語勢をとどめる。  兮、語所稽也(けい、語のとどまる所なり)
(3)えい: 冠のひも(朱注)
(4)あらう: 洗う  洗、濯也(洗、たくなり) 通し番号410-5に「誰能執熱、逝不以濯(誰か能く熱きを執るに、ここに以てあらわざる」とある。

朱注
  1浪、2音郎、3○滄浪、4水名、5纓、6冠系也、
1 làng 、2 yīn láng 、3 ○ cāng làng 、4 shuǐ míng 、5 yīng 、6 guàn xì yĕ 、
  浪は、音郎、○滄浪は、(1)水の名、纓は、冠の(2)系なり、
(1)水: 水の流れている所、水のたまっている所、つまり、川、池、湖、海 この場合は川の意味
(2)系: ひも 冠につなぐもの  説文解字は「纓、冠系也(纓、冠系なり)」となっており、段玉裁は「冠系、可以系冠者也、系者、係也、以二組係於冠、巻結頤下、是謂纓(冠系は、以て冠につなぐべきものなり、系は、つなぐなり、二組以て冠につなぎ、あごの下に巻いて結ぶ、是れ纓と謂う)」と注す。
朱注訳
浪は音は郎である。滄浪は河の名前である。纓は冠の紐である。


   通し番号 413 章内番号 3 章通し番号 69 識別番号 7_8_3
本文
  1孔子曰、2小子聽之、3淸斯濯纓、4濁斯濯足矣、5自取之也、
1 kŏng zǐ yuē 、2 xiaǒ zǐ tīng zhī 、3 qīng sī zhuó yīng 、4 zhuó sī zhuó zú yǐ 、5 zì qŭ zhī yĕ 、
  孔子曰く、(1)小子之を聴け、めば(2)すなわえいあらう、濁ればすなわち足を濯う、自ら之を取るなり、
(1)小子: 弟子 師が門人を呼ぶ言葉 趙注は「小子、孔子弟子也(小子は、孔子の弟子なり)」とする。
(2)すなわち: すなわち ここに  斯、猶則也(、猶則なり) 通し番号416-7に「得其民、斯得天下矣(其民を得れば、すなわち天下を得る)」とある。

朱注
  1言水之淸濁、2有以自取之也、3聖人聲入心通、4無非至理、5此類可見、
1 yán shuǐ zhī qīng zhuó 、2 yoǔ yǐ zì qŭ zhī yĕ 、3 shèng rén shēng rù xīn tōng 、4 wú feī zhì lǐ 、5 cǐ lèi kĕ jiàn 、
  水の清濁、以て自ら之を取ること有るを言うなり、聖人は声入りて心に通ず、至理に非ざる無し、此類見るべし、
朱注訳
水の淸濁に対し、自らが取ることがあることを言う。聖人は声が入ってくると心に通じて至理でないものはない。この類を見ることができる。


   通し番号 414 章内番号 4 章通し番号 69 識別番号 7_8_4
本文
  1夫人必自侮、2然後人侮之、3家必自毀、4而後人毀之、5國必自伐、6而後人伐之、
1 fū rén bì zì wŭ 、2 rán hòu rén wŭ zhī 、3 jiā bì zì huǐ 、4 ér hòu rén huǐ zhī 、5 guó bì zì fá 、6 ér hòu rén fá zhī 、
  それ人必ず自ら侮る、然る後人之を侮る、家必ず自らやぶる、而して後人之を(1)やぶる、国必ず自らつ、而して後人之をつ、
(1)やぶる: やぶる  毀、敗也(、敗なり) 通し番号342-3に「毀瓦畫墁(瓦するにやぶまんするに画す)」とある。

朱注
  1夫、2音扶、3○所謂自取之者、
1 fū 、2 yīn fú 、3 ○ suǒ wèi zì qŭ zhī zhě 、
  夫、音扶、○謂う所の自ら之を取るものなり、
朱注訳
夫は音は扶である。言う所の自らこれを取るである。


   通し番号 415 章内番号 5 章通し番号 69 識別番号 7_8_5
本文
  1太甲曰、2天作孼、3猶可違、4自作孼、5不可活、6此之謂也、
1 tài jiǎ yuē 、2 tiān zuò niè 、3 yóu kĕ wéi 、4 zì zuò niè 、5 bù kĕ huó 、6 cǐ zhī wèi yĕ 、
  (1)太甲に曰く、天のせる(2)わざわいなお(3)くべし、自らせるわざわい(4)くべからず、此を之うなり、
(1)太甲: 書経の商書の篇名  太甲、商書篇名(太甲、商書の篇名なり)(通し番号176-14朱注)
(2)わざわい: 災い  孼、禍也(げつ、禍なり)(通し番号176-16朱注)
(3)く: 避ける  違、避也(違、避なり)(通し番号176-18朱注)
(4)く: 生きる  活、生也(活、生なり)(通し番号176-20朱注)

朱注
  1解見前篇、2○此章言、3心存、4則有以審夫得失之幾、5不存、6則無以辨於存亡之著、7禍福之來、8皆其自取、
1 jiě jiàn qián piān 、2 ○ cǐ zhāng yán 、3 xīn cún 、4 zé yoǔ yǐ shĕn fū dé shī zhī jǐ 、5 bù cún 、6 zé wú yǐ biàn yú cún wáng zhī zhù 、7 huò fú zhī laí 、8 jiē qí zì qŭ 、
  解(1)前篇に見ゆ、○此章言えらく、心存すれば、則ち以て(2)その得失の(3)(4)つまびらかにすること有り、存さざれば、則ち以て存亡の(5)著を(6)べんずること無し、禍福の来る、皆其自ら取る、
(1)前篇: 公孫丑章句上 通し番号176-4
(2)その: その 夫、指事之辭也(夫、事を指すの辞なり) 通し番号507-21に「夫尹公之他端人也(その尹公之他は端人なり)」とある。
(3): かすか きざし  幾者、去无入有、有理而未形、不可以名尋、不可以形覩者也(幾は、を去り有に入り、理有りて未だ形せず、名以てたずねるべからず、形以てるべからざるものなり :無 覩:見る) 通し番号91-61朱注に「而剖析於幾微之際(微の際を剖析す)」とある。
(4)つまびらかにする: つまびらかにする 知り尽す  審、悉也(審、悉なり)  通し番号488-9朱注に「學者於此不可以不審也(学ぶ者は此に於て以てつまびらかにせざるべからざるなり)」とある。
(5)著: 明らか  著、明也(著、明なり)
(6)べんず; 区別する  辨、別也(辨、別なり)
朱注訳
解説は前篇にある。この章は言う。心が存していると、得失の有無を詳らかにすることができる。心が存していないと、存亡が明らかなものでもわからない。禍福が来るのはみな自分が取っているのである。

  「心が存していると得失の機微を得る、心が存していないと存亡が明らかなものでもわからない。」という朱子の言葉は感銘深い。欲や間違った情報で心が乱されると明らかなものでもわからなくなる。国を滅ぼすのに武力はいらない。欲や間違った情報でその心を乱し、心が存しないようにすれば、明らかに滅亡する道であってもわからなくなる。必然の結果として滅亡する。これは一個人の場合も同じである。

7 離婁章句上 章番号 9 章通し番号 70
本文訳
  孟子が言う。桀紂が天下を失ったのは、民を失ったからである。民を失ったのは、民の心を失ったのである。天下を得るには道がある。民を得れば天下を得る。民を得るには道がある。民の心を得れば民を得る。民の心を得るには道がある。望む物を与え、望む物が集まるようにし、嫌がることはしないことだ。民が仁に帰するのは、水が下に流れ、野獣が広野を走るようなものである。深い水に魚を駆るのはかわうそである。樹木の茂った林にすずめを駆るのははやぶさである。湯王、武王に民を駆るのは桀紂である。今、天下の君で仁を好む者がおれば、諸侯はその君のために民を駆るだろう。仁を好む君なら、天下の王になりたくないと思っても天下の王になってしまう。今の天下の王になりたいと願う者は、七年も病気をしているのに、三年もののもぐさを求めるようなものである。前もって蓄えておかないから、三年ものしかないのである。蓄えておかないと、一生得ることができない。仁に志さないと、一生憂えて辱められ、ついに死し滅ぶ。詩経に言う。「どうしてよかろうか。ともに溺れている。」このことを言っている。

   通し番号 416 章内番号 1 章通し番号 70 識別番号 7_9_1
本文
  1孟子曰、2桀紂之失天下也、3失其民也、4失其民者、5失其心也、6得天下有道、7得其民、8斯得天下矣、9得其民有道、10得其心、11斯得民矣、12得其心有道、13所欲與之聚之、14所惡勿施爾也、
1 mèng zǐ yuē 、2 jié zhòu zhī shī tiān xià yĕ 、3 shī qí mín yĕ 、4 shī qí mín zhě 、5 shī qí xīn yĕ 、6 dé tiān xià yoǔ daò 、7 dé qí mín 、8 sī dé tiān xià yǐ 、9 dé qí mín yoǔ daò 、10 dé qí xīn 、11 sī dé mín yǐ 、12 dé qí xīn yoǔ daò 、13 suǒ yù yŭ zhī jù zhī 、14 suǒ è wù shī ĕr yĕ 、
  孟子曰く、桀紂の天下を失なうや、其民を失なうなり、其民を失うは、其心を失なうなり、天下を得るに道有り、其民を得れば、(1)すなわち天下を得る、其民を得るに道有り、其心を得れば、斯ち民を得る、其心を得るに道有り、欲する所は之を与え之を(2)あつむ、にくむ所は施すこと(3)のみなり、
(1)すなわち: すなわち ここに 斯、猶則也(、猶則なり) 通し番号15-10に「王無罪歳、斯天下之民至焉(王歳を罪とすること無ければ、斯ち天下の民至る)」とある。
(2)あつむ: 集める  集、聚也(集、しゅうなり)  通し番号137-10に「民不改聚矣(民改めあつめず)」とある。
(3)のみ: のみ  爾、猶而已也(爾、猶而已のごときなり) 通し番号272-9朱注に「堯舜則無私欲之蔽、而能充其性爾(堯舜則ち私欲のへい無くて、能く其性をたすのみ)」とある。

朱注
  1惡、2去聲、3○民之所欲、4皆爲致之、5如聚斂然、6民之所惡、7則勿施於民、8鼂錯所謂人情莫不欲壽、9三王生之而不傷、10人情莫不欲富、11三王厚之而不困、12人情莫不欲安、13三王扶之而不危、14人情莫不欲逸、15三王節其力而不盡、16此類之謂也、
1 è 、2 qù shēng 、3 ○ mín zhī suǒ yù 、4 jiē wèi zhì zhī 、5 rú jù liǎn rán 、6 mín zhī suǒ è 、7 zé wù shī yú mín 、8 cháo cuò suǒ wèi rén qíng mò bù yù shòu 、9 sān wáng shēng zhī ér bù shāng 、10 rén qíng mò bù yù fù 、11 sān wáng hòu zhī ér bù kùn 、12 rén qíng mò bù yù ān 、13 sān wáng fú zhī ér bù weī 、14 rén qíng mò bù yù yì 、15 sān wáng jié qí lì ér bù jìn 、16 cǐ lèi zhī wèi yĕ 、
  悪、去声、○民の欲する所は、爲に皆之を致すことが、(1)聚斂しゅうれんするが如き(2)なり、民の悪む所は、則ち民に施すことし、(3)鼂錯ちょうそ謂う所は、人情(4)寿を欲さざるし、(5)三王之を生かして傷けず、人情富を欲さざる莫し、三王之を(6)厚くして(7)とぼしくせず、人情安を欲せざる莫し、三王之をたすけて危うくせず、人情(8)いつを欲せざる莫し、三王其力を(9)節し尽さず、此類のいいなり、
(1)聚斂しゅうれん: 集める  聚にも斂にも「集める」の意味がある。 斂、聚也(斂、聚なり)
(2)然: なり  然、猶也也 決定之詞(然、猶也のごときなり 決定の詞なり) 通し番号234-10に「木若以美然(木以はなはだ美なるが若きなり」とある。
(3)鼂錯ちょうそ: 前漢の人 法家を学び、御史大夫(副丞相)となったが、呉楚七国の乱が起き処刑された。
(4)寿: いのち
(5)三王: 禹、湯、文武のこと 文王、武王を合わせて一つと数えている。 三王、禹也、湯也、文武也(三王は、禹なり、湯なり、文武なり)(通し番号499-1朱注) 通し番号499-1に「周公思兼三王、以施四事(周公は三王を兼ねて、以て四事を施すことを思う)」とある。
(6)厚くす: 多くする 増やす  厚、猶多也(厚、猶多のごときなり) 通し番号297-14朱注に「又有餘夫之田、以厚野人也(又余夫の田有り、以て野人を厚くするなり)」とある。
(7)とぼし: とぼしい 貧しい  困、乏也(困、乏なり)
(8)いつ: らく  逸、樂也(逸、楽なり) 通し番号308-5に「飽食、煖衣、逸居而無敎、則近於禽獸(飽食、煖衣だんい逸居いっきょして教えること無ければ、則ち禽獣に近し)」とある。
(9)節す: 制限する  節、謂限禁也(節は限禁を謂うなり) 通し番号918-3朱注に「愛、謂取之有時、用之有節(愛は、之を取るに時有り、之を用いるに節有るを謂う)」とある。

朱注訳
悪は去声である。民が願うものは、みな集まるようにする。民が嫌うことはしないようにする。鼂錯ちょうそは言う。命がほしくない者はいない。三王は人を生かして傷つけない。人は富がほしくない者はいない。三王は民の所有物を増やし、物が乏しくないようにする。人は安を願わない者はいない。三王は人を助けて危うくしない。人は楽を願わない者はいない。三王は民の力を使うのを制限し使い尽さない。この類を言っている。


   通し番号 417 章内番号 2 章通し番号 70 識別番号 7_9_2
本文
  1民之歸仁也、2猶水之就下、3獸之走壙也、
1 mín zhī guī rén yĕ 、2 yóu shuǐ zhī jiù xià 、3 shòu zhī zoǔ kuàng yĕ 、
  民の仁に帰するや、猶水の下にき、獣のこうを走るがごときなり、
(1)こう: 広野(朱注)

朱注
  1走、2音奏、3○壙、4廣野也、5言民之所以歸乎此、6以其所欲之在乎此也、
1 zoǔ 、2 yīn zoù 、3 ○ kuàng 、4 guǎng yĕ yĕ 、5 yán mín zhī suǒ yǐ guī hū cǐ 、6 yǐ qí suǒ yù zhī zaì hū cǐ yĕ 、
  走、音は奏、○壙、広野なり、言えらく、民の此に帰す所以は、其欲する所の此に在るを以てなり、
朱注訳
走は音は奏である。壙は広野である。民がここに帰するのは、民がほしがるものがここにあるからである。


   通し番号 418 章内番号 3 章通し番号 70 識別番号 7_9_3
本文
  1故爲淵敺魚者、2獺也、3爲叢敺爵者、4鸇也、5爲湯武敺民者、6桀與紂也、
1 gù wèi yuān qū yú zhě 、2 tǎ yĕ 、3 wèi cóng qū jué zhě 、4 zhān yĕ 、5 wèi tāng wŭ qū mín zhě 、6 jié yŭ zhòu yĕ 、
  故に(1)淵の爲に魚を(2)るものは、(3)かわうそなり、(4)叢の爲に(5)すずめを敺るものは、(6)はやぶさなり、湯武の爲に民をるものは、桀と紂なり、
(1)淵: 深い水(朱注)
(2)る: 駆る 敺と駆は同じ(朱注)
(3)かわうそ: かわうそ 食肉目イタチ科カワウソ亜科の動物。肉食性であり、ザリガニ、カエル、魚などを捕まえて食べる。
(4)叢: 樹木の茂った林(朱注)
(5)すずめ: すすめ 爵と雀は同じ(朱注)
(6)はやぶさ: はやぶさ

朱注
  1爲、2去聲、3敺、4與驅同、5獺、6音闥、7爵、8與雀同、9鸇、10諸延反、11○淵、12深水也、13獺、14食魚者也、15叢、16茂林也、17鸇、18食雀者也、19言民之所以去此、20以其所欲在彼而所畏在此也、
1 wèi 、2 qù shēng 、3 qū 、4 yŭ dàn tóng 、5 tǎ 、6 yīn tà 、7 jué 、8 yŭ qiāo tóng 、9 zhān 、10 zhū yán fǎn 、11 ○ yuān 、12 shēn shuǐ yĕ 、13 tǎ 、14 shí yú zhě yĕ 、15 cóng 、16 maò lín yĕ 、17 zhān 、18 shí qiāo zhě yĕ 、19 yán mín zhī suǒ yǐ qù cǐ 、20 yǐ qí suǒ yù zaì bǐ ér suǒ wèi zaì cǐ yĕ 、
  爲、去声、敺、駆と同じ、獺、音は闥、爵、雀と同じ、鸇、諸延反、○淵、深水なり、獺、魚を食べるものなり、叢、(1)茂林なり、鸇、雀を食うものなり、言えらく、民の此を去る所以は、其欲する所は彼に在りて畏れる所は此に在るを以てなり、
(1)茂林: 樹木の茂った林
朱注訳
爲は去声である。敺は駆と同じ。獺は音は闥である。爵は雀と同じ。鸇は諸延反である。淵は深い水である。獺は魚を食べるものである。叢は樹木の茂った林である。鸇は雀を食うものである。次のように言う。民がここを去るのは、望むものがむこうにあり、恐れるものがここにあるからである。


   通し番号 419 章内番号 4 章通し番号 70 識別番号 7_9_4
本文
  1今天下之君、2有好仁者、3則諸侯皆爲之敺矣、4雖欲無王、5不可得已、
1 jīn tiān xià zhī jūn 、2 yoǔ haò rén zhě 、3 zé zhū hoú jiē wèi zhī qū yǐ 、4 suī yù wú wàng 、5 bù kĕ dé yǐ 、
  今天下の君、仁を好む者有れば、則ち諸侯皆之が爲にる、王たること無からんと欲すと雖も、得べからざるのみ、


朱注
  1好、2爲、3王、4並去聲、
1 haò 、2 wèi 、3 wàng 、4 bīng qù shēng 、
  好、爲、王、(1)みな去声、
(1)みな: みな  並、皆也(並、皆なり) 通し番号208-1朱注に「章内朝、並音潮(章内の朝、みな音は潮)」とある。
朱注訳
好、爲、王はみな去声である。


   通し番号 420 章内番号 5 章通し番号 70 識別番号 7_9_5
本文
  1今之欲王者、2猶七年之病求三年之艾也、3苟爲不畜、4終身不得、5苟不志於仁、6終身憂辱、7以陷於死亡、
1 jīn zhī yù wàng zhě 、2 yóu qī nián zhī bìng qiú sān nián zhī ài yĕ 、3 goǔ wéi bù chù 、4 zhōng shēn bù dé 、5 goǔ bù zhì yú rén 、6 zhōng shēn yoū rŭ 、7 yǐ xiàn yú sǐ wáng 、
  今の王たるを欲する者は、(1)猶七年の病に三年のもぐさを求めるがごときなり、(2)もし畜えざるを爲せば、終身得ず、し仁に志さざれば、終身憂辱し、以て死亡に陥る、
(1)猶七年の病に三年のもぐさを求めるがごときなり: 七年間病気をしているのに、三年ものの艾を求めるようなものである。前もって蓄えておかないから三年ものしかないのである。 言七年之病、其根已深、而三年之艾、乾之未久者、不足以愈之、今之諸侯、以若所爲、求若所欲、亦猶以三年之艾、灸七年病、豈可得乎、然以陳久之艾、前已不蓄、而今亦不爲蓄、則終艾不可得、而病亦不可愈焉(言えらく、七年の病は、其根已に深し、而して三年の艾は、乾の未だ久しからざるものにして、以て之をいやすに足らず、今の諸侯が、かくのごとく爲す所を以て、かくのごとく欲する所を求めるは、亦猶三年の艾以て、七年の病を灸するがごとし、豈得べきか、然れども陳久の艾、前に已に蓄えざるを以てして、今亦蓄えるを爲さざれば、則ち終に艾を得るべからずして、病亦いえるべからず 陳久:古く久しい)(伊藤仁斎)
(2)もし: もし  苟、猶若也(苟、猶若のごときなり) 通し番号189-5に「苟能充之、足以保四海(もし能く之をたせば、以て四海を保つに足る)」とある。

朱注
  1王、2去聲、3○艾、4草名、5所以灸者、6乾久益善、7夫病已深、8而欲求乾久之艾、9固難卒辦、10然自今畜之、11則猶或可及、12不然、13則病日益深、14死日益迫、15而艾終不可得矣、
1 wàng 、2 qù shēng 、3 ○ ài 、4 caǒ míng 、5 suǒ yǐ jiŭ zhě 、6 qián jiŭ yì shàn 、7 fū bìng yǐ shēn 、8 ér yù qiú qián jiŭ zhī ài 、9 gù nán zú bàn 、10 rán zì jīn chù zhī 、11 zé yóu huò kĕ jí 、12 bù rán 、13 zé bìng rì yì shēn 、14 sǐ rì yì pò 、15 ér ài zhōng bù kĕ dé yǐ 、
  王、去声、○艾、草の名、以て灸する所のものなり、乾くこと久しければますますし、その病已に深し、而して乾くこと久しきのもぐさを求めんと欲す、固より(1)にわか(2)ととのえ難し、然れども今り之をたくわえば、則ち猶及ぶべきこと(3)り、然らざれば、則ち病は日にますます深く、死は日にますます迫る、而るに艾(4)ついに得べからず、
(1)にわかに: にわかに  卒、急也(卒、急なり)
(2)ととのう: ととのえる そなえる  辦、具也(べん、具なり)
(3)り: 有り  或、叚借爲有(或、叚借して有と爲す) 通し番号233-8に「夫旣或治之(それ既に之を治めることり)」とある。
(4)ついに: ついに  終、竟也(終、きょうなり) 通し番号874-15朱注に「終未至於天道(ついに未だ天道に至らず)」とある。


朱注訳
王は去声である。もぐさは草の名である。灸に使う。乾かすのが長いほど質がよくなる。病気がすでに重くなってから、久しく乾かした艾を求めてもにわかには手に入れ難い。しかし今より蓄えておくと間に合う。そうしないと病気は日々重くなり、死はますます迫るのに、艾を得ることができない。


   通し番号 421 章内番号 6 章通し番号 70 識別番号 7_9_6
本文
  1詩云、2其何能淑、3載胥及溺、4此之謂也、
1 shī yún 、2 qí hé néng shū 、3 zaì xū jí niào 、4 cǐ zhī wèi yĕ 、
  詩に云う、其何ぞ能く(1)からん、(2)すなわ(3)あい(4)ともに溺る、此を之謂うなり、
(1)し: よい(朱注) 通し番号1013-36朱注に「無善治、士猶得以明夫善治之道、以淑諸人、以傳諸後(善治無ければ、士猶以てその善治の道を明かにし、以て諸を人にくし、以て諸を後に伝えることを得る)」とある。なお現代日本語で淑女と言うが、この淑は「よい」の意味である。
(2)すなわち: 則ち(朱注)
(3)あい: あい(朱注) 通し番号91-12に「爰及姜女、聿來胥宇(ここに姜女ついに来たりてあいる)」とある。
(4)ともに: 及、與也(及、与なり) 通し番号91-12ではと読んでいる。 通し番号91-12に「爰及姜女、聿來胥宇(ここに姜女ついに来りあいる)」とある。

朱注
  1詩、2大雅桑柔之篇、3淑、4善也、5載、6則也、7胥、8相也、9言今之所爲、10其何能善、11則相引以陷於亂亡而已、
1 shī 、2 dà yǎ sāng róu zhī piān 、3 shū 、4 shàn yĕ 、5 zaì 、6 zé yĕ 、7 xū 、8 xiàng yĕ 、9 yán jīn zhī suǒ wéi 、10 qí hé néng shàn 、11 zé xiàng yǐn yǐ xiàn yú luàn wáng ér yǐ 、
  詩、大雅桑柔の篇、淑、善なり、載、則なり、胥、相なり、言えらく、今の爲す所、其何ぞ能く善からん、則ち相引き以て乱亡に陥るのみ、
朱注訳
詩は大雅の桑柔の篇である。淑は善である。載は則である。胥は相である。次のように言う。今なしていることは、どうしてよいことか。手を取り合って乱と滅亡に落ち込むだけだ。



7 離婁章句上 章番号 10 章通し番号 71
本文訳
  孟子は言う。自暴の者は話をすることができない。自棄の者はともに爲すことができない。礼と義を謗ることを言うのを自暴と言う。自分は仁におることができず、義によることができないとするのを自棄と言う。仁は人の安全な家である。義は人の正道である。安全な家にいない。正道を捨てて正道を行かない。悲しむべきことである。

   通し番号 422 章内番号 1 章通し番号 71 識別番号 7_10_1
本文
  1孟子曰、2自暴者、3不可與有言也、4自棄者、5不可與有爲也、6言非禮義、7謂之自暴也、8吾身不能居仁由義、9謂之自棄也、
1 mèng zǐ yuē 、2 zì bào zhě 、3 bù kĕ yŭ yoǔ yán yĕ 、4 zì qì zhě 、5 bù kĕ yŭ yoǔ wéi yĕ 、6 yán feī lǐ yì 、7 wèi zhī zì bào yĕ 、8 wú shēn bù néng jū rén yóu yì 、9 wèi zhī zì qì yĕ 、
  孟子曰く、自ら(1)そこなう者、ともに言うこと有るべからざるなり、自ら棄てる者、ともに爲すこと有るべからざるなり、言は礼義を(2)そしる、之を自らそこなうと謂うなり、吾が身は仁に居り義に由ること能わず、之を自ら棄てると謂うなり、
(1)そこなう: そこなう 暴、虐也(暴、虐なり) 通し番号669-4に「凶歳、子弟多暴(凶歳は、子弟そこなうこと多し)」とある。
(2)そしる: そしる  非者、譏也(非は、譏なり) 通し番号78-1に「不得而非其上者、非也(得ずして其上をそしる者は、非なり)」とある。

朱注
  1暴、2猶害也、3非、4猶毀也、5自害其身者、6不知禮義之爲美而非毀之、7雖與之言、8必不見信也、9自棄其身者、10猶知仁義之爲美、11但溺於怠惰、12自謂必不能行、13與之有爲、14必不能勉也、15程子曰、16人苟以善自治、17則無不可移者、18雖昏愚之至、19皆可漸磨而進也、20惟自暴者拒之以不信、21自棄者絶之以不爲、22雖聖人與居、23不能化而入也、24此所謂下愚之不移也、
1 bào 、2 yóu hài yĕ 、3 feī 、4 yóu huǐ yĕ 、5 zì hài qí shēn zhě 、6 bù zhī lǐ yì zhī wéi mĕi ér feī huǐ zhī 、7 suī yŭ zhī yán 、8 bì bù jiàn xìn yĕ 、9 zì qì qí shēn zhě 、10 yóu zhī rén yì zhī wéi mĕi 、11 dàn niào yú dài duò 、12 zì wèi bì bù néng xíng 、13 yŭ zhī yoǔ wéi 、14 bì bù néng miǎn yĕ 、15 chéng zǐ yuē 、16 rén goǔ yǐ shàn zì zhì 、17 zé wú bù kĕ yí zhě 、18 suī hūn yú zhī zhì 、19 jiē kĕ jiàn mó ér jìn yĕ 、20 wéi zì bào zhě jù zhī yǐ bù xìn 、21 zì qì zhě jué zhī yǐ bù wéi 、22 suī shèng rén yŭ jū 、23 bù néng huà ér rù yĕ 、24 cǐ suǒ wèi xià yú zhī bù yí yĕ 、
  暴、猶害のごときなり、非、猶毀のごときなり、自ら其身を害する者は、礼義の美と爲すを知らずして之を(1)非毀ひきす、之と言うと雖も、必ず(2)信を見ざるなり、自ら其身を棄てる者は、なお仁義の美と爲すを知る、ただし怠惰に溺る、自ら必ず行うこと能わずと謂う、之と爲すこと有れば、必ず勉めること能わざるなり、程子曰く、人もし善以て自ら治めれば、則ち移るべからざるもの無し、昏愚の至りと雖も、皆(3)しだい(4)みがきて進むこと可なり、惟自らそこなう者は之を拒み以て信ぜず、自ら棄てる者は之を絶ち以て爲さず、聖人ともに居ると雖も、化して入ること能わざるなり、此は謂う所の(5)下愚の移らざるなり、
(1)非毀ひきす: そしる   毀、謗也(毀、ぼうなり)
(2)信: 信じること
(3)しだいに: しだいに だんだん   漸、次也(漸、次なり) 通し番号491-17朱注に「言水有原本、不已而漸進、以至於海(言えらく、水原本有れば、已まずしてしだいに進み、以て海に至る)」とある。
(4)みがく: みがく  治石、謂之磨(石を治める、之を磨と謂う)
(5)下愚の移らざる: 『論語』陽貨3に「子曰、唯上知與下愚不移(子曰く、唯上知と下愚は移らず」とある。
朱注訳
暴は害のようなものである。非は毀のようなものである。自らその身を害する者は、礼と義がよいものであることがわからずに、礼と義を謗る。話をしても礼と義を信じることが見られない。自らその身を棄てる者は、仁と義はよいものであることを知っているが、怠惰に溺れ、自ら行うことがきっとできないと言う。その人と事をなしても、仁と義に努めることは必ずできない。程子は言う。人は善で自らを治めると、移ることができない者はいない。この上なく昏愚な者でも、みなだんだんと磨かれ進むことができる。自暴の者は拒んで信じない。自棄の者は絶ってなさない。聖人とともにいても、感化されて聖人の道に入ることができない。言う所の下愚は移らないである。


   通し番号 423 章内番号 2 章通し番号 71 識別番号 7_10_2
本文
  1仁、2人之安宅也、3義、4人之正路也、
1 rén 、2 rén zhī ān zhái yĕ 、3 yì 、4 rén zhī zhèng lù yĕ 、
  仁は、人の安宅なり、義は、人の正路なり、


朱注
  1仁宅已見前篇、2義者、3宜也、4乃天理之當行、5無人欲之邪曲、6故曰正路、
1 rén zhái yǐ jiàn qián piān 、2 yì zhě 、3 yí yĕ 、4 nǎi tiān lǐ zhī dāng xíng 、5 wú rén yù zhī xié qū 、6 gù yuē zhèng lù 、
  仁宅已に(1)前篇に見ゆ、義は、宜なり、乃ち天理の当に行くべきにして、人欲の邪曲すること無し、故に正路と曰う、
(1)前篇: 公孫丑章句上 通し番号191-5に「夫仁、天之尊爵也、人之安宅也(それ仁は、天の尊爵なり、人の安宅なり)」とある。
朱注訳
仁宅はすでに前篇にある。義は宜である。天理があり人欲の邪で曲がっているものがない。だから正路と言う。


   通し番号 424 章内番号 3 章通し番号 71 識別番号 7_10_3
本文
  1曠安宅而弗居、2舍正路而不由、3哀哉、
1 kuàng ān zhái ér fú jū 、2 shě zhèng lù ér bù yóu 、3 aī zāi 、
  安宅を(1)むなしくして居らず、正路を(2)てて由らず、かなしいかな、
(1)むなしくす: むなしくする(朱注)
(2)てる: 捨てる  舍、棄也(舍、棄なり) 通し番号113-25朱注に「豈可謂吾君不能、而舍所學以徇之哉(あに吾君能わずと謂いて、学ぶ所をてて以て之にしたがうべけんや)」とある。

朱注
  1舍、2上聲、3○曠、4空也、5由、6行也、7○此章言道本固有、8而人自絶之、9是可哀也、10此聖賢之深戒、11學者所當猛省也、
1 shě 、2 shàng shēng 、3 ○ kuàng 、4 kòng yĕ 、5 yóu 、6 xíng yĕ 、7 ○ cǐ zhāng yán daò bĕn gù yoǔ 、8 ér rén zì jué zhī 、9 shì kĕ aī yĕ 、10 cǐ shèng xián zhī shēn jiè 、11 xué zhě suǒ dāng mĕng shĕng yĕ 、
  舍、上声、○曠、空なり、由、行なり、○此章言えらく、道は(1)もともとより有す、而るに人自ら之を絶つ、是れかなしむべきなり、此聖賢の深い戒めなり、学ぶ者当に猛省すべき所なり、
(1)もと: 始め  本、始也(本、始なり) 通し番号278-18朱注に「然志所言、本謂先王之世舊俗所傳、禮文小異、而可以通行者耳、(然れども志の言う所は、もとは先王の世旧俗伝える所は、礼文小異なり、而るに以て通行すべきことを謂うのみ)」とある。
朱注訳
舍は上声である。曠は空である。由は行である。この章は言う。人はもとより道を有している。ところが自ら道を絶っている。これは悲しむべきことである。これは聖賢の深い戒めであり、学ぶ者が猛省すべきことである。



7 離婁章句上 章番号 11 章通し番号 72
本文訳
  孟子は言う。道は近きにあるのに、道を遠くに求める。すべきことはたやすい所にあるのに、難しい所に求める。人々が親を愛し年長の者に譲れば天下は治まる。

   通し番号 425 章内番号 1 章通し番号 72 識別番号 7_11_1
本文
  1孟子曰、2道在爾、3而求諸遠、4事在易、5而求諸難、6人人親其親、7長其長、8而天下平、
1 mèng zǐ yuē 、2 daò zaì ĕr 、3 ér qiú zhū yuǎn 、4 shì zaì yì 、5 ér qiú zhū nán 、6 rén rén qìng qí qìng 、7 zhǎng qí zhǎng 、8 ér tiān xià píng 、
  孟子曰く、道は(1)ちかきに在り、而るに諸を遠きに求む、事はやすきに在り、而るに諸を難きに求む、人人其親を(2)あいし、其(3)長を(4)すすむ、而して天下平かなり、
(1)ちかい: 近い(朱注)
(2)あいす: 愛す  親、愛也(親、愛なり) 通し番号321-10に「夫夷子信以爲人之親其兄之子、爲若親其鄰之赤子乎(かの夷子信に人の其兄の子をあいすること、其となりの赤子をあいする若く爲すと以爲おもえるか)」とある。
(3)長: 年上の者  長、年長(長、年長なり) 長には年上の者の意味と、責任者の意味がある。善事父母爲孝、善事兄長爲悌(善く父母に事える孝と爲す、善く兄長に事える悌と爲す)(通し番号14-42朱注) 長幼有序(長幼序有り)(通し番号290-14朱注) 不挾長、不挾貴(長をさしはさまず、貴をさしはさまず)(通し番号604-4)は年上の意味である。諸侯、謂附庸之國、縣邑之長(諸侯は、附庸の国、県邑の長を謂う)(通し番号82-30朱注) 工師、匠人之長(工師は匠人の長なり)(通し番号104-12朱注) 斯民親其上、死其長矣(すなわち民は其上に親しみ、其長に死せん)(通し番号116-2) 冢宰、六卿之長也(冢宰は六卿りくけいの長なり)(通し番号279-14朱注)は責任者の意味である。この場合孟子は「道は近きにあり」と言っており、長は最も身近な者でなければならない。一番身近な人は同じ家に住んでいる人であり、それは父母であり、兄である。責任者は自分の家の外にいるのが一般的であり、父母や兄ほど身近な存在でない。それでここの長は年上の者と取るべきである。
(4)すすむ: 進む  長、進益也(長、進益なり) 通し番号244-22朱注に「方且爲之曲爲辯說、而沮其遷善改過之心、長其飾非拒諫之惡(方且まさに之が爲に曲げて弁說を爲し、其善にうつり過を改めるの心をはばみ、其非を飾り諫を拒むの悪をすすめんとす)」とある。

朱注
  1爾、2邇、3古字通用、4易、5去聲、6長、7上聲、8○親長在人爲甚邇、9親之長之、10在人爲甚易、11而道初不外是也、12舍此而他求、13則遠且難、14而反失之、15但人人各親其親、16各長其長、17則天下自平矣、
1 ĕr 、2 ĕr 、3 gŭ zì tōng yòng 、4 yì 、5 qù shēng 、6 zhǎng 、7 shàng shēng 、8 ○ qìng zhǎng zaì rén wéi shèn ĕr 、9 qìng zhī zhǎng zhī 、10 zaì rén wéi shèn yì 、11 ér daò chū bù waì shì yĕ 、12 shě cǐ ér tā qiú 、13 zé yuǎn qiĕ nán 、14 ér fǎn shī zhī 、15 dàn rén rén gě qìng qí qìng 、16 gě zhǎng qí zhǎng 、17 zé tiān xià zì píng yǐ 、
  爾、(1)邇、古字通用す、易、去声、長、上声、○親長人に在りて甚だちかきと爲す、之をあいし之をすすむは、人に在りて甚だ易きと爲す、而るに道の初は是を(2)はずれざるなり、此を(3)てて他に求めれば、則ち遠くかつ難し、而してかえって之を失う、(4)もっぱら人人おのおの其親をあいし、おのおの其長をすすめれば、則ち天下自ずから平かなり、
(1)邇: 近い  邇、近也(、近なり) 通し番号498-1に「武王不泄邇、不忘遠(武王ちかきにれず、遠きを忘れず)」とある。
(2)はずる: はずれる ほかにする  外、猶除也(外、猶除のごときなり) 通し番号186-16朱注に「人之所以爲心、不外乎是四者(人の以て心と爲す所は、是四なるものをはずれず)」とある。
(3)つ: 舍、棄也(舍、棄なり) 通し番号96-2に「吾何以識其不才而舍之(吾何を以て其不才を識りて之をつ)」とある。
(4)もっぱら: 専ら  獨、但也(独、但なり) 獨、猶專也(独、猶専のごときなり) 通し番号121-21朱注に「君之力旣無如之何、則但彊於爲善、使其可繼、而俟命於天耳(君の力既に之を如何いかんともすること無ければ、則ちもっぱら善を爲すにつとめ、其をして繼ぐべからしめて命を天につのみ)」とある。

朱注訳
爾は邇であり、古字は通じる。易は去声である。長は上声である。親や年上の者は非常に身近なものである。親を愛し年上の者に譲るのは非常になしやすいことである。しかし道の初めはここからである。これをせすに他を求めると、道は遠くなり離れてしまう。かえって道を失うことになる。ただ人々がその親を愛し、年上の者に譲れば、天下は自ずと治まる。

  年齢よりも能力を重んじるべきである。年下でも能力があれば、年長の者に譲る必要はない。年下の者が上に立つべきだと現代の人は言うかもしれない。
  人をまったく同列に置くと、自分が上に立とうとして争いが始まる。この争いが内乱や戦争の原因になる。人を争わないようにさせるには、人に序列、つまり上下をつけることである。この人が上だから、下の者は上の者に譲ってくださいという序列をつけるのである。では何を基準にして上下をつけるのか。年齢というのは非常に便利な基準なのである。人は必ず年を取る。だから年齢で序列をつければ、若い頃は下にいるが、年を取れば必ず上になる。また年齢は客観的な事実だから、誰にも一目瞭然の基準になる。無能な者、無知な者でも年を取れば上になるのだから、不平を抱く者も少ない。世の中の争いが少なくなるのである。能力で序列をつけると、どの人が能力があるのか、一目瞭然に決められない。Aの人が優れている所もあれば、Bの人が優れている所もあるというのが、実状である。一目瞭然にAの人が能力があると言えるものでない。基準があいまいだから、どうしてあいつが上になるのだという不平を抱く者が出てくる。これが争いの元になる。
  人君は年齢が若くても賢人ならば登用するのは、当然のことである。年齢の高い者を上にしなければならないというものでない。しかし位が上の年の若い者も、自分より年長で自分より位の低い者には、自分の職権に関することでない限り譲るのである。列車に年の若い部長と年長の平の社員が乗っていた。あいにく席があいておらず、二人とも立っていた。一つ席があけば、年の若い部長は年長の平の社員に席を譲るのである。列車の席に座ることは部長の権限に関することでないからである。
  年齢で人の序列をつけるという儒学の考え方は、戦争を未然に防ぐ優れた考え方である。


7 離婁章句上 章番号 12 章通し番号 73
本文訳
  孟子は言う。低い地位で上の信任を得られないと、民を治めることはできない。上に信任されるには道がある。友に信じられないと上に信任されない。友に信じられるのに道がある。親に接して喜ばれないと友に信じられない。親に喜ばれるのに道がある。身に反り自分が理に従うようにしないと、親に喜ばれない。自分が理に従うようにするのに道がある。理に明らかでないと自分が理に従うようにすることができない。自分にある理は天の道である。自分にある理で自分を満たそうとするのが、人の道である。自分にある理を尽して動かないものは今までにない。自分にある理を尽さないで動くものは今までにない。

   通し番号 426 章内番号 1 章通し番号 73 識別番号 7_12_1
本文
  1孟子曰、2居下位而不獲於上、3民不可得而治也、4獲於上有道、5不信於友、6弗獲於上矣、7信於友有道、8事親弗悅、9弗信於友矣、10悅親有道、11反身不誠、12不悅於親矣、13誠身有道、14不明乎善、15不誠其身矣、
1 mèng zǐ yuē 、2 jū xià wèi ér bù huò yú shàng 、3 mín bù kĕ dé ér zhì yĕ 、4 huò yú shàng yoǔ daò 、5 bù xìn yú yoǔ 、6 fú huò yú shàng yǐ 、7 xìn yú yoǔ yoǔ daò 、8 shì qìng fú yuè 、9 fú xìn yú yoǔ yǐ 、10 yuè qìng yoǔ daò 、11 fǎn shēn bù chéng 、12 bù yuè yú qìng yǐ 、13 chéng shēn yoǔ daò 、14 bù míng hū shàn 、15 bù chéng qí shēn yǐ 、
  孟子曰く、下位に居りて上にられざれば、民得て治むべからざるなり、上にられるに道有り、友に信ぜられざれば、上に獲られず、友に信ぜられるに道有り、(1)親につかえてよろこばざれば、友に信ぜられず、親をよろこすに道有り、身に反り(2)誠ならざれば、親によろこばれず、身に誠なるに道有り、善に明らかならざれば、其身に誠ならず、
(1)親につかえる: 親に接する 事は「つかえる」と読む。「親につかえる」と言うといかにも封建的な概念で現代の感覚からずれている。通し番号803-3「所以事天也(以て天に事える所なり)」で、朱子は「事、則奉承而不違也(事は、則ち奉承してたがわざるなり)」(通し番号803-5朱注)と注している。親にもこの注の意を取り、親に事えるとは「親のすることを受容して親に違わない」ことだと考えると現代でも違和感が少ない。
(2)誠: 天理の本然 実(朱注) 誠は理が我にあるものであり、すべて実で僞がなく、天道の本然である(通し番号427-1朱注) 現代日本語で誠と言うと、嘘をつかないことだが、その意味とは少し違う。  誠者眞實無妄之謂、天理之本然也(誠は真実無妄の謂、天理の本然なり)(中井履軒)

朱注
  1獲於上、2得其上之信任也、3誠、4實也、5反身不誠、6反求諸身、7而其所以爲善之心、8有不實也、9不明乎善、10不能卽事以窮理、11無以眞知善之所在也、12游氏曰、13欲誠其意、14先致其知、15不明乎善、16不誠乎身矣、17學至於誠身、18則安往而不致其極哉、19以内則順乎親、20以外則信乎友、21以上則可以得君、22以下則可以得民矣、
1 huò yú shàng 、2 dé qí shàng zhī xìn rèn yĕ 、3 chéng 、4 shí yĕ 、5 fǎn shēn bù chéng 、6 fǎn qiú zhū shēn 、7 ér qí suǒ yǐ wéi shàn zhī xīn 、8 yoǔ bù shí yĕ 、9 bù míng hū shàn 、10 bù néng jí shì yǐ qióng lǐ 、11 wú yǐ zhēn zhī shàn zhī suǒ zaì yĕ 、12 yóu zhī yuē 、13 yù chéng qí yì 、14 xiān zhì qí zhī 、15 bù míng hū shàn 、16 bù chéng hū shēn yǐ 、17 xué zhì yú chéng shēn 、18 zé ān wǎng ér bù zhì qí jí zāi 、19 yǐ neì zé shùn hū qìng 、20 yǐ waì zé xìn hū yoǔ 、21 yǐ shàng zé kĕ yǐ dé jūn 、22 yǐ xià zé kĕ yǐ dé mín yǐ 、
  上に獲らるは、其上の信任を得るなり、誠、実なり、身に反り誠ならざるは、諸を身に反り求めて、其以て善を爲す所の心、実ならざる有るなり、善に明かならずは、事に(1)き以て理を窮めること能わず、以て真に善の在る所を知ること無きなり、游氏曰く、其(2)意を誠にすることを欲せば、先ず其知を致す、善に明かならざれば、身に誠ならず、学びて身を誠にするに至れば、則ちいずくに往くとして其極を致さざらんや、内以てすれば則ち親に順、外以てすれば則ち友に信、上以てすれば則ち以て君を得るべし、下以てすれば則ち以て民を得るべし、
(1)く: つく  卽、就也(即、就なり) 通し番号189-9朱注に「知皆卽此推廣、而充滿其本然之量、則其日新又新(皆此にき推しひろめることを知りて、其れ本然の量を充満すれば、則ち其日に新しく又新し)」とある。
(2)意: 心  意、志也(意、志なり) 通し番号279-8朱注に「不我足、謂不以我滿足其意也(我を足れりとせずは、我を以て其意を満足せざるを謂うなり)」とある。
朱注訳
上に獲らるは、上の信任を得ることである。誠は実である。身に反り誠ならざるは、これを身に返り求めて善をなす心が実でないものがある。善に明かならずは、事について理を窮めることができず、善のある所を真に知ることがない。游氏は言う。心を実にしようとすれば、まず知を致す。善に明らかでないと、身は実でない。学んで身を実にすると、どこへ行ってもその極に到らないことがない。内では親にしたがい、外では友に信じられ、上は君を得て、下は民を得る。


   通し番号 427 章内番号 2 章通し番号 73 識別番号 7_12_2
本文
  1是故誠者、2天之道也、3思誠者、4人之道也、
1 shì gù chéng zhě 、2 tiān zhī daò yĕ 、3 sī chéng zhě 、4 rén zhī daò yĕ 、
  是故に誠は、天の道なり、誠を思うは、人の道なり、


朱注
  1誠者、2理之在我者、3皆實而無僞、4天道之本然也、5思誠者、6欲此理之在我者皆實而無僞、7人道之當然也、
1 chéng zhě 、2 lǐ zhī zaì wǒ zhě 、3 jiē shí ér wú wĕi 、4 tiān daò zhī bĕn rán yĕ 、5 sī chéng zhě 、6 yù cǐ lǐ zhī zaì wǒ zhě jiē shí ér wú wĕi 、7 rén daò zhī dāng rán yĕ 、
  誠は、理の我に在るもの、皆実にして僞無く、天道の(1)本然なり、誠を思うは、此理の我に在るもの皆実にして僞無く、人道の当然であることを欲するなり、
(1)本然: もと  本、根也(本、根なり) 本、基也(本、基なり) 然、狀事之詞也(然、事をあらわすの詞なり)
朱注訳
誠は理が我にあるものであり、すべて実で僞がなく、天道の本然である。誠を思うは、この理の我にあるものがみな実で偽がなく人道の当然であることを願う。


   通し番号 428 章内番号 3 章通し番号 73 識別番号 7_12_3
本文
  1至誠而不動者、2未之有也、3不誠、4未有能動者也、
1 zhì chéng ér bù dòng zhě 、2 wèi zhī yoǔ yĕ 、3 bù chéng 、4 wèi yoǔ néng dòng zhě yĕ 、
  (1)至誠にして動かざるものは、未だ之有らざるなり、誠ならずして、未だ能く動くもの有らざるなり、
(1)至誠にして動かざる; 現代日本語で至誠と言うと「非常に誠実で嘘を一つも言わない」というイメージがある。ここの至誠はその意味でない。自分にある天理を尽している人である。「前にこう言ったから、その通りに実行しなければならない」などと思うのは、諒とか小信とか言われ好ましくないこととされる。一事に拘泥して状況に応じて柔軟に変化することができないからである。通し番号783にも、「孟子曰、君子不亮、惡乎執(孟子曰く、君子はりょうならず、執をにくむ)」とある。

朱注
  1至、2極也、3楊氏曰、4動便是驗處、5若獲乎上、6信乎友、7悅於親之類是也、8○此章述中庸孔子之言、9見思誠爲脩身之本、10而明善又爲思誠之本、11乃子思所聞於曾子、12而孟子所受乎子思者、13亦與大學相表裏、14學者宜潛心焉、
1 zhì 、2 jí yĕ 、3 yáng zhī yuē 、4 dòng biàn shì yàn chǔ 、5 ruò huò hū shàng 、6 xìn hū yoǔ 、7 yuè yú qìng zhī lèi shì yĕ 、8 ○ cǐ zhāng shù zhōng yōng kŏng zǐ zhī yán 、9 jiàn sī chéng wéi xiū shēn zhī bĕn 、10 ér míng shàn yoù wéi sī chéng zhī bĕn 、11 nǎi zǐ sī suǒ wén yú céng zǐ 、12 ér mèng zǐ suǒ shòu hū zǐ sī zhě 、13 yì yŭ dà xué xiàng biaǒ lǐ 、14 xué zhě yí qián xīn yān 、
  至、極なり、楊氏曰く、動は(1)便すなわち是れ(2)しるしところなり、上に獲られる、友に信じられる、親によろこばれるの類の若き是れなり、○(3)此章は中庸の孔子の言を述べ、誠を思うを身を脩めるの本と爲し、而して善を明らかにするを又誠を思うの本と爲すを見る、乃ち子思が曽子に聞く所にして、孟子が子思に受くる所のものなり、亦大学と相表裏す、学ぶ者宜しく心をひそむべし、
(1)便すなわち: すなわち  便、卽也(便、即なり) 通し番号614-22朱注に「乃推其類、至於義之至精至密之處而極言之耳、非便以爲眞盜也(乃ち其類を推し、義の至精至密のところに至りて之を極言するのみ、便すなわち以て真の盗と爲すに非ざるなり)」とある。
(2)しるし: しるし  驗、効也(験、効なり) 通し番号510-15朱注に「猶所謂善言天者、必有驗於人也(猶謂う所の善く天を言う者は、必ず人にしるし有るがごときなり)」とある。
(3)此章は中庸の孔子の言を述ぶ: 『中庸』にも同様のことを言っているが、語句は多少違っている。『中庸』は次のようになっている。在下位不獲乎上、民不可得而治矣、獲乎上有道、不信乎朋友,不獲乎上矣、信乎朋友有道、不順乎親、不信乎朋友矣、順乎親有道、反諸身不誠、不順乎親矣、誠身有道、不明乎善、不誠乎身矣、誠者、天之道也、誠之者、人之道也(下位に在りて上にられざれば、民得て治むべからず、上にられるに道有り、朋友に信ぜられざれば,上に獲られず、朋友に信ぜられるに道有り、親に順ならざれば、朋友に信ぜられず、親に順なるに道有り、諸を身に反して誠ならざれば、親に順ならず、身に誠なるに道有り、善に明らかならざれば、身に誠ならず、誠は、天の道なり、之を誠にするは、人の道なり)
朱注訳
至は極である。楊氏は言う。動くは効果のあることである。上に信任される、友に信じられる、親に喜ばれるの類のようなものである。この章は中庸の孔子の言葉を言う。天の道を思うのが身を修める本であり、善を明らかにするのが、天の道を思う本であるとしている。子思が曽子に聞いたことであり、孟子が子思に受けたものである。大学と表裏をなしている。学ぶ者は心を潜むべきである。



7 離婁章句上 章番号 13 章通し番号 74
本文訳
  孟子は言う。伯夷は紂を避けて北海の海岸にいた。文王が興ったと聞いて言った。「どうして帰らないことがあろうか。文王は老いた者をよく治めると聞いている。」太公望は紂を避けて東海の海岸にいた。文王が興ったと聞いて言った。「どうして帰らないことがあろうか。文王は老いた者をよく治めると聞いている。」この二老は天下の優れた老人である。優れた老人が文王に帰するのは、天下の父が文王に帰するのである。天下の父が帰すれば、その子はどこに行くだろうか。諸侯が文王の政を行うならば、七年の内には必ず天下を治めることになる。

   通し番号 429 章内番号 1 章通し番号 74 識別番号 7_13_1
本文
  1孟子曰、2伯夷辟紂、3居北海之濱、4聞文王作興、5曰盍歸乎來、6吾聞西伯善養老者、7太公辟紂、8居東海之濱、9聞文王作興、10曰盍歸乎來、11吾聞西伯善養老者、
1 mèng zǐ yuē 、2 bǎi yí pì zhòu 、3 jū beǐ haǐ zhī bīn 、4 wén wén wáng zuò xìng 、5 yuē hé guī hū laí 、6 wú wén xī bǎi shàn yǎng laǒ zhě 、7 tài gōng pì zhòu 、8 jū dōng haǐ zhī bīn 、9 wén wén wáng zuò xìng 、10 yuē hé guī hū laí 、11 wú wén xī bǎi shàn yǎng laǒ zhě 、
  孟子曰く、伯夷は紂を(1)け、北海の(2)ほとりに居る、文王作興すると聞き、曰くなんぞ帰らざる(3)(来)、吾聞く、(4)西伯善く老を養う者と、太公紂をけ、東海のほとりに居る、文王作興すると聞き、曰くなんぞ帰らざる、吾聞く、西伯善く老を(5)おさめる者と、
(1)く: 避ける  辟之言、邊也、屏於一邊也(へきの言、辺なり、一辺にしりぞくなり) 通し番号353-1に「段干木踰垣而辟之(段干木は垣を踰えて之をく)」とある。
(2)ほとり: ほとり 水際みずぎわ 濱、涯也(浜、涯なり) 涯、水邊也(涯、水辺なり) 通し番号198-3朱注に「陶于河濱(河浜かひんとうす)」とある。
(3)来: 催促の辞 陶淵明の帰去来の辞に「歸去來兮かへりなんいざ」とあるが、同じ用法である。 來、催促之辭(来は、催促の辞なり)(中井履軒) 通し番号997-2に「孔子在陳曰、盍歸乎來(孔子陳に在りて曰く、なんぞ帰らざる(来))」とある。
(4)西伯: 文王のこと(朱注)
(5)おさめる: 治める 養、猶治也(養、猶治のごときなり) 通し番号89-23朱注に「八家各受私田百畝、而同養公田(八家おのおの私田百畝を受け、同じく公田をおさめる)」とある。


朱注
  1辟、2去聲、3○作、4興、5皆起也、6盍、7何不也、8西伯、9卽文王也、10紂命爲西方諸侯之長、11得專征伐、12故稱西伯、13太公、14姜姓、15呂氏、16名尙、17文王發政、18必先鰥寡孤獨、19庶人之老、20皆無凍餒、21故伯夷、22太公來就其養、23非求仕也、
1 pì 、2 qù shēng 、3 ○ zuò 、4 xìng 、5 jiē qǐ yĕ 、6 hé 、7 hé bù yĕ 、8 xī bǎi 、9 jí wén wáng yĕ 、10 zhòu mìng wéi xī fāng zhū hoú zhī zhǎng 、11 dé zhuān zhēng fá 、12 gù chēng xī bǎi 、13 tài gōng 、14 jiāng xìng 、15 lǚ zhī 、16 míng shàng 、17 wén wáng fā zhèng 、18 bì xiān guān guǎ gū dú 、19 shù rén zhī laǒ 、20 jiē wú dòng nĕi 、21 gù bǎi yí 、22 tài gōng laí jiù qí yǎng 、23 feī qiú shì yĕ 、
  辟、去声、○作、興、皆起なり、盍、何不なり、西伯、即ち文王なり、紂命じ西方の諸侯の長と爲し、征伐を専らにすることを得る、故に西伯と称す、太公は、姜(1)は姓、りょは氏、名は尙なり、文王政を発する、必ず(2)かん(3)(4)(5)独を先にし、庶人の老、皆凍(6)だいすること無し、故に伯夷、太公来り其(7)養に就く、仕えることを求めるに非ざるなり、
(1)姓: 血筋を表す呼称。氏は家柄を表す呼称。ただし漢代以後混用される。  天子建德、因生以賜姓、胙之士、而命之氏(天子徳を建て、生に因り以て姓を賜う、之に士をたまいて、之に氏を命ず)
(2)かん: 老いて妻のない者  通し番号89-10に「老而無妻曰鰥(老いて妻無しかんと曰う)」とある。
(3)寡: 老いて夫のない者  通し番号89-11に「老而無夫曰寡(老いて夫無し寡と曰う)」とある。
(4)孤: 幼くして父のない者  通し番号89-13に「幼而無父曰孤(幼くして父無し孤と曰う)」とある。
(5)独: 老いて子のない者  通し番号89-12に「老而無子曰獨(老いて子無し独と曰う)」とある。
(6)だい: 飢える 餒、飢餓也(餒、飢餓なり) 通し番号92-5に「比其反也、則凍餒其妻子(其反るにおよぶや、則ち其妻子を凍だいす)」とある。
(7)養: 治  養、猶治也(養、猶治のごときなり)
朱注訳
辟は去声である。作、興はともに起である。盍は何不である。西伯は文王である。紂の命で文王は西方の諸侯の長になり、征伐を一存ですることができたので、西伯と言った。太公は、姓は姜、氏はりょ、名は尙である。文王が政をするのは、必ず老いて妻のいない者、老いて夫のいない者、幼くして父のいない者、老いて子のない者を先にした。庶民の老いている者はみな飢えたり凍えたりすることがなかった。だから伯夷、太公が来て、文王の治下に入った。仕えるのを求めているのでない。


   通し番号 430 章内番号 2 章通し番号 74 識別番号 7_13_2
本文
  1二老者、2天下之大老也、3而歸之、4是天下之父歸之也、5天下之父歸之、6其子焉往、
1 èr laǒ zhě 、2 tiān xià zhī dà laǒ yĕ 、3 ér guī zhī 、4 shì tiān xià zhī fǔ guī zhī yĕ 、5 tiān xià zhī fǔ guī zhī 、6 qí zǐ yān wǎng 、
  二老は、天下の大老なり、而して之に帰す、是れ天下の父之に帰するなり、天下の父之に帰す、其子いずくに往かん、


朱注
  1焉、2於虔反、3○二老、4伯夷、5太公也、6大老、7言非常人之老者、8天下之父、9言齒德皆尊、10如衆父然、11旣得其心、12則天下之心不能外矣、13蕭何所謂養民致賢、14以圖天下者、15暗與此合、16但其意則有公私之辨、17學者又不可以不察也、
1 yān 、2 yú qián fǎn 、3 ○ èr laǒ 、4 bǎi yí 、5 tài gōng yĕ 、6 dà laǒ 、7 yán feī cháng rén zhī laǒ zhě 、8 tiān xià zhī fǔ 、9 yán chǐ dé jiē zūn 、10 rú zhòng fǔ rán 、11 jì dé qí xīn 、12 zé tiān xià zhī xīn bù néng waì yǐ 、13 xiāo hé suǒ wèi yǎng mín zhì xián 、14 yǐ tú tiān xià zhě 、15 àn yŭ cǐ hé 、16 dàn qí yì zé yoǔ gōng sī zhī biàn 、17 xué zhě yoù bù kĕ yǐ bù chá yĕ 、
  焉、於虔反、○二老は、伯夷、太公なり、大老、常人の老なる者に非ざるを言う、天下之父は、(1)歯徳皆たっとく、(2)衆父の如し((3)然)を言う、既に其心を得れば、則ち天下の心(4)はなれること能わず、(5)蕭何しょうか謂う所の民を養い賢を致し、以て天下を図るものは、暗に此と合う、ただし其意則ち公私の(6)弁有り、学ぶ者又以て察せざるべからざるなり、
(1)歯: 年齢  齒、年也(歯、年なり)  通し番号213-18に「郷黨莫如齒(郷党歯に如くは莫し)」とある。
(2)衆父: 多くの人の父 衆は「多くの人」の意味。 七口以上曰衆(七口以上衆と曰う)
(3)然: 「なり」の意味  然、猶也也、決定之詞(然、猶也のごときなり、決定の詞なり) 通し番号416-3朱注に「民之所欲、皆爲致之、如聚斂然(民の欲する所は、爲に皆之を致すことが、聚斂しゅうれんするが如きなり)」とある。
(4)はなれる: はなれる はずれる ほかにする  外、猶除也(外、猶除のごときなり) 通し番号186-16朱注に「人之所以爲心、不外乎是四者(人の以て心と爲す所は、是四なるものをはずれず)」とある。
(5)蕭何しょうか: 前漢建国の名相
(6)弁: 別 区別  辨、別也(弁、別なり)
朱注訳
焉は於虔反である。二老は伯夷と太公である。大老は凡人の老いた者でないことを言う。天下の父は、年齢も徳も尊く、多くの人の父のようなことである。天下の父の心を得ると、天下の心は離れることができない。蕭何しょうかが言う所の民を養い賢を致し天下を図るは暗にこれと合う。しかし意図している所に公私の別がある。学ぶ者は察せざるべからず。


   通し番号 431 章内番号 3 章通し番号 74 識別番号 7_13_3
本文
  1諸侯有行文王之政者、2七年之内、3必爲政於天下矣、
1 zhū hoú yoǔ xíng wén wáng zhī zhèng zhě 、2 qī nián zhī neì 、3 bì wéi zhèng yú tiān xià yǐ 、
  諸侯文王の政を行うもの有れば、七年の内、必ず政を天下に爲す、


朱注
  1七年、2以小國而言也、3大國五年、4在其中矣、
1 qī nián 、2 yǐ xiaǒ guó ér yán yĕ 、3 dà guó wŭ nián 、4 zaì qí zhōng yǐ 、
  七年、小国以て言うなり、大国五年は、其中に在り、
朱注訳
七年は小国で言う。大国五年はその中に含まれている。



7 離婁章句上 章番号 14 章通し番号 75
本文訳
  孟子は言う。冉求が季氏の家臣となった。季氏の施策を改めることができず、税として取り上げる穀物は以前の倍になった。孔子は言う。「冉求は私の門人でない。君たち、太鼓を鳴らしてその罪を責めてもよい。」 これから見ると、人君が仁政を行っていないのに、人君を富まする者は孔子に捨てられる者である。人君のために戦うことを強いる。土地を争って戦い、死体が野に満ちている。城を争って戦い、死体が城に満ちている。こういうことをすれば、当然孔子に捨てられる。これは土地を率いて人の肉を食べさせているのである。その罪は死刑にしてもなお不足である。だから戦争に巧みな者は極刑にする。諸侯を連合させる者はその次の刑に処する。荒地を開き、土地を民に耕作させる者はその次の刑に処する。

   通し番号 432 章内番号 1 章通し番号 75 識別番号 7_14_1
本文
  1孟子曰、2求也爲季氏宰、3無能改於其德、4而賦粟倍他日、5孔子曰、6求非我徒也、7小子鳴鼓而攻之可也、
1 mèng zǐ yuē 、2 qiú yĕ wéi jì zhī zaǐ 、3 wú néng gaǐ yú qí dé 、4 ér fù sù bèi tā rì 、5 kŏng zǐ yuē 、6 qiú feī wǒ tú yĕ 、7 xiaǒ zǐ míng gŭ ér gōng zhī kĕ yĕ 、
  (1)孟子曰く、求や季氏の(2)さいと爲る、能く其(3)徳を改めること無し、而して(4)ぞく(5)すること(6)他日に倍す、孔子曰く、求は我徒に非ざるなり、小子鼓を鳴らして之を(7)攻めて可なり、
(1): ここは、『論語』先進17の次の一文をもとにしている。「季氏富於周公、而求也爲之聚斂而附益之、子曰、非吾徒也、小子鳴鼓而攻之、可也(季氏周公より富む、而るに求や之が爲に聚斂しゅうれんして之を附益す、子曰く、吾が徒に非ざるなり、小子鼓を鳴らして之を攻めて、可なり)」
(2)さい: 家臣(朱注)
(3)徳: 行為  『論衡』に「實行爲德(実行徳と爲す)」とある。 通し番号279-23に「君子之德風也、小人之德草也(君子の徳は風なり、小人の徳は草なり)」とある。
(4)ぞく: 穀物の実  粟、嘉穀實也(粟、嘉穀の実なり) 通し番号340-2に「子不通功易事、以羡補不足、則農有餘粟(子功を通じ事を易え、あまりを以て不足を補わざれば、則ち農余ぞく有り)」とある。
(5)す: 税を取る。 賦、上之所求於下(賦、上の下に求める所なり) 税、賦也(税、賦なり) 通し番号293-17朱注に「賦無定法(賦は定法無し)」とある。
(6)他日たじつ: 以前 通し番号279-2に「吾他日未嘗學問(吾他日たじつ未だ嘗て学問せず)」とある。
(7)攻める: その罪を言って責める(朱注) 実際に軍隊で攻撃することではない。

朱注
  1求、2孔子弟子冉求、3季氏、4魯卿、5宰、6家臣、7賦、8猶取也、9取民之粟倍於他日也、10小子、11弟子也、12鳴鼓而攻之、13聲其罪而責之也、
1 qiú 、2 kŏng zǐ dì zǐ rǎn qiú 、3 jì zhī 、4 lǔ qīng 、5 zaǐ 、6 jiā chén 、7 fù 、8 yóu qŭ yĕ 、9 qŭ mín zhī sù bèi yú tā rì yĕ 、10 xiaǒ zǐ 、11 dì zǐ yĕ 、12 míng gŭ ér gōng zhī 、13 shēng qí zuì ér zé zhī yĕ 、
  求、孔子の弟子ぜん求なり、季氏は魯の卿なり、宰は家臣なり、賦、猶取のごときなり、民の粟を取ること他日に倍するなり、小子、弟子なり、鼓を鳴らして之を攻むは、其罪を(1)べ之を責めるなり、
(1)ぶ: のべる ふれる  聲、宣也(声、宣なり) 通し番号593-2に「集大成也者、金聲而玉振之也(集めて大成するは、金がべて玉が之をおさむなり)」とある。
朱注訳
求は孔子の弟子ぜん求である。季氏は魯の卿である。宰は家臣である。賦は取のようなものである。民の穀物を税として取ることが以前の倍になった。小子は弟子である。鼓を鳴らして之を攻むは、その罪を言って責めることである。


   通し番号 433 章内番号 2 章通し番号 75 識別番号 7_14_2
本文
  1由此觀之、2君不行仁政、3而富之、4皆棄於孔子者也、5況於爲之強戰、6爭地以戰、7殺人盈野、8爭城以戰、9殺人盈城、10此所謂率土地而食人肉、11罪不容於死、
1 yóu cǐ guàn zhī 、2 jūn bù xíng rén zhèng 、3 ér fù zhī 、4 jiē qì yú kŏng zǐ zhě yĕ 、5 kuàng yú wèi zhī qiǎng zhàn 、6 zhēng dì yǐ zhàn 、7 shā rén yíng yĕ 、8 zhēng chéng yǐ zhàn 、9 shā rén yíng chéng 、10 cǐ suǒ wèi lǜ tǔ dì ér shí rén ròu 、11 zuì bù róng yú sǐ 、
  此に由り之を観れば、君仁政を行わずして、之を富ますは、皆孔子に棄てられる者なり、況んや之が爲に戦を(1)い、地を争い以て戦い、人を殺し野に(2)ち、城を争い以て戦い、人を殺し城につるに於てをや、此は謂う所の土地を率いて人肉を食べる、罪は死に(3)らず、
(1)う: 強いる  強、叚借爲[強+力](強、叚借して[強+力]きょうと爲す) [強+力]、迫也([強+力]、迫なり)
(2)つ: みちる  盈、充也(盈、充なり) 通し番号366-4に「楊朱、墨翟之言盈天下(楊朱、墨翟ぼくてきの言天下につ)」とある。
(3)る: いれる  容、包函也(容、包かんなり) 函、包也(函、包なり) 通し番号285-4朱注に「天理人欲、不容並立(天理と人欲は、並立をれず)」とある。

朱注
  1爲、2去聲、3○林氏曰、4富其君者、5奪民之財耳、6而夫子猶惡之、7況爲土地之故而殺人、8使其肝腦塗地、9則是率土地而食人之肉、10其罪之大、11雖至於死、12猶不足以容之也、
1 wèi 、2 qù shēng 、3 ○ lín zhī yuē 、4 fù qí jūn zhě 、5 duó mín zhī caí ĕr 、6 ér fū zǐ yóu è zhī 、7 kuàng wèi tǔ dì zhī gù ér shā rén 、8 shǐ qí gān nǎo tú dì 、9 zé shì lǜ tǔ dì ér shí rén zhī ròu 、10 qí zuì zhī dà 、11 suī zhì yú sǐ 、12 yóu bù zú yǐ róng zhī yĕ 、
  爲、去声、○林氏曰く、其君を富ます者は、民の財を奪うのみ、而るに(1)夫子ふうし猶之をにくむ、況んや土地のための故にして人を殺し、(2)其肝脳をして地に(3)まみれしめば、則ち是れ土地を率いて人の肉を食べる、其罪は大、死に至ると雖も、猶以て之をれるに足らざるなり、
(1)夫子ふうし: 孔子のこと 夫子、本春秋時、先生長者之稱、故孔門弟子、稱孔子皆曰夫子(夫子、もと春秋の時、先生長者の称、故に孔門の弟子、孔子を称して皆夫子と曰う) 通し番号6-24朱注に「夫子罕言利(夫子まれに利を言う)」とある。
(2)其肝脳をして地にまみれしむ: 「肝腦塗地」は『史記』劉敬伝に見られる。
(3)まみれる: まみれる よごれる  塗、汙也(塗、なり)
朱注訳
爲は去声である。林氏は言う。その君を富ます者は民の財を奪っているだけである。しかし孔子はこれさえ憎んだ。土地のために人を殺し、人の肝臓、脳が土にまみれているのは、当然憎む。これは土地を率いて人の肉を食べさせているのである。その罪は大きく、死刑にしてもなお不足である。

  人間は昔から戦争をしてきた。近代は第一次世界大戦、第二次世界大戦という世界中が戦争になることを経験した。現代でも局地的に戦争が続いている。これらの戦争はほとんど土地の所有権の争いである。土地を求めて殺し合いをしているのである。孟子の言う、土地を率いて人の肉を食べさせているのである。孟子の言うように、これは死刑にしてもなお償いきれない大罪である。

   通し番号 434 章内番号 3 章通し番号 75 識別番号 7_14_3
本文
  1故善戰者服上刑、2連諸侯者次之、3辟草萊、4任土地者次之、
1 gù shàn zhàn zhě fù shàng xíng 、2 lián zhū hoú zhě cì zhī 、3 pì caǒ laí 、4 rèn tǔ dì zhě cì zhī 、
  故に善く戦う者は(1)上刑に服す、諸侯をつらねる者之に次ぐ、(2)(3)草萊そうらい(4)ひらき、土地を(5)任ずる者は之に次ぐ、
(1)上刑: 重刑  趙注は「上刑、重刑也(上刑、重刑なり)」とする。
(2)草萊そうらいひらき、土地を任ずる者は之に次ぐ: 荒地を開き、土地を民に与え耕作させることが、罪になるのは、耕作する土地が増えるから民の負担になるからである。
(3)草萊そうらい: 荒地  田廢生草、謂之萊(田すたれ草を生ず、之をらいと謂う)
(4)ひらく: 開墾する(朱注) 通し番号386-5に「田野不辟(田野ひらけず)」とある。
(5)任ず: 土地を民に与え耕作させる(朱注)

朱注
  1辟、2與闢同、3○善戰、4如孫臏、5吳起之徒、6連結諸侯、7如蘇秦、8張儀之類、9辟、10開墾也、11任土地、12謂分土授民、13使任耕稼之責、14如李悝盡地力、15商鞅開阡陌之類也、
1 pì 、2 yŭ pì tóng 、3 ○ shàn zhàn 、4 rú sūn bìn 、5 wú qǐ zhī tú 、6 lián jié zhū hoú 、7 rú sū qín 、8 zhāng yí zhī lèi 、9 pì 、10 kaī kĕn yĕ 、11 rèn tǔ dì 、12 wèi fēn tǔ shòu mín 、13 shǐ rèn gēng jià zhī zé 、14 rú lǐ kuī jìn dì lì 、15 shāng yāng kaī qiān mò zhī lèi yĕ 、
  辟、闢と同じ、○善く戰うは、(1)孫臏びん(2)呉起の徒の如し、諸侯を連結するは、(3)蘇秦、(4)張儀の類の如し、へき、開墾なり、土地を任ずるは、(5)土を分け民に授け、(6)耕稼の責を任ぜしむるを謂う、(7)李悝りかい地力を尽し、(8)商鞅しょうおう(9)阡陌せんばくを開くの類の如きなり、
(1)孫臏びん: 戦国時代の斉の軍師。学友、龐涓ほうけんに欺かれ両足を切断する刑を受けた。13年後に魏が龐涓を将軍として韓を攻めると、孫臏が軍師となって韓を救援し、馬陵の戦いで大勝した。孫臏兵法を残した。
(2)呉起: 戦国時代の人。魯や魏に仕え戦功をあげた。その著、『呉子』は、兵法書の中で『孫子』に次ぐものとされる。
(3)蘇秦: 戦国時代の人。燕、趙、韓、魏、斉、楚の六国の合従を成立させ、秦に対抗した。
(4)張儀: 戦国時代の人。合従を連衡で打ち破った。秦と結んで隣国を攻める利を説いて、合従から離脱させたのが連衡である。
(5)土: 田  土、田也(土、田なり)
(6)耕稼: 耕して植えること 稼は「植える」の意味がある。 種曰稼、斂曰穡(種は稼と曰う、れんしょくと曰う) 通し番号301-7朱注に「始爲耒耜、敎民稼穡者也(始めて耒耜らいしつくり、民に稼穡かしょくを教える者なり)」とある。
(7)李悝りかい: 戦国時代の人。魏の丞相じょうしょうとなり、農業生産力の増加をはかり、魏の富国強兵に貢献した。
(8)商鞅しょうおう: 戦国時代の人。秦に仕え、秦を強国にし、後に秦が天下を統一する礎を築いた。
(9)阡陌せんばくを開く: 田の間の道をこわし、耕地整理をして田を増やす 阡陌は「田の間の道」のこと  南北曰阡、東西曰陌、河東以東西爲阡、南北爲陌(南北をせんと曰い、東西をばくと曰う、河東は東西以てせんと爲し、南北ばくと爲す)
朱注訳
辟は闢と同じ。善く戰うは、孫臏びん、呉起の徒のようなものである。諸侯を連結するは、蘇秦、張儀の類のようである。へきは開墾である。土地を任ずるは、土地を分けて民に与え、耕作の責を負わせることを言う。李悝りかいが地力を尽し、商鞅しょうおうが耕地整理をした類である。



7 離婁章句上 章番号 15 章通し番号 76
本文訳
  孟子が言う。人にあるものの中で瞳ほどよいものはない。瞳は悪を隠すことができない。胸中が正しいと瞳は清く明らかである。胸中が正しくないと瞳は暗い。その言を聞き、その瞳を見ると、人はどうやってその心を隠すことができようか。

   通し番号 435 章内番号 1 章通し番号 76 識別番号 7_15_1
本文
  1孟子曰、2存乎人者、3莫良於眸子、4眸子不能掩其惡、5胸中正、6則眸子瞭焉、7胸中不正、8則眸子眊焉、
1 mèng zǐ yuē 、2 cún hū rén zhě 、3 mò liáng yú moú zǐ 、4 moú zǐ bù néng yǎn qí è 、5 xiōng zhōng zhèng 、6 zé moú zǐ liǎo yān 、7 xiōng zhōng bù zhèng 、8 zé moú zǐ maò yān 、
  孟子曰く、人に存するものは、(1)眸子ぼうしより良きは莫し、眸子其悪を(2)おおうこと能わず、胸中正しければ、則ち眸子(3)あきらかなり、胸中正しからざれば、則ち眸子(4)くらし、
(1)眸子ぼうし: ひとみ(朱注)
(2)おおう: おおう  掩、蓋也(掩、がいなり) 通し番号322-12に「蓋歸反虆梩而掩之((蓋)帰り虆梩るいりくつがえして之をおおう)」とある。
(3)あきらか: 明らか(朱注)
(4)くらし: 明らかでない(朱注)

朱注
  1眸、2音牟、3瞭、4音了、5眊、6音耄、7○良、8善也、9眸子、10目瞳子也、11瞭、12明也、13眊者、14蒙蒙、15目不明之貌、16蓋人與物接之時、17其神在目、18故胸中正則神精而明、19不正則神散而昏、
1 moú 、2 yīn mù 、3 liǎo 、4 yīn liǎo 、5 maò 、6 yīn maò 、7 ○ liáng 、8 shàn yĕ 、9 moú zǐ 、10 mù tóng zǐ yĕ 、11 liǎo 、12 míng yĕ 、13 maò zhě 、14 méng méng 、15 mù bù míng zhī maò 、16 gaì rén yŭ wù jiē zhī shí 、17 qí shén zaì mù 、18 gù xiōng zhōng zhèng zé shén jīng ér míng 、19 bù zhèng zé shén sǎn ér hūn 、
  眸、音は牟、瞭、音は了、眊、音は耄、○良、善なり、眸子、目の(1)瞳子どうしなり、瞭、明なり、ぼうは、(2)蒙蒙もうもう、目明かならずの貌なり、蓋し人が物と接するの時、其(3)神は目に在り、故に胸中正しければ則ち神(4)きよく明かなり、正しからざれば則ち神(5)散じてくらし、
(1)瞳子どうし: ひとみ 子は小さなものに添えて用いる。  瞳、目珠子(瞳、目の珠子しゅしなり) 凡物之圓者、皆曰珠(凡そ物のまるきもの、皆珠と曰う) 子、小稱也(子、小の称なり)
(2)蒙蒙もうもう: 暗いさま  蒙蒙、暗也(蒙蒙、暗なり)
(3)神: 心 魂  神、謂精魂(神、精魂を謂う) 神者、生之本也(神は、生の本なり) 通し番号1013-16朱注に「百世之下、必將有神會而心得之者耳(百世の下、必ず将に神に会い心に之を得る者有らんとするのみ)」とある。
(4)きよし: 澄む  精、潔也(精、潔なり)
(5)散ず: 乱れる  散、雑亂貌(散、雑乱の貌なり)
(6)くらし: 暗い 通し番号540-10に「昏夜乞哀以求之(昏夜に哀を乞い以て之を求む)」とある。

朱注訳
眸は音は牟である。瞭は音は了である。眊は音は耄である。良は善である。眸子は目のひとみである。瞭は明である。ぼう蒙蒙もうもうとして目が明るくないさまである。人が物と接する時、心は目にある。胸中が正しいと、心は澄み明るい。正しくないと心が乱れて暗い。


   通し番号 436 章内番号 2 章通し番号 76 識別番号 7_15_2
本文
  1聽其言也、2觀其眸子、3人焉廋哉、
1 tīng qí yán yĕ 、2 guàn qí moú zǐ 、3 rén yān sōu zāi 、
  其言を聴くや、其眸子ぼうしを観る、人いずくんぞ(1)かくさんや、
(1)かくす: かくす(朱注) 通し番号981-2に「若是乎從者之廋也(是の若きか従者のかくすや)」とある。

朱注
  1焉、2於虔反、3廋、4音搜、5○廋、6匿也、7言亦心之所發、8故幷此以觀、9則人之邪正不可匿矣、10然言猶可以僞爲、11眸子則有不容僞者、
1 yān 、2 yú qián fǎn 、3 sōu 、4 yīn sōu 、5 ○ sōu 、6 nì yĕ 、7 yán yì xīn zhī suǒ fā 、8 gù bìng cǐ yǐ guàn 、9 zé rén zhī xié zhèng bù kĕ nì yǐ 、10 rán yán yóu kĕ yǐ wĕi wéi 、11 moú zǐ zé yoǔ bù róng wĕi zhě 、
  焉、於虔反、廋、音は搜、○廋、(1)匿なり、言は亦心の発する所なり、故に此に(2)あわせて以て観れば、則ち人の邪正かくすべからず、然れども言は猶僞以て爲すべし、眸子は則ち僞を容れざるもの有り、
(1)匿: かくす 匿、隱也(匿、隠なり) 通し番号551-38朱注に「藏怒、謂藏匿其怒(怒を蔵すは、其怒を蔵匿するを謂う)」とある。
(2)あわす: 合わす 幷、合也(幷、合なり) 通し番号112-12朱注に「幷燕而增一倍之地也(燕をあわして一倍の地を増すなり)」とある。
朱注訳
焉は於虔反である。廋は音は搜である。廋は匿である。言も心が発するものである。だから言と瞳を合わせて見れば人の邪正は隠すことができない。しかし言は偽って出すことができる。瞳は偽りを入れない。



7 離婁章句上 章番号 16 章通し番号 77
本文訳
  孟子が言う。恭しい人君は人を侮らない。つつましい人君は人から奪わない。人を侮り人から奪う人君は、人が従わないことを恐れ、声や笑うさまで恭しくつつましく見せるが、どうして恭しくつつましくなることができようか。恭しく、つつましくなることは、声や笑うさまでできることでない。

   通し番号 437 章内番号 1 章通し番号 77 識別番号 7_16_1
本文
  1孟子曰、2恭者不侮人、3儉者不奪人、4侮奪人之君、5惟恐不順焉、6惡得爲恭儉、7恭儉豈可以聲音笑貌爲哉、
1 mèng zǐ yuē 、2 gōng zhě bù wŭ rén 、3 jiǎn zhě bù duó rén 、4 wŭ duó rén zhī jūn 、5 wéi kŏng bù shùn yān 、6 wū dé wéi gōng jiǎn 、7 gōng jiǎn qǐ kĕ yǐ shēng yīn xiào maò wéi zāi 、
  孟子曰く、恭なる者人を侮らず、倹なる者人から奪わず、人を侮奪するの君、(1)したがわざるを恐る、いずくんぞ恭倹を爲すを得ん、恭倹はあに声音笑貌以て爲すべけんや、
(1)惟したがわざるを恐る: 人が従わないのを恐れるから声や笑うさまで恭倹に見せる。 惟恐不順句、暗含故意作恭儉意(惟順ならざるを恐れるの句は、暗に故意に恭倹をすの意を含む)(中井履軒)

朱注
  1惡、2平聲、3○惟恐不順、4言恐人之不順己、5聲音笑貌、6僞爲於外也、
1 wū 、2 píng shēng 、3 ○ wéi kŏng bù shùn 、4 yán kŏng rén zhī bù shùn jǐ 、5 shēng yīn xiào maò 、6 wĕi wéi yú waì yĕ 、
  悪、平声、○惟したがわざるを恐るは、人の己にしたがわざるを恐れるを言う、声音笑貌は、いつわり外に爲すなり、
朱注訳
悪は平声である。惟したがわざるを恐るは、人が自分に従わないのを恐れることを言う。声音笑貌は、偽って外に出すのである。



7 離婁章句上 章番号 17 章通し番号 78
本文訳
  淳于髠じゅんうこんが言う。「男女が直接物の受け渡しをしないのは礼ですか。」孟子が言う。「礼です。」淳于髠が言う。「兄嫁が溺れた時、その手を引いて救いますか。」孟子が言う。「兄嫁が溺れて手を引いて救わないのは狼のすることです。男女が直接物の受け渡しをしないのは礼です。兄嫁の手を引いて救うのは権(常道を離れて実状に合うようにする)です。」淳于髠が言う。「今は天下が溺れています。先生が救わないのはなぜですか。」孟子が言う。「天下が溺れたら道で救います。兄嫁が溺れたら手で救います。あなたは手で天下を救おうとするのですか。」

   通し番号 438 章内番号 1 章通し番号 78 識別番号 7_17_1
本文
  1淳于髠曰、2男女授受不親、3禮與、4孟子曰、5禮也、6曰、7嫂溺則援之以手乎、8曰、9嫂溺不援、10是豺狼也、11男女授受不親、12禮也、13嫂溺援之以手者、14權也、
1 chún yú kūn yuē 、2 nán nǚ shòu shòu bù qìng 、3 lǐ yú 、4 mèng zǐ yuē 、5 lǐ yĕ 、6 yuē 、7 sǎo niào zé yuán zhī yǐ shoǔ hū 、8 yuē 、9 sǎo niào bù yuán 、10 shì chái láng yĕ 、11 nán nǚ shòu shòu bù qìng 、12 lǐ yĕ 、13 sǎo niào yuán zhī yǐ shoǔ zhě 、14 quán yĕ 、
  淳于髠じゅんうこん曰く、(1)男女授受(2)みずからせず、礼か、孟子曰く、礼なり、曰く、(3)そう溺れば則ち之を(4)すくうに手を以てするか、曰く、そう溺れてすくわざるは、是れ(5)豺狼さいろうなり、男女授受みずからせずは、礼なり、嫂溺れ之をすくうに手を以てするは、権なり、
(1)男女: この男女には夫婦、親子は含まない。
(2)みずから: みずから  親、猶自也(親、猶自のごときなり) 通し番号441-1朱注に「不親敎也(みずから教えざるなり)」とある。
(3)そう: 兄嫁  謂兄之妻爲嫂(兄の妻を謂いて嫂と爲す) 通し番号548-15に「二嫂使治朕棲(二そう朕がせいを治めしむ)」とある。
(4)すくう: 救う(朱注)
(5)豺狼さいろう: 豺はドール(アカイロオオカミ)であり、狼はタイリクオオカミ(ハイイロオオカミ)である。ドールは食肉目イヌ科ドール属になり、タイリクオオカミは食肉目イヌ科イヌ属になり、ドールとタイリクオオカミは属が違う。ドールは赤褐色であるが、タイリクオオカミは灰褐色が多い。ドールは体重10~21㎏で25〜50kgのタイリクオオカミより小さい。ドールはタイイリクオオカミより四肢が短い。ドールはタイリクオオカミより乳首の数が多い。 豺、狼屬、犬聲(豺は、狼の属で、犬の声なり) 狼、似犬鋭頭白頬(狼は、犬に似て、鋭い頭に白い頬なり) 

朱注
  1與、2平聲、3援、4音爰、5○淳于、6姓、7髠、8名、9齊之辯士、10授、11與也、12受、13取也、14古禮、15男女不親授受、16以遠別也、17援、18救之也、19權、20稱錘也、21稱物輕重、22而往來以取中者也、23權而得中、24是乃禮也、
1 yú 、2 píng shēng 、3 yuán 、4 yīn yuán 、5 ○ chún yú 、6 xìng 、7 kūn 、8 míng 、9 qí zhī biàn shì 、10 shòu 、11 yŭ yĕ 、12 shòu 、13 qŭ yĕ 、14 gŭ lǐ 、15 nán nǚ bù qìng shòu shòu 、16 yǐ yuǎn bié yĕ 、17 yuán 、18 jiù zhī yĕ 、19 quán 、20 chēng chuí yĕ 、21 chēng wù qīng zhòng 、22 ér wǎng laí yǐ qŭ zhòng zhě yĕ 、23 quán ér dé zhòng 、24 shì nǎi lǐ yĕ 、
  与、平声、援、音は爰、○淳于は、姓、髠は、名、斉の弁士、授、与なり、受、取なり、古礼、男女みずから授受せず、以て遠ざけわかつなり、援、之を救うなり、権、(1)はかり(2)おもりなり、物の軽重をはかりて、(3)往来し以て(4)あたるを取るものなり、権にしてあたるを得る、是れ乃ち礼なり、
(1)はかり: はかり  稱、權衡也、俗作秤(称、権衡なり、俗にしょうに作る)
(2)おもり: おもり  錘、重也(錘、重なり)
(3)往来: おもりを加えたり減らしたりする  往、去也(往、去なり) 来、至也(来、至なり)
(4)あたる: あたる  中、當也(中、当なり) 通し番号194-3に「發而不中(発してあたらず)」とある。
朱注訳
与は平声である。援は音は爰である。淳于は姓であり、髠は名である。斉の弁士である。授は与である。受は取である。古の礼では男女は直接物を受け渡ししなかった。男女を遠ざけ分けている。援は救う。権ははかりのおもりである。物の重さをはかるに、おもりを加えたり減らしたりして当るものを物の重さとする。おもりを加えたり減らしたりして当るものを取るのが礼である。

   古来中国では男女を分けるという考え方が主流である。『礼記』内則にも「七年、男女不同席」(七年にして、男女席を同じくせず)(生まれて七年で男女は敷物をともにすることをしない)とある。男女を分けるのを見てすぐに封建的だと非難するのは、この考え方の深慮を知らないのである。
  一般的に自分に近いものは尊ばず、自分から遠いものを尊ぶ傾向がある。「従僕に英雄なし」という言葉がある。世間に英雄と言われる人でも、その英雄の世話をしている従僕から見ればただの人であり、とても英雄に見えないということである。多くの人が尊ぶ人でも、毎日接している従僕や家族から見ればその欠点ばかりが見えてとても尊ぶ気にならないのである。私たちは多くの金をかけて遠い国、アメリカやフランスやエジプトに旅行に行く。自分が見たこともない遠い国、自分が見たこともないものにはあこがれるのである。
  男女を分けると男性は女性が自分に遠いものとなり、女性は男性が自分に遠いものとなる。遠いものだからあこがれが生じる。あこがれるから強く結びつこうとする。結びつけようとするなら、近づけるのでなく逆に離すのである。離すとかえって強く結びつこうとする。
  現代日本は独身の男女が多い。結婚しても結婚する年齢が高い。当然の結果として出生率が低下する。現代日本の出生率では若い者の数がどんどん減り日本が衰亡することは目に見えている。出生率低下の原因は独身者の増加と晩婚化である。なぜ独身者が増加し晩婚化が進んだのか。男性は女性にあこがれず、女性は男性にあこがれず、結婚しようとする願望が薄れたからである。なぜ男性は女性にあこがれず、女性は男性にあこがれないようになったのか。男女を分けず、男女が一緒に成長するようにしたからである。いつも一緒にいる身近な人にはあこがれないのである。従僕に英雄がいないのと同じことである。
  戦前は男子校、女子校があり、男女を分けて教育することが多かった。戦後アメリカが日本を男女共学にしたのである。男女共学にすると、男女がいつも一緒にいるため女性にあこがれたり男性にあこがれたりすることが少なくなる。結果として独身者が増え、晩婚化が進む。
  日本には1947年から1949年にベビーブームと言われる時代があった。この期間に生まれた世代を団塊の世代と言う。1949年の出生数は269万6638人である。1947年から1949年に子供を生んだ人々は戦前に教育を受けた者である。男女別学の教育を受けたから異性にあこがれ強く結びついたのである。
  出生率を上げる簡単な方法がある。男女別学にすることである。古人がなぜ男女を分けたのか。その深慮をもう一度よく考えるべきである。男女を結びつかせるために、男女を遠ざけたのである。

   通し番号 439 章内番号 2 章通し番号 78 識別番号 7_17_2
本文
  1曰、2今天下溺矣、3夫子之不援、4何也、
1 yuē 、2 jīn tiān xià niào yǐ 、3 fū zǐ zhī bù yuán 、4 hé yĕ 、
  曰く、今天下溺る、(1)夫子ふうしすくわざる、何ぞや、
(1)夫子ふうし: 先生、長者の尊称  夫子、本春秋時、先生長者之稱(夫子、もと春秋の時、先生長者の称なり) 通し番号263-3に「夫子若有不豫色然(夫子ふうし不予の色有るが若し(然))」とある。

朱注
  1言今天下大亂、2民遭陷溺、3亦當從權以援之、4不可守先王之正道也、
1 yán jīn tiān xià dà luàn 、2 mín zaō xiàn niào 、3 yì dāng cóng quán yǐ yuán zhī 、4 bù kĕ shoǔ xiān wàng zhī zhèng daò yĕ 、
  言えらく、今天下大いに乱る、民(1)陥溺に遭う、亦当に権に従い以て之をすくい、先王の正道を守るべからざるなり、
(1)陥溺: 落とし溺れさせる  陷、墜也(陥、墜なり) 通し番号26-1に「彼陷溺其民(彼其民を陥溺す)」とある。
朱注訳
次のように言う。天下は大いに乱れ、民は穴に落ち込んだり溺れたりしている。権で民を救うべきであり、先王の道を守るのは不可である。


   通し番号 440 章内番号 3 章通し番号 78 識別番号 7_17_3
本文
  1曰、2天下溺、3援之以道、4嫂溺、5援之以手、6子欲手援天下乎、
1 yuē 、2 tiān xià niào 、3 yuán zhī yǐ daò 、4 sǎo niào 、5 yuán zhī yǐ shoǔ 、6 zǐ yù shoǔ yuán tiān xià hū 、
  曰く、天下溺るれば、之をすくうに道を以てす、嫂溺るれば、之を援うに手を以てす、子は手にて天下をすくわんと欲するか、


朱注
  1言天下溺、2惟道可以救之、3非若嫂溺可手援也、4今子欲援天下、5乃欲使我枉道求合、6則先失其所以援之之具矣、7是欲使我以手援天下乎、8○此章言直己守道、9所以濟時、10枉道殉人、11徒爲失己、
1 yán tiān xià niào 、2 wéi daò kĕ yǐ jiù zhī 、3 feī ruò sǎo niào kĕ shoǔ yuán yĕ 、4 jīn zǐ yù yuán tiān xià 、5 nǎi yù shǐ wǒ wǎng daò qiú hé 、6 zé xiān shī qí suǒ yǐ yuán zhī zhī jù yǐ 、7 shì yù shǐ wǒ yǐ shoǔ yuán tiān xià hū 、8 ○ cǐ zhāng yán zhí jǐ shoǔ daò 、9 suǒ yǐ jǐ shí 、10 wǎng daò xùn rén 、11 tú wéi shī jǐ 、
  言えらく、天下溺るれば、惟道以て之を救うべし、嫂溺れ手にてすくうべきが若きに非ざるなり、今子天下をすくわんと欲す、乃ち我をして道を(1)げ合うを求めしめんと欲す、則ち先ず以て之をすくう所の(2)そなえを失う、是れ我をして手以て天下を援わしめんと欲するか、○此章言えらく、己を直にして道を守るは、以て時を(3)すくう所なり、道を(1)げ人に(4)したがうは、ただ己を失なうことを爲す、
(1)ぐ: 曲げる  枉、曲也(枉、曲なり) 通し番号578-1に「吾未聞枉己而正人者也(吾未だ己をげて人を正す者を聞かざるなり)」とある。
(2)そなえ: そなえ  具、猶備也(具、猶備のごときなり) 通し番号267-8朱注に「然天意未可知、而其具又在我(然れども天の意は未だ知るべからず、而して其そなえは又我に在り)」とある。
(3)すくう: 救う  濟、賙救也(せいしゅう救なり) 賙、救也(賙、救なり) 通し番号262-1朱注に「此章見聖賢行道濟時、汲汲之本心、愛君澤民、惓惓之餘意(此章は聖賢が道を行い時をすくうの、汲汲きゅうきゅうの本心、君を愛し民をうるおすの、惓惓けんけんの余意を見ゆ)」とある。
(4)したがう: 従う  殉、從也(殉、従なり)
朱注訳
次のように言う。天下が溺れればただ道で救うことができる。兄嫁が溺れて手で救うようなものでない。今あなたは天下を救うために、私に道を曲げ世に合うようにさせようとしている。しかしそれをすれば天下を救う道具を失う。道具がなく、私に手で天下を救わせようとするのか。
この章は言う。己を直にして道を守るのが今の時代を救うことであり、道を曲げて人に従うのは己を失うだけである。

  共産主義は世の中の仕組みを変えれば理想社会が出現すると考えた。労働者の政権をつくろうとした。ロシア革命で共産主義国家ソ連が誕生した。中国でも北朝鮮でも共産主義国家が成立した。共産主義国家になると、理想社会になったのだろうか。指導者の間の抗争と反対勢力の粛清、上層部の腐敗、民衆の苦難と理想社会からは程遠い現実が報告されている。社会制度を変えるだけでは、決して理想社会は出現しなかった。孟子は理想社会をつくるのにどうしようとしたのか。社会体制を変えようとせず、自分に求めようとした。朱子は言う。「己を直にして道を守るは、以て時をすくう所なり」『大学』は言う。「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其国を治む、其国を治めんと欲する者は、先ず其家をととのう、其家をととのえんと欲する者は、先ず其身を修む、其身を修めんと欲する者は、先ず其心を正す、其心を正さんと欲する者は、先ず其意を誠にす、其意を誠にせんと欲する者は、先ず其知を致す、知を致すは物にいたるに在り」。社会を救おうとすれば、社会を変えようとせず、自分に求めるのである。知を致し自分の心を理で満たしてはじめて理想社会に近付く。己に求めずに、ただ社会を変えようとするだけでは、決して理想社会は実現せず、ますます理想社会から遠ざかる。

7 離婁章句上 章番号 18 章通し番号 79
本文訳
  公孫丑が言う。「君子が自分の子を教えないのはどうしてですか。」
  孟子は言う。「自然の勢でできないのだ。教えるのは正しいことを教える。正しいことをしないと師は責める。親が子を責めると愛さなければならない子を害することになる。子は『父は私に正しいことを教えるのに、していることは必ずしも正しいとは言えない。』と思う。こうなると父子が害し合うことになる。父子が害し合うのはよくない。古は子を換えて教えた。父子の間では善を責めない。善を責めると父子が離れる。父子が離れるほど不吉なことはない。」

   通し番号 441 章内番号 1 章通し番号 79 識別番号 7_18_1
本文
  1公孫丑曰、2君子之不敎子、3何也、
1 gōng sūn choǔ yuē 、2 jūn zǐ zhī bù jiāo zǐ 、3 hé yĕ 、
  公孫丑曰く、君子の子を教えざるは、何ぞや、


朱注
  1不親敎也、
1 bù qìng jiāo yĕ 、
  (1)みずから教えざるなり、
(1)みずから: みずから  親、猶自也(親、猶自のごときなり) 通し番号438-2に「男女授受不親(男女授受みずからせず)」とある。
朱注訳
自分から教えない。


   通し番号 442 章内番号 2 章通し番号 79 識別番号 7_18_2
本文
  1孟子曰、2勢不行也、3敎者必以正、4以正不行、5繼之以怒、6繼之以怒、7則反夷矣、8夫子敎我以正、9夫子未出於正也、10則是父子相夷也、11父子相夷、12則惡矣、
1 mèng zǐ yuē 、2 shì bù xíng yĕ 、3 jiaò zhě bì yǐ zhèng 、4 yǐ zhèng bù xíng 、5 jì zhī yǐ nù 、6 jì zhī yǐ nù 、7 zé fǎn yí yǐ 、8 fū zǐ jiāo wǒ yǐ zhèng 、9 fū zǐ wèi chū yú zhèng yĕ 、10 zé shì fǔ zǐ xiàng yí yĕ 、11 fǔ zǐ xiàng yí 、12 zé è yǐ 、
  孟子曰く、いきおい行われざるなり、教えは必ず正以てす、正以て行われず、之に継ぐに(1)怒以てす、之に継ぐに怒以てすれば、則ちかえっ(2)そこなう、(3)夫子我に教えるに正以てす、夫子未だ正に出でざるなり、則ち是れ父子相そこなうなり、父子あい夷えば、則ちし、
(1)怒: せむ いかる  怒、責也(怒、責なり) 趙注は「教以正道、而不得行、則責怒之(教えるに正道以てして、行うことを得ざれば、則ち之を責怒す)」とする。
(2)そこなう: そこなう(朱注)
(3)夫子ふうし: 先生、長者の尊称だが、この場合は父のこと  夫子、本春秋時、先生長者之稱、(夫子、もと春秋の時、先生長者の称)

朱注
  1夷、2傷也、3敎子者、4本爲愛其子也、5繼之以怒、6則反傷其子矣、7父旣傷其子、8子之心又責其父曰、9夫子敎我以正道、10而夫子之身未必自行正道、11則是子又傷其父也、
1 yí 、2 shāng yĕ 、3 jiāo zǐ zhě 、4 bĕn wèi ài qí zǐ yĕ 、5 jì zhī yǐ nù 、6 zé fǎn shāng qí zǐ yǐ 、7 fǔ jì shāng qí zǐ 、8 zǐ zhī xīn yoù zé qí fǔ yuē 、9 fū zǐ jiāo wǒ yǐ zhèng daò 、10 ér fū zǐ zhī shēn wèi bì zì xíng zhèng daò 、11 zé shì zǐ yoù shāng qí fǔ yĕ 、
  夷、傷なり、子に教えるは、本は其子を愛する爲なり、之に継ぐに怒を以てすれば、則ち反て其子を傷つける、父既に其子を傷つける、子の心又其父を責めて曰く、夫子我に教えるに正道を以てす、而るに夫子の身未だ必ずしも自ら正道を行わず、則ち是れ子又其父を傷つけるなり、
朱注訳
夷は傷である。子に教えるのは、もとは自分の子を愛するためである。教えて責めれば自分の子を傷つける。父は子を傷つけた。子はその心の中でまた父を責めて思う。「父は私に正しい道を教えた。父は自らは必ずしも正しい道を実行していない。」これは子もまた父を傷つけるのである。


   通し番号 443 章内番号 3 章通し番号 79 識別番号 7_18_3
本文
  1古者易子而敎之、
1 gŭ zhě yì zǐ ér jiāo zhī 、
  古は子を(1)えて之を教える、
(1)う: 換える 交換する  換、易也(換、易なり)  通し番号40-3に「以小易大(小以て大にう)」とある。

朱注
  1易子而敎、2所以全父子之恩、3而亦不失其爲敎、
1 yì zǐ ér jiāo 、2 suǒ yǐ quán fǔ zǐ zhī ēn 、3 ér yì bù shī qí wéi jiaò 、
  子を易えて教えるは、父子の(1)恩を全くして、亦其教えを爲すを失わざる所以なり、
(1)恩: おもいやり  恩者仁也(恩は仁なり) 通し番号211-6に「父子主恩(父子恩を主とす)」とある。
朱注訳
子を換えて教えるのは、父子の間の思いやりを全くして、教えることもできるからである。


   通し番号 444 章内番号 4 章通し番号 79 識別番号 7_18_4
本文
  1父子之閒不責善、2責善則離、3離則不祥莫大焉、
1 fǔ zǐ zhī jiān bù zé shàn 、2 zé shàn zé lí 、3 lí zé bù xiáng mò dà yān 、
  父子の間は善を責めず、善を責めれば則ち離る、離るれば則ち(1)からざるは(2)これより大なるはし、
(1)し: よい  祥、善也(祥、善なり)
(2)これ: これ 通し番号279-21に「上有好者、下必有甚焉者(上好む者有れば、下必ずこれより甚だしき者有り)」とある。

朱注
  1責善、2朋友之道也、3○王氏曰、4父有爭子、5何也、6所謂爭者、7非責善也、8當不義則爭之而已矣、9父之於子也如何、10曰、11當不義、12則亦戒之而已矣、
1 zé shàn 、2 péng yoǔ zhī daò yĕ 、3 ○ wáng zhī yuē 、4 fǔ yoǔ zhēng zǐ 、5 hé yĕ 、6 suǒ wèi zhēng zhě 、7 feī zé shàn yĕ 、8 dāng bù yì zé zhēng zhī ér yǐ yǐ 、9 fǔ zhī yú zǐ yĕ rú hé 、10 yuē 、11 dāng bù yì 、12 zé yì jiè zhī ér yǐ yǐ 、
  善を責むるは、朋友の道なり、○王氏曰く、(1)父に争子有り、何ぞや、謂う所の争は、善を責むるに非ざるなり、不義に当れば則ち之を(2)いさめるのみ、父の子に於けるや如何、曰く、不義に当れば、則ち亦之に(3)ぐるのみ、
(1)父争子有り: 孝経にある言葉である。孝経には「父有爭子、則身不陷於不義、故當不義、則子不可以不爭於父(父争子有れば、則ち身不義に陥らず、故に不義に当れば、則ち子以て父にいさめざるべからず)」とある。
(2)いさめる: 諫める  争、諫也(争、諫なり)
(3)ぐ: 告げる  戒、警也、告也(戒、警なり、告なり) 通し番号86-2に「大戒於國(大いに国にぐ)」とある。
朱注訳
善を責めるのは、友人の間の道である。王氏は言う。父に諫める子ありとはどういうことか。諫めるというのは、善を責むることでない。不義に当ると諫めるだけである。父は子に対してはどうあるべきか。不義に当ると子に言うだけである。

  厳父慈母という言葉があるように、父は子に対して厳しいのがよいようなイメージがある。子供が少しでも間違ったことをすれば、厳しく叱責するのが、よいしつけのように考えられている。しかし孟子は父は子に善を責めないと言う。善を責めれば愛を損うからである。不義と言える大きな過ちがあった時にだけ子供に注意する。孟子のここの指摘は一般的に信じられている家庭教育に大きな修正を迫るものである。子供にやさしく接することは決して子供を甘やかすことでない。Spare the rod and spoil the child.(鞭を惜しむと、子供はだめになる )という西洋の諺はまったくの間違いである。子供を鞭で打つようなことをすれば、親子関係が大きく破綻し大きな不幸が訪れる。父子の間で一番大事なものは愛情である。愛情を損なわないために、小さな不善で子供をうるさく責めない。これが正しい家庭教育なのである。

7 離婁章句上 章番号 19 章通し番号 80
本文訳
  孟子が言う。尽すことで何が大きいものか。親に尽すことが大きいことである。守ることで何が大きいことか。自分の義を守ることが大きいことである。自分の義を失わずに親に尽すことができた者を私は聞いいてる。自分の義を失ってしまっているのに、親に尽すことができた者を私は今まで聞いたことがない。尽すことにはいろいろあるが、親に尽すのが尽すことの本である。守ることにはいろいろあるが、自分の義を守るのが守ることの本である。曽子が曽皙を養うには必ず酒肉を出した。膳を下げようとする時は必ず誰に与えるのか聞いた。余りがあるかと聞かれると、必ずあると答えた。曽皙が死に曽元が曽子を養った。曽元も必ず酒肉を出したが、膳を下げようとする時に誰に与えるか聞かなかった。余りがあるかと聞かれると無いと答えた。曽子にそれを食べることを進めようとしたのである。これはいわゆる体を養うことである。曽子のようにするのは、心を養うと言うべきである。親に尽すのは曽子のようにすると可である。

   通し番号 445 章内番号 1 章通し番号 80 識別番号 7_19_1
本文
  1孟子曰、2事孰爲大、3事親爲大、4守孰爲大、5守身爲大、6不失其身、7而能事其親者、8吾聞之矣、9失其身、10而能事其親者、11吾未之聞也、
1 mèng zǐ yuē 、2 shì shú wéi dà 、3 shì qìng wéi dà 、4 shoǔ shú wéi dà 、5 shoǔ shēn wéi dà 、6 bù shī qí shēn 、7 ér néng shì qí qìng zhě 、8 wú wén zhī yǐ 、9 shī qí shēn 、10 ér néng shì qí qìng zhě 、11 wú wèi zhī wén yĕ 、
  孟子曰く、事えるいずれか大と爲す、親に事える大と爲す、守る孰れか大と爲す、(1)身を守る大と爲す、其身を失わずして、能く其親に事える者は、吾之を聞く、其身を失ないて、能く其親に事える者は、吾未だ之を聞かざるなり、
(1)身: 自分 我  身、我也(身は我なり) 通し番号912-2に「天下有道、以道殉身、天下無道、以身殉道(天下道有れば、道以て身にしたがわしむ、天下道無ければ、身以て道に殉わしむ)」とある。

朱注
  1守身、2持守其身、3使不陷於不義也、4一失其身、5則虧體辱親、6雖日用三牲之養、7亦不足以爲孝矣、
1 shoǔ shēn 、2 chí shoǔ qí shēn 、3 shǐ bù xiàn yú bù yì yĕ 、4 yī shī qí shēn 、5 zé kuī tǐ rŭ qìng 、6 suī rì yòng sān shēng zhī yǎng 、7 yì bù zú yǐ wéi xiào yǐ 、
  身を守るは、其身を持守し、不義に陥らざらしめるなり、一たび其身を失えば、則ち体を(1)そこない親を辱める、(2)日に(3)せいやしないを用いると雖も、亦以て孝と爲すに足らず、
(1)そこなう: そこなう かく  虧、損也(、損なり) 通し番号153-10朱注に「而又無所作爲以害之、則其本體不虧而充塞無閒矣(又作爲して以て之を害する所無ければ、則ち其本体けずして充塞し間無し)」とある。
(2)日に三牲の養を用いると雖も: これは『孝経』に出てくる。『孝経』では「三者不除、雖日用三牲之養、猶爲不孝也(三なるもの除かざれば、日に三牲の養を用いると雖も、猶不孝と爲すなり)」とある。
(3)三せい: 牛、羊、ぶた この場合はご馳走のこと  牛、羊、豕、曰牲(牛、羊、豕を牲と曰う)
朱注訳
身を守るは、その身を守り不義に陥らないようにする。一たび身を失うと体をそこない親を辱める。牛、羊、豚で親を養うともなお不孝である。


   通し番号 446 章内番号 2 章通し番号 80 識別番号 7_19_2
本文
  1孰不爲事、2事親、3事之本也、4孰不爲守、5守身、6守之本也、
1 shú bù wéi shì 、2 shì qìng 、3 shì zhī bĕn yĕ 、4 shú bù wéi shoǔ 、5 shoǔ shēn 、6 shoǔ zhī bĕn yĕ 、
  孰れか事えると爲さざらん、親に事えるは、事えるの本なり、孰れか守ると爲さざらん、身を守るは、守るの本なり、


朱注
  1事親孝、2則忠可移於君、3順可移於長、4身正、5則家齊、6國治、7而天下平、
1 shì qìng xiào 、2 zé zhōng kĕ yí yú jūn 、3 shùn kĕ yí yú zhǎng 、4 shēn zhèng 、5 zé jiā qí 、6 guó zhì 、7 ér tiān xià píng 、
  親に事え孝なれば、則ち忠は君に移るべし、順は長に移るべし、身正しければ、則ち家(1)ととのい、国治まりて、天下平らかなり、
(1)ととのう: ととのう  齊、整也(斉、整なり)
朱注訳
親に尽して孝であれば、君に対しては忠になり、年上の者に対しては順になる。自分が正しいと、家が整い、国が治まり、天下が治まる。


   通し番号 447 章内番号 3 章通し番号 80 識別番号 7_19_3
本文
  1曾子養曾皙、2必有酒肉、3將徹、4必請所與、5問有餘、6必曰有、7曾皙死、8曾元養曾子、9必有酒肉、10將徹、11不請所與、12問有餘、13曰亡矣、14將以復進也、15此所謂養口體者也、16若曾子、17則可謂養志也、
1 céng zǐ yǎng céng xī 、2 bì yoǔ jiŭ ròu 、3 jiāng chè 、4 bì qǐng suǒ yŭ 、5 wèn yoǔ yú 、6 bì yuē yoǔ 、7 céng xī sǐ 、8 céng yuán yǎng céng zǐ 、9 bì yoǔ jiŭ ròu 、10 jiāng chè 、11 bù qǐng suǒ yŭ 、12 wèn yoǔ yú 、13 yuē wáng yǐ 、14 jiāng yǐ fù jìn yĕ 、15 cǐ suǒ wèi yǎng koǔ tǐ zhě yĕ 、16 ruò céng zǐ 、17 zé kĕ wèi yǎng zhì yĕ 、
  曽子が曽せきを養う、必ず酒肉有り、将に(1)徹せんとし、必ず与える所を請う、余有るやを問えば、必ず有りと曰う、曽皙死す、曽元が曽子を養う、必ず酒肉有り、将に徹せんとし、与える所を請わず、余有るやを問えば、(2)しと曰う、将に以てまた進めんとするなり、此謂う所の口体を養う者なり、曽子の若きは、則ち志を養うと謂うべきなり、
(1)徹す: 取り去る  徹、除也(徹、除なり)
(2)し: 無い 亡、無也(亡、無なり) 通し番号354-6に「陽貨矙孔子之亡也、而饋孔子蒸豚(陽貨孔子のきをうかがいて孔子に蒸豚むしぶたおくる)」とある。

朱注
  1養、2去聲、3復、4扶又反、5○此承上文事親言之、6曾皙、7名點、8曾子父也、9曾元、10曾子子也、11曾子養其父、12每食必有酒肉、13食畢將徹去、14必請於父曰、15此餘者與誰、16或父問此物尙有餘否、17必曰有、18恐親意更欲與人也、19曾元不請所與、20雖有言無、21其意將以復進於親、22不欲其與人也、23此但能養父母之口體而已、24曾子則能承順父母之志、25而不忍傷之也、
1 yǎng 、2 qù shēng 、3 fù 、4 fú yoù fǎn 、5 ○ cǐ chéng shàng wén shì qìng yán zhī 、6 céng xī 、7 míng diǎn 、8 céng zǐ fǔ yĕ 、9 céng yuán 、10 céng zǐ zǐ yĕ 、11 céng zǐ yǎng qí fǔ 、12 mĕi shí bì yoǔ jiŭ ròu 、13 shí bì jiāng chè qù 、14 bì qǐng yú fǔ yuē 、15 cǐ yú zhě yŭ shéi 、16 huò fǔ wèn cǐ wù shàng yoǔ yú pǐ 、17 bì yuē yoǔ 、18 kŏng qìng yì gēng yù yŭ rén yĕ 、19 céng yuán bù qǐng suǒ yŭ 、20 suī yoǔ yán wú 、21 qí yì jiāng yǐ fù jìn yú qìng 、22 bù yù qí yŭ rén yĕ 、23 cǐ dàn néng yǎng fǔ mǔ zhī koǔ tǐ ér yǐ 、24 céng zǐ zé néng chéng shùn fǔ mǔ zhī zhì 、25 ér bù rĕn shāng zhī yĕ 、
  (1)養、去声、復、扶又反、○此は上文の親に事えるを承け、之を言う、曽皙、名は点、曽子の父なり、曽元、曽子の子なり、曽子其父を養うは、食の每に必ず酒肉有り、食(2)おわり将に徹去せんとす、必ず父に請いて曰く、此余りは誰に与えん、父此物なお余り有るや否やを問うことれば、必ず有りと曰う、恐らくは、親の意(3)さらに人に与えんと欲するなり、曽元与える所を請わず、有ると雖も無しと言う、其意将に以てまた親に進めんとし、其を人に与えることを欲せざるなり、此ただ能く父母の口体を養うのみ、曽子則ち能く父母の志に承順して、之を傷つけることを忍びざるなり、
(1)養、去声: 現代中国語ではyǎngと第三声(上声)に発音するため、第三声でピンインをつける。
(2)おわる: 終わる  畢、終也(ひつ、終なり) 通し番号299-6に「公事畢、然後敢治私事(公事おわる、然る後敢て私事を治む)」とある。
(3)さらに: さらに  更、再也、復也(更、再なり、復なり) 通し番号393-5朱注に「二端之外、更無他道(二端の外、さらに他の道無し)」とある。
朱注訳
養は去声である。復は扶又反である。これは前文の親に尽すことを受けて言う。曽皙は名は点で曽子の父である。曽元は曽子の子である。曽子がその父を養うのは、食のたびに必ず酒肉を出した。食事が終わり膳を下げようとする時、必ず父に尋ねた。「余ったものは誰に与えましょうか。」父が余りがあるかと聞くと必ずあると答えた。おそらく親はさらに人に与えようと思っていたのだろう。曽元は誰に与えるのかを聞かなかった。余りがあってもないと言った。また親に進めようと考え人に与えたくなかった。これは父母の体を養っているだけだ。曽子は父母の心に従い、父母の心を傷つけるのが忍びないのである。


   通し番号 448 章内番号 4 章通し番号 80 識別番号 7_19_4
本文
  1事親若曾子者、2可也、
1 shì qìng ruò céng zǐ zhě 、2 kĕ yĕ 、
  親に事えること曽子の若き者は、可なり、


朱注
  1言當如曾子之養志、2不可如曾元但養口體、3程子曰、4子之身所能爲者、5皆所當爲、6無過分之事也、7故事親若曾子、8可謂至矣、9而孟子止曰可也、10豈以曾子之孝爲有餘哉、
1 yán dāng rú céng zǐ zhī yǎng zhì 、2 bù kĕ rú céng yuán dàn yǎng koǔ tǐ 、3 chéng zǐ yuē 、4 zǐ zhī shēn suǒ néng wéi zhě 、5 jiē suǒ dāng wéi 、6 wú guò fēn zhī shì yĕ 、7 gù shì qìng ruò céng zǐ 、8 kĕ wèi zhì yǐ 、9 ér mèng zǐ zhǐ yuē kĕ yĕ 、10 qǐ yǐ céng zǐ zhī xiào wéi yoǔ yú zāi 、
  言えらく、当に曽子の志を養う如くすべし、曽元のただ口体を養う如くすべからず、程子曰く、子の身能く爲す所のものは、皆当に爲すべき所にして、分に過ぐるの事無きなり、故に親に事えること曽子の若くして、至れると謂うべし、而るに孟子(1)ただ可と曰うなり、豈曽子の孝以て(2)余有りと爲さんや、
(1)ただ: ただ 通し番号367-29朱注に「故孟子止闢楊墨(故に孟子ただ楊墨をしりぞく)」とある。
(2)余: 残り  餘、殘也(余、残なり) 通し番号603-26朱注に「今之禮書、皆掇拾於煨燼之餘(今の礼書は、皆煨燼わいじんの余に於て掇拾そうてつす)」とある。
朱注訳
曽子が心を養うようにすべきであり、曽元がただ体を養うようにしてはいけないと言う。程子が言う。子がなすことができるものは、みななすべきであり、分に過ぎることはない。親に尽すのが曽子のようであれば、至れりと言うべきである。孟子はただ可と言っているが、曽子の孝が足らない所があろうか。



7 離婁章句上 章番号 20 章通し番号 81
本文訳
  孟子は言う。人は責めるに足らない。政は責めるに足らない。大人たいじんでないと、人君の心の非を正すことはできない。人君が仁になれば、仁でないことはない。人君が義であれば、義でないことはない。人君が正しいと正しくないことはない。一たび人君を正すと国は治まる。

   通し番号 449 章内番号 1 章通し番号 81 識別番号 7_20_1
本文
  1孟子曰、2人不足與適也、3政不足閒也、4惟大人爲能格君心之非、5君仁莫不仁、6君義莫不義、7君正莫不正、8一正君而國定矣、
1 mèng zǐ yuē 、2 rén bù zú yŭ shì yĕ 、3 zhèng bù zú jiàn yĕ 、4 wéi dà rén wéi néng gé jūn xīn zhī feī 、5 jūn rén mò bù rén 、6 jūn yì mò bù yì 、7 jūn zhèng mò bù zhèng 、8 yī zhèng jūn ér guó dìng yǐ 、
  孟子曰く、人は(1)もっ(2)むるに足らざるなり、政は(3)そしるに足らざるなり、ただ大人能く君心の非を(4)ただすことを爲す、君仁なれば仁ならざる莫し、君義なれば義ならざる莫し、君正なれば正ならざるし、一たび君を正して国定まる、
(1)もって: 與、猶以也(与、猶以のごときなり) 通し番号94-8朱注に「不足與有爲可知矣(もって爲す有るに足らず、知るべし)」とある。
(2)む: 咎める(朱注) 朱子はこの適と次の間を人君を咎め、謗ると取っている。しかし賢人を登用すること、よい政治をすることは、人君の最もしなければならないことであり、これができないなら、人君は当然咎められ、謗られるべきである。ここの咎めるは人を咎めるのであり、ここの謗るは政を謗るのである。行政に従事する人は咎めるに足らない、政策は謗るに足らない、人君が仁で義になれば国は治まる、ただし人君を仁と義にするには、大人の徳が必要である、と言っているのである。趙注は「時皆小人居位、不足過責也、政敎不足復非訧(時に皆小人位に居るは、過責するに足らざるなり、政教はまたゆうするに足らず  訧、過也(訧、過なり))」とする。
(3)そしる: 謗る(朱注) 通し番号612-4朱注に「但無以言語閒而卻之(ただ言語以てそしること無くて之をしりぞく)」とある。
(4)ただす: 正す(朱注) 通し番号91-36朱注に「孟子與人君言、皆所以擴充其善心、而格其非心(孟子が人君と言えば、皆以て其善心を拡充し、其非心をただす所なり)」とある。

朱注
  1適、2音謫、3閒、4去聲、5○趙氏曰、6適、7過也、8閒、9非也、10格、11正也、12徐氏曰、13格者、14物之所取正也、15書曰、16格其非心、17愚謂閒字上亦當有與字、18言人君用人之非、19不足過讁、20行政之失、21不足非閒、22惟有大人之德、23則能格其君心之不正、24以歸於正、25而國無不治矣、26大人者、27大德之人、28正己而物正者也、29○程子曰、30天下之治亂、31繫乎人君之仁與不仁耳、32心之非、33卽害於政、34不待乎發之於外也、35昔者孟子三見齊王而不言事、36門人疑之、37孟子曰、38我先攻其邪心、39心旣正、40而後天下之事可從而理也、41夫政事之失、42用人之非、43知者能更之、44直者能諫之、45然非心存焉、46則事事而更之、47後復有其事、48將不勝其更矣、49人人而去之、50後復用其人、51將不勝其去矣、52是以輔相之職、53必在乎格君心之非、54然後無所不正、55而欲格君心之非者、56非有大人之德、57則亦莫之能也、
1 shì 、2 yīn zhí 、3 jiàn 、4 qù shēng 、5 ○ zhaò zhī yuē 、6 shì 、7 guò yĕ 、8 jiàn 、9 feī yĕ 、10 gé 、11 zhèng yĕ 、12 xú zhī yuē 、13 gé zhě 、14 wù zhī suǒ qŭ zhèng yĕ 、15 shū yuē 、16 gé qí feī xīn 、17 yú wèi jiàn zì shàng yì dāng yoǔ yŭ zì 、18 yán rén jūn yòng rén zhī feī 、19 bù zú guò zhé 、20 xíng zhèng zhī shī 、21 bù zú feī jiàn 、22 wéi yoǔ dà rén zhī dé 、23 zé néng gé qí jūn xīn zhī bù zhèng 、24 yǐ guī yú zhèng 、25 ér guó wú bù zhì yǐ 、26 dà rén zhě 、27 dà dé zhī rén 、28 zhèng jǐ ér wù zhèng zhě yĕ 、29 ○ chéng zǐ yuē 、30 tiān xià zhī zhì luàn 、31 jì hū rén jūn zhī rén yŭ bù rén ĕr 、32 xīn zhī feī 、33 jí hài yú zhèng 、34 bù dài hū fā zhī yú waì yĕ 、35 xī zhě mèng zǐ sān jiàn qí wáng ér bù yán shì 、36 mén rén yí zhī 、37 mèng zǐ yuē 、38 wǒ xiān gōng qí xié xīn 、39 xīn jì zhèng 、40 ér hòu tiān xià zhī shì kĕ cóng ér lǐ yĕ 、41 fū zhèng shì zhī shī 、42 yòng rén zhī feī 、43 zhī zhě néng gēng zhī 、44 zhí zhě néng jiàn zhī 、45 rán feī xīn cún yān 、46 zé shì shì ér gēng zhī 、47 hòu fù yoǔ qí shì 、48 jiāng bù shèng qí gēng yǐ 、49 rén rén ér qù zhī 、50 hòu fù yòng qí rén 、51 jiāng bù shèng qí qù yǐ 、52 shì yǐ fǔ xiàng zhī zhí 、53 bì zaì hū gé jūn xīn zhī feī 、54 rán hòu wú suǒ bù zhèng 、55 ér yù gé jūn xīn zhī feī zhě 、56 feī yoǔ dà rén zhī dé 、57 zé yì mò zhī néng yĕ 、
  適、音は謫、(1)間、去声、○趙氏曰く、適、(2)過なり、閒、非なり、格、正なり、徐氏曰く、格は、物が正を取る所なり、書に曰く、(3)(4)非心をただす、愚謂えらく、間の字の上亦当に与の字有るべし、言えらく、人君人を用いるの非、(5)たくするに足らず、政を行うの失、(6)非間するに足らず、ただ大人の徳有れば、則ち能く其君の心の正しからざるをただし、以て正に帰す、而して国治らざること無し、大人なる者は、大徳の人、己を正して物正しき者なり、○程子曰く、天下の治乱、人君の仁と不仁に(7)つながるのみ、心の非は、即ち政に於て害あり、之を外に発することを待たざるなり、昔者むかし孟子斉王に三見して事を言わず、門人之を疑う、孟子曰く、我ず其邪心を(8)おさむ、心既に正し、而して後天下の事従いて(9)ただすべきなり、それ政事の失、人を用いるの非、知者能く之を(10)あらため、直者能く之をいさむ、然れども非心存すれば、則ち事事に之をあらため、後にまた其事有り、将に其更に(11)えざらんとす、人人に之を去り、後にまた其人を用う、将に其去に勝えざらんとす、是を以て輔相の職は、必ず君心の非をただすことに在り、然る後正しからざる所無し、而して君心の非をたださんと欲する者は、大人の徳をたもつに非ざれば、則ち亦之を能くすることきなり、
(1)間、去声: 「謗る」の意味の時はjiànと第四声(去声)である。「隔てる」の意味の時も第四声になる。「あいだ」の意味の時はjiānと第一声(平声)である。
(2)過: 咎める  過、責也(過、責なり) 通し番号86-37朱注に「然其心則何過哉(然れども其心則ち何をとがめるかな)」とある。
(3)其非心を格す: 周書の冏命けいめいにある。
(4)非心: 道でない心 心には道、道理の意味がある。 心、或作道(心、或いは道に作る)
(5)過たく: せめる とがめる  過も讁も「せめる とがめる」の意味がある。 過、責也(過、責なり) 謫、或作讁(たく、或いはたくに作る) 謫、責也(謫、責なり)
(6)非間: そしる 非も間も「そしる」の意味がある。  非者、譏也(非は、譏なり) 閒、非也(間、非なり)
(7)つながる: つながる  繫、因、皆連接也(繫、因、皆連接なり) 通し番号891-11朱注に「言人之居處、所繫甚大(言えらく、人の居処、つながる所甚だ大なり)」とある。
(8)おさむ: 治める  攻、治也(攻、治なり) 通し番号323-12朱注に「蓋因其本心之明、以攻其所學之蔽(蓋し其本心の明に因り、以て其学ぶ所の蔽をおさむ)」とある。
(9)ただす: 正す  理、正也(理、正なり)
(10)あらたむ: 改める  更、改也(更、改なり) 通し番号772-4朱注に「欲更稅法、二十分而取其一分(税法をあらため、二十分にして其一分を取らんと欲す)」とある。
(11)える: 勝、堪也(勝、堪なり) 通し番号104-4に「工師得大木、則王喜、以爲能勝其任也(工師大木を得れば、則ち王喜び、以て能く其任にえると爲すなり)」とある。
朱注訳
適は音は謫である。間は去声である。趙氏は言う。適は過である。間は非である。格は正である。徐氏は言う。格は物が正しいものを取る。書経に言う。心の非を正す。私が思うに、間の字の上にまた与の字があるべきである。次のように言う。人君が人を用いる非は責めるに足らない。政の失敗は謗るに足らない。ただ大人の徳があると、君の心の正しくないものを正すことができて、人君を正しいものにする。人君の心が正しいと国は治まらないことがない。大人は徳の大きい人であり、己を正し物が正しくなる者である。
程子は言う。天下の治乱は人君の仁と不仁にかかる。心に非があると、心の非が外に出てくるのを待たずに政に害がある。昔、孟子は斉王に三回会ったが、政のことを言わなかった。門人が変に思うと、孟子は言った。「私は王の邪心を正している。心が正しくなれば、天下のことはそれにより正すことができる。」政の失敗、人を用いる非は、知者が改めることができ、実直な者が諫めることができる。しかし心に非があると、多くのことを改めてもまた改めることが出て来る。改め尽すことができない。多くの用いるべきでない人を除いても、また用いるべきでない人を用いる。除き尽すことができない。だから君を補佐する職になれば、君の心の非を正す。君の心が正しくなれば、正しくないものがない。君の心の非を正そうとする者は、大人の徳を持っていないとできない。

  フランス革命や名誉革命のような市民革命を民衆の革命のように思っている人が多いが、ここの市民は民衆のことでない。お金持ちのことである。現代の平均的な収入のサラリーマンではここの市民にならない。王制は世襲制である。王の子が王になる。すると立派な王も出て来るが、無能な王も出て来る。無能な王でも逆らうと殺されるから従わざるを得ない。しかし金を持っている裕福な者は、自分のほうが王よりずっと能力あるのにどうしてこんな無能な王に従わなければならないのかと不満がつのる。その不満が爆発したのが市民革命である。裕福な者がトップを選びそのトップが政治をするという体制になった。これが現代の選挙でトップを選ぶ制度である。現代は普通選挙であり、裕福な者がトップを選んでいるのではないではないかと言うかもしれない。しかし選挙には金が必要であり、候補者は金が集まるように行動する。事実上裕福な者がトップを選んでいる。
  現代では選挙でトップに選ばれても任期が4年くらいである。また選挙にはかなりの費用がかかる。こういう状況でトップになった者はどういう政治をするだろうか。次の選挙で当選するように有権者が気に入る政治をしようとする。また大金持ちの利益になる政治をして、たくさん献金してもらおうとする。4年という短い期間では、人に気に入られることをしようとして、国家百年の計に立った政治などはとてもできない。政治というのは必ず反対する者が出て来る。河のここに橋をかけようとすれば、それより上流の人は、どうして自分の所にかけてくれないのかと反対する。それより下流の人もどうして自分の所にかけてくれないのかと反対する。優れた指導者は遠慮深謀に基き、人の反対を押し切ってする人である。ところが4年毎に選挙で選ばれる不安定なトップでは、人の反対を押し切ってすることができない。こういうことができるには、世襲の王のような安定した地位がどうしても必要である。現代の選挙でトップを選ぶ制度では、安定した地位がないため、どうしても大衆や金持ちに媚ることだけをするようになる。孟子が言うようにトップが正しければ国は治まる。トップが正しくなれば国は治まらない。現代の制度ではトップは制度上正しくなることができない。よって国が治まることはない。

7 離婁章句上 章番号 21 章通し番号 82
本文訳
  孟子は言う。思いもよらずに誉められることがある。全きを求めているのに謗られることがある。

   通し番号 450 章内番号 1 章通し番号 82 識別番号 7_21_1
本文
  1孟子曰、2有不虞之譽、3有求全之毀、
1 mèng zǐ yuē 、2 yoǔ bù yú zhī yù 、3 yoǔ qiú quán zhī huǐ 、
  孟子曰く、(1)はからざるの(2)ほまれ有り、まったきを求めるの(3)そしり有り、
(1)はかる: はかる(朱注)
(2)ほまれ: ほめられること  譽、稱也(誉、称なり) 通し番号941-7朱注に「好名之人、矯情干譽(名を好むの人は、情をいつわり誉をもとむ)」とある。
(3)そしり: 謗り   毀、謗也(毀、ぼうなり) 通し番号422-5朱注に「自害其身者、不知禮義之爲美而非毀之 (自ら其身を害する者は、礼義の美と爲すを知らずして之を非毀ひきす)」とある。

朱注
  1虞、2度也、3呂氏曰、4行不足以致譽、5而偶得譽、6是謂不虞之譽、7求免於毀、8而反致毀、9是謂求全之毀、10言毀譽之言、11未必皆實、12脩己者、13不可以是遽爲憂喜、14觀人者、15不可以是輕爲進退、
1 yú 、2 dù yĕ 、3 lǚ zhī yuē 、4 xíng bù zú yǐ zhì yù 、5 ér ŏu dé yù 、6 shì wèi bù yú zhī yù 、7 qiú miǎn yú huǐ 、8 ér fǎn zhì huǐ 、9 shì wèi qiú quán zhī huǐ 、10 yán huǐ yù zhī yán 、11 wèi bì jiē shí 、12 xiū jǐ zhě 、13 bù kĕ yǐ shì jù wéi yoū xǐ 、14 guàn rén zhě 、15 bù kĕ yǐ shì qīng wéi jìn tuì 、
  虞、度なり、呂氏曰く、行以て誉を致すに足らず、而るに(1)たまたま誉を得る、是れはからざるの誉と謂う、そしりを免れることを求む、而るに反て毀を致す、是れまったきを求めるのそしりと謂う、毀誉の言、未だ必ずしも皆実ならざるを言う、己を脩めるは、是を以て(2)にわかに憂喜を爲すべからず、人を観るは、是を以て軽く進退を爲すべからず、
(1)たまたま: たまたま 通し番号33-45朱注に「孟子之言、豈偶然而已哉(孟子の言、豈にたまたま然るのみかな)」とある。
(2)にわかに: にわかに  遽、疾(きょ、疾なり) 通し番号404-33朱注に「然或者不脩其本、而遽欲勝之、則未必能勝、而適以取禍(然れども或者あるいは其本を脩めずして、にわかに之に勝たんと欲せば、則ち未だ必ずしも勝つこと能わずして、まさに以て禍を取らんとす)」とある。
朱注訳
虞は度である。呂氏は言う。していることは誉を受けるほどでないのに、誉を受けることがある。これをはからざるの誉と言う。謗られないようにすることを求めているのに、かえって謗られる。これを全きを求めるのそしりと言う。ほめたり謗ったりする言葉は必ずしも実に当たるものでないことを言う。己を修めるのは人の毀誉ですぐに憂えたり喜んだりしてはいけない。人を見るのは毀誉だけで軽々しく人を進めたり退けたりしてはいけない。



7 離婁章句上 章番号 22 章通し番号 83
本文訳
  孟子は言う。人が軽々しく言うのは、それを実行しようとしないからである。

   通し番号 451 章内番号 1 章通し番号 83 識別番号 7_22_1
本文
  1孟子曰、2人之易其言也、3無責耳矣、
1 mèng zǐ yuē 、2 rén zhī yì qí yán yĕ 、3 wú zé ĕr yǐ 、
  孟子曰く、人の其言に(1)おろそかなるは、(2)責無きのみ、
(1)おろそか: おろそか  易、忽也(易、忽なり) 通し番号157-35朱注に「又知其害於政事之決然而不可易者如此(又其政事に於て害あるは決然としておろそかにすべからざるを知ること此の如し)」とある。
(2)責: 負債 言ったことを後に実行するのを負債としている。 責、債之本字、義實相通、言人若持左券、責於其後、則必不能易言矣、惟無此、故人多易言也(責は、債の本字、義は実に相通ず、言れらく、人若し左券を持ち、其後に責あれば、則ち必ず言をおろそかにすること能わず、惟此無し、故に人多く言をおろそかにするなり 左券:割符の左半分)(中井履軒)

朱注
  1易、2去聲、3○人之所以輕易其言者、4以其未遭失言之責故耳、5蓋常人之情、6無所懲於前、7則無所警於後、8非以爲君子之學、9必俟有責、10而後不敢易其言也、11然此豈亦有爲而言之與、
1 yì 、2 qù shēng 、3 ○ rén zhī suǒ yǐ qīng yì qí yán zhě 、4 yǐ qí wèi zaō shī yán zhī zé gù ĕr 、5 gaì cháng rén zhī qíng 、6 wú suǒ chéng yú qián 、7 zé wú suǒ jǐng yú hòu 、8 feī yǐ wéi jūn zǐ zhī xué 、9 bì sì yoǔ zé 、10 ér hòu bù gǎn yì qí yán yĕ 、11 rán cǐ qǐ yì yoǔ wèi ér yán zhī yú 、
  易、去声、○人の其言を(1)する所以は、其未だ失言の責に遭わざる故を以てするのみ、蓋し常人の情、前に(2)おそれる所無ければ、則ち後に(3)そなえる所無し、以て君子の学は、必ず責有るを(4)ちて、後敢えて其言をおろそかにせざるを爲すに非ざるなり、然れば此は(5)それためにすること有りて之を言うか、
(1)軽: 軽くおろそかにする 易は「おろそか」の意味がある。 易、忽也(易、忽なり)
(2)おそれる: 恐れる  懲、恐也(ちょう、恐なり)
(3)そなえる: 備える  警、戒也
(4)つ: 待つ  俟、待也(、待なり) 通し番号479-5朱注に「養、謂涵育薰陶、俟其自化也(養は涵育かんいく薰陶くんとうし、其自ずから化するをつを謂うなり)」とある。
(5)それ: それ 発語の辞  豈、猶其也(がい、猶其のごときなり) 通し番号277-21朱注に「豈曾子嘗誦之、以告其門人歟(それ曽子嘗て之をい、以て其門人に告ぐるか)」とある。
  
朱注訳
易は去声である。人が言葉に軽々しいのは、まだ失言を責められたことがないからである。凡人は前に恐れることがないと、後ろに備えない。君子の学は失言を責められることがあるから言を軽々しくしないのではない。これは何かのために言ったのだろうか。



7 離婁章句上 章番号 23 章通し番号 84
本文訳
  孟子は言う。人の病気は好んで人の師となることである。

   通し番号 452 章内番号 1 章通し番号 84 識別番号 7_23_1
本文
  1孟子曰、2人之患、3在好爲人師、
1 mèng zǐ yuē 、2 rén zhī huàn 、3 zaì haò wéi rén shī 、
  (1)孟子曰く、人の患、好んで人の師と爲ることに在り、
(1): 人の師となるのがよくないと言っているのでない。好んで人の師となることはよくないと言っているのである。病根は「好んで」にある。 好字是病根矣、驕吝實相長、不然可爲人師而爲師、亦何害(好の字是れ病根なり、驕りんちて相すすむ、然らずして人の師と爲るべくして師と爲る、亦何の害ぞ 吝、貪也(りん、貪なり))(中井履軒)

朱注
  1好、2去聲、3○王勉曰、4學問有餘、5人資於己、6不得已而應之可也、7若好爲人師、8則自足而不復有進矣、9此人之大患也、
1 haò 、2 qù shēng 、3 ○ wáng miǎn yuē 、4 xué wèn yoǔ yú 、5 rén zī yú jǐ 、6 bù dé yǐ ér yīng zhī kĕ yĕ 、7 ruò haò wéi rén shī 、8 zé zì zú ér bù fù yoǔ jìn yǐ 、9 cǐ rén zhī dà huàn yĕ 、
  好、去声、○王勉曰く、学問余有り、人己に(1)る、已むを得ずして之に応ずるは可なり、若し人の師と爲ることを好めば、則ち自ら足りてまた進むこと有らず、此は人の大患なり、
(1)る: 取る  資、取也(資、取なり) 通し番号605-9朱注に「不資其勢而利其有(其勢をらずして其有を利とす)」とある。
朱注訳
好は去声である。王勉は言う。己の学問に余りがあり、人が己に取ろうとするなら、やむを得ずにそれに応じるのは可である。人の師になることを好めば、自らに満足して進むことがない。これは人の大患である。



7 離婁章句上 章番号 24 章通し番号 85
本文訳
  楽正子は子敖しごうに従い斉に行く。楽正子は孟子に会う。孟子は言う。「私にも会いに来たのか。」楽正子は言う。「先生はどうしてそうおっしゃるのですか。」孟子が言う。「君が来たのはいつだ。」楽正子が言う。「昨日です。」孟子が言う。「昨日来たのなら私がこう言うのももっともだ。」楽正子が言う。「宿屋がまだ決まっていませんでした。」孟子が言う。「君は宿屋が決まってから師に会うと聞いているのか。」楽正子は言う。「私に罪があります。」

   通し番号 453 章内番号 1 章通し番号 85 識別番号 7_24_1
本文
  1樂正子從於子敖之齊、
1 lè zhèng zǐ cóng yú zǐ áo zhī qí 、
  楽正子がくせいし子敖しごうに従い斉にく、


朱注
  1子敖、2王驩字、
1 zǐ áo 、2 wáng huān zì 、
  子敖、王かんの字なり、
朱注訳
子敖、王かんの字である。


   通し番号 454 章内番号 2 章通し番号 85 識別番号 7_24_2
本文
  1樂正子見孟子、2孟子曰、3子亦來見我乎、4曰、5先生何爲出此言也、6曰、7子來幾日矣、8曰、9昔者、10曰、11昔者、12則我出此言也、13不亦宜乎、14曰、15舍館未定、16曰、17子聞之也、18舍館定、19然後求見長者乎、
1 lè zhèng zǐ jiàn mèng zǐ 、2 mèng zǐ yuē 、3 zǐ yì laí jiàn wǒ hū 、4 yuē 、5 xiān shēng hé wéi chū cǐ yán yĕ 、6 yuē 、7 zǐ laí jǐ rì yǐ 、8 yuē 、9 xī zhě 、10 yuē 、11 xī zhě 、12 zé wǒ chū cǐ yán yĕ 、13 bù yì yí hū 、14 yuē 、15 shè guǎn wèi dìng 、16 yuē 、17 zǐ wén zhī yĕ 、18 shè guǎn dìng 、19 rán hòu qiú jiàn zhǎng zhě hū 、
  楽正子孟子にまみゆ、孟子曰く、子(1)亦来り我にうか、曰く、先生何爲なんすれぞ此言を出すや、曰く、子来るいく日ぞ、曰く、(2)昔者きのうなり、曰く、昔者きのうならば、則ち我此言を出すや、亦うべならざるか、曰く、(3)舍館未だ定まらず、曰く、子之を聞くや、舍館定まり、然る後(4)長者にまみゆるを求めるか、
(1)亦: 何かの用事があり来たついでに孟子の所にも行ったのである。本来なら孟子の所にすぐに行くべきなのだが、何か孟子がいる所の近くで楽正子がしなければならない用事があり、その用事をする時に孟子の所に行けばよいと楽正子は考え孟子の所へ行くのを遅らせたのである。 亦字、與下來見緊接矣、不連上子字、若與子字連者、是他人來見、而樂正子亦來見也、此不然已、言樂正子別有営爲也、而亦來見我耳(亦の字、下の来りうと緊接す、上の子の字とつらならず、もし子の字と連なるものならば、是れ他人が来りい、樂正子亦来りうなり、此は然らざるのみ、言えらく、楽正子別に営爲有るなり、而して亦来り我にう)(中井履軒)
(2)昔者きのう: 昨日(朱注) 通し番号209-3に「昔者辭以病(昔者きのうは辞するに病を以ってする)」とある。
(3)舍館: 宿屋 旅館  舍にも館にも「宿屋」の意味がある。 舍、行所解止之處(舍、行き解止する所のところなり 解、與休止同義(解、休止と同義なり)) 館、舍(館は、舍なり)(通し番号980-1朱注)  通し番号286-31朱注に「中以二十畝爲廬舍(中二十畝以て廬舍ろしゃと爲す)」とある。 通し番号731-2に「交得見於鄒君、可以假館(交はすう君にまみえることを得ば、以て館を仮るべし)」とある。
(4)長者: 師  此長者は師を以て云えり(中村惕斎)

朱注
  1長、2上聲、3○昔者、4前日也、5館、6客舍也、7王驩、8孟子所不與言者、9則其人可知矣、10樂正子乃從之行、11其失身之罪大矣、12又不早見長者、13則其罪又有甚者焉、14故孟子姑以此責之、
1 zhǎng 、2 shàng shēng 、3 ○ xī zhě 、4 qián rì yĕ 、5 guǎn 、6 kè shè yĕ 、7 wáng huān 、8 mèng zǐ suǒ bù yŭ yán zhě 、9 zé qí rén kĕ zhī yǐ 、10 lè zhèng zǐ nǎi cóng zhī xíng 、11 qí shī shēn zhī zuì dà yǐ 、12 yoù bù zaǒ jiàn zhǎng zhě 、13 zé qí zuì yoù yoǔ shèn zhě yān 、14 gù mèng zǐ gū yǐ cǐ zé zhī 、
  長、上声、○昔者、前日なり、館、(1)客舍かくしゃなり、王かん、孟子ともに言わざる所の者なり、則ち其人知るべし、楽正子乃ち之に従い行く、其(2)身を失うの罪大なり、又早く長者に見えず、則ち其罪(3)さらに甚だしきもの有り、故に孟子(4)しばらく此を以て之を責む、
(1)客舍かくしゃ: 宿屋
(2)身: 自分 我  身、我也(身は我なり) 通し番号445-4に「守孰爲大、守身爲大(守る孰れか大と爲す、身を守る大と爲す)」とある。
(3)さらに: さらに  又、猶更也(又、猶更のごときなり)  通し番号861-2朱注に「東山、蓋魯城東之高山、而太山則又高矣(東山、蓋し魯の城東の高山なり、太山は則ちさらに高し)」とある。
(4)しばらく: しばらく  姑、且也(姑、且なり) 通し番号321-35朱注に「但其施之之序、姑自此始耳(ただ其之を施すの序、しばらく此り始めるのみ)」とある。
朱注訳
長は上声である。昔者は前日である。館は宿屋である。王驩は孟子が話をしない人だからその人となりは知ることができる。楽正子は子敖しごうに従って行った。これは自分の身を失っており、その罪は大きい。さらに早く師に会わなければ、その罪はさらに大きい。だから孟子はこのように責める。


   通し番号 455 章内番号 3 章通し番号 85 識別番号 7_24_3
本文
  1曰、2克有罪、
1 yuē 、2 kè yoǔ zuì 、
  曰く、(1)こく罪有り、
(1)こく: 楽正子の名  克、樂正子名(克、楽正子の名)(通し番号127-9朱注)

朱注
  1陳氏曰、2樂正子固不能無罪矣、3然其勇於受責如此、4非好善而篤信之、5其能若是乎、6世有強辯飾非、7聞諫愈甚者、8又樂正子之罪人也、
1 chén zhī yuē 、2 lè zhèng zǐ gù bù néng wú zuì yǐ 、3 rán qí yŏng yú shòu zé rú cǐ 、4 feī haò shàn ér dǔ xìn zhī 、5 qí néng ruò shì hū 、6 shì yoǔ qiǎng biàn shì feī 、7 wén jiàn yù shèn zhě 、8 yoù lè zhèng zǐ zhī zuì rén yĕ 、
  陳氏曰く、楽正子もとより罪無きこと能わず、然れども其責を受くるに(1)勇なること此如し、善を好みてあつく之を信ずるに非ざれば、れ能く是の若きか、世強弁して非を飾り、諫を聞き(2)ますます甚だしき者有り、又楽正子の罪人なり、
(1)勇: 意志の果敢なこと  勇、志之所以敢也(勇、志の以て敢なる所なり)
(2)ますます: ますます  愈、益也(愈、益なり) 通し番号244-11朱注に「順而爲之辭、則其過愈深矣(したがいて之が辞を爲せば、則ち其あやまますます深し)」とある。
朱注訳
陳氏は言う。楽正子はもとより罪がないことはない。しかし責められそれをすぐに受ける志がこのようにある。善を好み善を信じることが篤くないと、このようにすることができようか。世には強弁して非を飾り、諫言を受けてさらにひどくなる者がいる。こういう人は楽正子の罪人である。



7 離婁章句上 章番号 25 章通し番号 86
本文訳
  孟子が楽正子に言う。「君が子敖しごうに従って来たのは、ただ飲食のためだ。私は君が古の道を学んで飲食だけするとは思わなかった。」

   通し番号 456 章内番号 1 章通し番号 86 識別番号 7_25_1
本文
  1孟子謂樂正子曰、2子之從於子敖來、3徒餔啜也、4我不意子學古之道、5而以餔啜也、
1 mèng zǐ wèi lè zhèng zǐ yuē 、2 zǐ zhī cóng yú zǐ áo laí 、3 tú bū chuò yĕ 、4 wǒ bù yì zǐ xué gŭ zhī daò 、5 ér yǐ bū chuò yĕ 、
  孟子楽正子に謂いて曰く、子の子敖しごうに従い来るは、ただ(1)餔啜ほせつするなり、我は、子が古の道を学びて、以て餔啜すると(2)おもわざるなり、
(1)餔啜ほせつ: 飲食 餔が食で啜が飲(朱注)
(2)おもう: 思う  意、思念也(意、思念なり) 通し番号613-39朱注に「而愚意、其直爲衍字耳(而るに愚おもうに、其ただ衍字えんじを爲すのみ)」とある。

朱注
  1餔、2博孤反、3啜、4昌悅反、5○徒、6但也、7餔、8食也、9啜、10飮也、11言其不擇所從、12但求食耳、13此乃正其罪而切責之、
1 bū 、2 bó gū fǎn 、3 chuò 、4 chāng yuè fǎn 、5 ○ tú 、6 dàn yĕ 、7 bū 、8 shí yĕ 、9 chuò 、10 yǐn yĕ 、11 yán qí bù zé suǒ cóng 、12 dàn qiú shí ĕr 、13 cǐ nǎi zhèng qí zuì ér qiè zé zhī 、
  餔、博孤反、啜、昌悦反、○徒、但なり、餔、食なり、啜、飮なり、言えらく、其従う所を択ばざるは、ただ食を求めるのみ、此乃ち其罪を正して切に之を責む、
朱注訳
餔は博孤反である。啜は昌悦反である。徒は但である。餔は食である。啜は飮である。従う所を択ばないのは、ただ食を求めるだけであると言う。これはその罪を正して切に責める。

  会社に就職するのは給料をもらうのが一つの目的である。だから高給を出せばたくさんの人がやって来る。しかし給料のために就職するなら、これは飲食のために就職したのと同じである。会社に就職する前に長い間教育を受けて来た。小学校、中学校、高校、大学と十二年以上の教育を受けて来た。それで給料のために会社に就職するなら、これは飲食のために長い間教育を受けたのである。単に飲食のために教育を受けることがあってはならないはずである。

7 離婁章句上 章番号 26 章通し番号 87
本文訳
  孟子は言う。不孝に三つある。子孫が絶えるのが一番大きな不孝である。舜が親に告げずに娶ったのは子孫が絶えるためである。君子は告げたようなものだとする。

   通し番号 457 章内番号 1 章通し番号 87 識別番号 7_26_1
本文
  1孟子曰、2不孝有三、3無後爲大、
1 mèng zǐ yuē 、2 bù xiào yoǔ sān 、3 wú hòu wéi dà 、
  孟子曰く、不孝に三有り、後無き大と爲す、


朱注
  1趙氏曰、2於禮有不孝者三事、3謂阿意曲從、4陷親不義、5一也、6家貧親老、7不爲祿仕、8二也、9不娶無子、10絶先祖祀、11三也、12三者之中、13無後爲大、
1 zhaò zhī yuē 、2 yú lǐ yoǔ bù xiào zhě sān shì 、3 wèi ā yì qū cóng 、4 xiàn qìng bù yì 、5 yī yĕ 、6 jiā pín qìng laǒ 、7 bù wéi sì shì 、8 èr yĕ 、9 bù qŭ wú zǐ 、10 jué xiān zǔ sì 、11 sān yĕ 、12 sān zhě zhī zhōng 、13 wú hòu wéi dà 、
  趙氏曰く、礼に於て不孝は三事有り、謂えらく、意に(1)おもねり曲従し、親を不義におとしいれるは、一なり、家貧しく親老い、(2)禄仕を爲さざるは、二なり、めとらずして子無く、先祖のまつりを絶つは、三なり、三なるものの中で、後無きを大と爲す、
(1)おもねる: おもねる  阿、隨也(阿、随なり) 通し番号165-8朱注に「假使汙下、必不阿私所好而空譽之(仮に汙下ならしむとも、必ず私の好む所におもねりて之を空誉せず)」とある。
(2)禄仕: 禄のために仕える
朱注訳
趙氏は言う。礼においては不孝は三つある。一つは親におもねり従い親を不義に陥れることである。二つめは家が貧しく親が老いているのに、仕えて禄をもらおうとしないことである。三つめは結婚しないで子がなく先祖を祭ることが絶えることである。三つの中で子がないことを一番大きな不孝とする。


   通し番号 458 章内番号 2 章通し番号 87 識別番号 7_26_2
本文
  1舜不告而娶、2爲無後也、3君子以爲猶告也、
1 shùn bù gaò ér qŭ 、2 wèi wú hòu yĕ 、3 jūn zǐ yǐ wéi yóu gaò yĕ 、
  舜告げずしてめとるは、後無き爲なり、君子以て猶告ぐるがごときと爲すなり、


朱注
  1爲無之爲、2去聲、3○舜告焉、4則不得娶、5而終於無後矣、6告者禮也、7不告者權也、8猶告、9言與告同也、10蓋權而得中、11則不離於正矣、12○范氏曰、13天下之道、14有正有權、15正者萬世之常、16權者一時之用、17常道人皆可守、18權非體道者、19不能用也、20蓋權出於不得已者也、21若父非瞽瞍、22子非大舜、23而欲不告而娶、24則天下之罪人也、
1 wèi wú zhī wèi 、2 qù shēng 、3 ○ shùn gaò yān 、4 zé bù dé qŭ 、5 ér zhōng yú wú hòu yǐ 、6 gaò zhě lǐ yĕ 、7 bù gaò zhě quán yĕ 、8 yóu gaò 、9 yán yŭ gaò tóng yĕ 、10 gaì quán ér dé zhòng 、11 zé bù lí yú zhèng yǐ 、12 ○ fàn zhī yuē 、13 tiān xià zhī daò 、14 yoǔ zhèng yoǔ quán 、15 zhèng zhě wàn shì zhī cháng 、16 quán zhě yī shí zhī yòng 、17 cháng daò rén jiē kĕ shoǔ 、18 quán feī tǐ daò zhě 、19 bù néng yòng yĕ 、20 gaì quán chū yú bù dé yǐ zhě yĕ 、21 ruò fǔ feī gŭ sŏu 、22 zǐ feī dà shùn 、23 ér yù bù gaò ér qŭ 、24 zé tiān xià zhī zuì rén yĕ 、
  爲無の爲、去声、○舜告ぐれば、則ち娶ることを得ず、而して後無きに終る、告ぐるは礼なり、告げざるは権なり、猶告は、告と同じを言うなり、蓋し権にしてあたるを得れば、則ち正から離れず、○范氏曰く、天下の道は、正有り権有り、正は万世の常、権は一時の用、常道は人皆守るべし、権は道を体する者に非ざれば、用いること能わざるなり、蓋し権は已むを得ざるものに出ずるなり、もし瞽瞍こそうに非ず、子大舜に非ずして、告げずして娶らんと欲せば、則ち天下の罪人なり、
朱注訳
爲無の爲は去声である。舜が親に言えば娶ることができず子孫が絶えた。結婚を親に言うのは礼である。結婚を親に言わないのは権である。猶告ぐるがごときは、告げるのと同じと言う。権で宜に当たっておれば正から離れていない。范氏は言う。天下の道には、正と権がある。正は万世変わらないものである。権は一時に用いるものである。常道は人はみな守ることができる。権は道を得ている者でないと用いることができない。権はやむを得ないことから出て来る。父が瞽瞍こそうで子が舜でないのに、親に告げずに娶ろうとすれば天下の罪人である。

  現代日本は出生率の低下に苦しんでいる。子供が少なく人口が減少しようとしている。女性が働いても安心して出産できる環境がないから、出生率が低下するのだと考えられている。女性の育児休暇の充実、保育園の充実などに取り組んでいる。しかし出生率低下の一番の原因は別の所にある。社会の考え方である。私たちの今の社会では、自分が楽しく暮らすことが重んじられている。おいしいものを食べ、よいものを着て、よい家に住み、おもしろおかしく一日を過そうとしている。そういう考え方だと子供は邪魔なのである。子供を育てるには手間がかかるから、自分の時間を奪われる。子供は教育費がずいぶんとかかる。だから子供がおれば、自分が使えるお金が減り、うまいものを食べることもよいものを着ることも減らさなければならない。現代の日本には、孟子の頃のような子孫を絶やすことは大変な親不孝だという考え方は微塵もない。それで出生率が落ちるのである。イスラム圏は出生率が高い。コーランには「善良な者は結婚せよ」とあり、結婚を重んじる考え方がある。この考え方が出生率が高い一因になっているのだろう。「子孫がないのは、大きな親不孝だ」という考え方がまた復活しない限り、日本の出生率の向上は望みにくい。

  范氏が「道を体している者でないと権を行ってはならない」とするのは同意しかねる。むしろ権を行うことができるから道を体していると言うことができる。権を行うことのできない人は『孫子』を読んで、『孫子』を暗証するほどよく知っているのだけど、戦いに負ける人のようなものである。『孫子』に書かれていることはあくまで兵法の常道である。実際の兵法は状況に応じて千変万化せんぺんばんかする。韓信は兵法では禁忌である背水の陣をしいて戦いに勝ったが、常道だけに捉われていては実際の戦いでは勝てない。道も権を行うことができて初めT道を知っていると言うことができる。

7 離婁章句上 章番号 27 章通し番号 88
本文訳
  孟子は言う。仁の実は親に尽すことである。義の実は兄に従うことである。智の実はこの二つを知って去らないことである。礼の実はこの二つを節することである。音楽の実はこの二つを楽しむことである。楽しめば生じる。生じればどうしてやめることができようか。やめることができないなら、知らずに足がこれを踏み手がこれに舞う。

   通し番号 459 章内番号 1 章通し番号 88 識別番号 7_27_1
本文
  1孟子曰、2仁之實、3事親是也、4義之實、5從兄是也、
1 mèng zǐ yuē 、2 rén zhī shí 、3 shì qìng shì yĕ 、4 yì zhī shí 、5 cóng xiōng shì yĕ 、
  孟子曰く、仁の実、親に事える是れなり、義の実、兄に従う是れなり、


朱注
  1仁主於愛、2而愛莫切於事親、3義主於敬、4而敬莫先於從兄、5故仁義之道、6其用至廣、7而其實不越於事親從兄之閒、8蓋良心之發、9最爲切近而精實者、10有子以孝弟爲爲仁之本、11其意亦猶此也、
1 rén zhǔ yú ài 、2 ér ài mò qiè yú shì qìng 、3 yì zhǔ yú jìng 、4 ér jìng mò xiān yú cóng xiōng 、5 gù rén yì zhī daò 、6 qí yòng zhì guǎng 、7 ér qí shí bù yuè yú shì qìng cóng xiōng zhī jiān 、8 gaì liáng xīn zhī fā 、9 zuì wéi qiè jìn ér jīng shí zhě 、10 yoǔ zǐ yǐ xiào dì wéi wéi rén zhī bĕn 、11 qí yì yì yóu cǐ yĕ 、
  仁は愛を主とす、而して愛は親に事えるより(1)切なることし、義は敬を主とす、而して敬は兄に従うより先にすること莫し、(2)もとより仁義の道は、其用至りて広し、しかるに其実は親に事え兄に従うの間を越えず、蓋し良心の発するは、切近にして精実なることを最も爲す、(3)有子は孝弟以て仁を爲すの本と爲す、其意亦猶此ごときなり、
(1)切: 身近  切、近也(切、近なり) 通し番号494-10朱注に「而人倫尤切於身(而るに人倫尤も身に切なり)」とある。
(2)もとより: もとより 故、猶本也(故、猶本のごときなり)
(2)有子孝弟以て仁を爲すの本と爲す: 『論語』學而2の次の一文を言っている。「有子曰、其爲人也孝弟、而好犯上者鮮矣。不好犯上、而好作亂者未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與(有子曰く、其人と爲りや孝弟、而して上を犯すを好む者すくなし。上を犯すを好まず、而して乱をすを好む者未だ之有らざるなり、君子は本を務む、本立ちて道生ず、孝弟なるや、其仁を爲すの本か)」
朱注訳
仁は愛を主とする。愛は親に尽すほど身近なものはない。義は敬を主とする。敬は兄に従うほど先にすることはない。仁義の道の用途はこの上なく広い。しかしその実は親に尽し兄に従うことを越えない。人の良心が出て来るのは、近いことで最も精になり実になる。有子が孝弟を仁をなすの本としたのはまた同じ意味である。


   通し番号 460 章内番号 2 章通し番号 88 識別番号 7_27_2
本文
  1智之實、2知斯二者弗去是也、3禮之實、4節文斯二者是也、5樂之實、6樂斯二者、7樂則生矣、8生則惡可已也、9惡可已、10則不知足之蹈之、11手之舞之、
1 zhì zhī shí 、2 zhī sī èr zhě fú qù shì yĕ 、3 lǐ zhī shí 、4 jié wén sī èr zhě shì yĕ 、5 yuè zhī shí 、6 lè sī èr zhě 、7 lè zé shēng yǐ 、8 shēng zé wū kĕ yǐ yĕ 、9 wū kĕ yǐ 、10 zé bù zhī zú zhī dǎo zhī 、11 shoǔ zhī wŭ zhī 、
  智の実、この二なるものを知り、去らざる是れなり、礼の実、斯二なるものを(1)節文する是れなり、がくの実、斯二なるものを楽しむ、楽しめば則ち生ず、生ずれば則ち悪ぞ已むべけんや、悪ぞ已むべくんば、則ち足の之を踏み、手の之に舞うを知らず、
(1)節文: 区別しほどよくしあやをなす(朱注) 通し番号300-58朱注に「制度節文不可復考(制度の節文また考うべからず)」とある。

朱注
  1樂斯、2樂則之樂、3音洛、4惡、5平聲、6○斯二者、7指事親從兄而言、8知而弗去、9則見之明、10而守之固矣、11節文、12謂品節文章、13樂則生矣、14謂和順從容、15無所勉強、16事親從兄之意、17油然自生、18如草木之有生意也、19旣有生意、20則其暢茂條達、21自有不可遏者、22所謂惡可已也、23其又盛、24則至於手舞足蹈而不自知矣、25○此章言事親從兄、26良心眞切、27天下之道、28皆原於此、29然必知之明、30而守之固、31然後節之密、32而樂之深也、
1 lè sī 、2 lè zé zhī lè 、3 yīn luò 、4 wū 、5 píng shēng 、6 ○ sī èr zhě 、7 zhǐ shì qìng cóng xiōng ér yán 、8 zhī ér fú qù 、9 zé jiàn zhī míng 、10 ér shoǔ zhī gù yǐ 、11 jié wén 、12 wèi pǐn jié wén zhāng 、13 lè zé shēng yǐ 、14 wèi hé shùn cóng róng 、15 wú suǒ miǎn qiǎng 、16 shì qìng cóng xiōng zhī yì 、17 yóu rán zì shēng 、18 rú caǒ mù zhī yoǔ shēng yì yĕ 、19 jì yoǔ shēng yì 、20 zé qí chàng maò tiaó dá 、21 zì yoǔ bù kĕ è zhě 、22 suǒ wèi wū kĕ yǐ yĕ 、23 qí yoù chéng 、24 zé zhì yú shoǔ wŭ zú dǎo ér bù zì zhī yǐ 、25 ○ cǐ zhāng yán shì qìng cóng xiōng 、26 liáng xīn zhēn qiè 、27 tiān xià zhī daò 、28 jiē yuán yú cǐ 、29 rán bì zhī zhī míng 、30 ér shoǔ zhī gù 、31 rán hòu jié zhī mì 、32 ér lè zhī shēn yĕ 、
  楽斯、楽則の楽、音は洛、悪、平声、○斯二者は、親に事え、兄に従うを指して言う、知りて去らず、則ち之を見ること明かにして、之を守ること固し、節文、(1)品節(2)文章を謂う、楽しめば則ち生ずは、和順(3)従容しょうようとして、勉強する所無きを謂う、親に事え兄に従うの(4)意、(5)油然ゆうぜんとして自ずから生ず、草木の生ずる意有るが如きなり、既に生ずる意有れば、則ち其(6)暢茂ちょうも(7)條達じょうたつし、自ずから(8)とめるべからざるもの有り、謂う所の悪ぞ已むべけんやなり、其(9)さらに盛なれば、則ち手舞い足踏みてみずから知らざるに至る、○此章言えらく、親に事え兄に従うは、(10)良心が(11)まこと(12)切なり、天下の道、皆此を(13)みなもととす、然れば必ず之を知ること明かにして、之を守ること固くす、然る後之を節すること(14)こまかにして、之を楽しむこと深きなり、
(1)品節: 区別しほどよくする  品、謂階格也(品、階格を謂うなり) 節、猶適也(節、猶適のごときなり) 通し番号14-69朱注に「此言盡法制品節之詳(此言は法制品節の詳を尽す)」とある。
(2)文章: あやをなす 青と赤のあやが文で、赤と白のあやが章である。それからあやのことも言う。 青與赤謂之文、赤與白謂之章(青と赤之を文と謂う、赤と白之を章と謂う) 通し番号334-20朱注に「使繅以爲黼黻文章(りて以て黼黻ふふつ文章をつくらしむ)」とある。
(3)従容しょうよう: ゆったりとしたさま  從容、舒緩貌(従容、じょ緩の貌なり) 通し番号972-4朱注に「從容中道(従容しょうようとして道にあたる)」とある。
(4)意: 心  意、志也(意、志なり) 通し番号279-8朱注に「不我足、謂不以我滿足其意也(我を足れりとせずは、我を以て其意を満足せざるを謂うなり)」とある。
(5)油然ゆうぜん: ひとりでに起こるさま
(6)暢茂ちょうも: 伸び茂る  暢茂、長盛也(暢茂、長盛なり)(通し番号307-19朱注) 通し番号307-5に「草木暢茂(草木暢茂ちょうもす)」とある。
(7)條達じょうたつ: 木の枝が伸びるように四方にのび通ずる 條には「木の枝」の意味がある。 條、小枝也(條、小枝なり)
(8)む: 止める  遏、止也(あつ、止なり) 通し番号365-10朱注に「遏人欲於橫流(人欲を横流に於てむ)」とある。
(9)さらに: さらに  又、猶更也(又、猶更のごときなり) 通し番号354-7朱注に「此又引孔子之事、以明可見之節也(此さらに孔子の事を引きて、以てうべきの節を明かにするなり)」とある。
(10)良心: 善心  良心者、本然之善心、卽所謂仁義之心也(良心は、本然の善心、即ち謂う所の仁義の心なり)(通し番号678-4朱注) 通し番号678-3に「其所以放其良心者、亦猶斧斤之於木也(其以て其良心を放つ所の者、亦猶斧斤の木に於るがごときなり)」とある。
(11)まこと: まこと  真、偽之反也(真、偽の反なり)
(12)切: 近い  切、近也(切、近なり) 通し番号322-41朱注に「哀痛迫切(哀痛迫切す)」とある。
(13)みなもと: 源  原、本作源(原、本源に作る) 通し番号148-6朱注に「其原蓋出於此(其みなもと蓋し此に出ず)」とある。
(14)こまか: 細か  密、疏之對也(密、疏の対なり) 通し番号461-10朱注に「爲人、蓋泛言之、爲子則愈密矣(人と爲るは、蓋しひろく之を言う、子と爲るは則ちさらこまかなり)」とある。
朱注訳
楽斯、楽則の楽は音は洛である。悪は平声である。斯二者は親に尽すと兄に従うことを指して言う。知って去らないと見ることが明らかで守ることが固い。節文は区別しあやをつけることを言う。楽しめば則ち生ずは、やわらぎ、従い、ゆったりしており、強いて努めることがないことを言う。親に尽し兄に従う気持は自然に起こる。草木に生じる心があるようなものである。生じる心があれば、伸び茂り四方に伸びる。自ずから止めることができない。悪ぞ已むべけんやということである。さらに盛んになると、手が舞い足が踏んでも知らないようになる。
この章は言う。親に尽し兄に従うことは、真心から出ることであり身近なことである。天下の道はみなこれを源とする。それで必ずこれを明らかに知りこれを固く守って後に、これを接することが細かくこれを楽しむことが深くなる。



7 離婁章句上 章番号 28 章通し番号 89
本文訳
  孟子が言う。天下は大いに悦んで自分に帰そうとする。天下が悦んで自分に帰するのを見ることが草を見るようである。これができるのは舜だけである。親の心を得ないと人となることができない。親に順でないと子となることができない。舜は親に接する道を尽して父の瞽瞍こそうは喜んだ。瞽瞍が喜んで天下はそれに感化された。瞽瞍が喜んで天下の父子というものが定まった。これを大孝と言う。

   通し番号 461 章内番号 1 章通し番号 89 識別番号 7_28_1
本文
  1孟子曰、2天下大悅而將歸己、3視天下悅而歸己、4猶草芥也、5惟舜爲然、6不得乎親、7不可以爲人、8不順乎親、9不可以爲子、
1 mèng zǐ yuē 、2 tiān xià dà yuè ér jiāng guī jǐ 、3 shì tiān xià yuè ér guī jǐ 、4 yóu caǒ jiè yĕ 、5 wéi shùn wéi rán 、6 bù dé hū qìng 、7 bù kĕ yǐ wéi rén 、8 bù shùn hū qìng 、9 bù kĕ yǐ wéi zǐ 、
  孟子曰く、天下大いに悦びて将に己に帰さんとす、天下悦びて己に帰するを視ること、猶(1)草芥のごときなり、ただ舜然りと爲す、親に得られざれば、以て人と爲るべからず、親に順ならざれば、以て子と爲るべからず、
(1)草かい: 草 そのまま読めば「草、あくた」かと思う。これは芥が現代では「あくた」の意味で使われるからである。芥の元の意味は草である。中村惕斎は「草芥とは共に草なり、至りて軽賤なる者を云う」と注す。 芥、草也(芥、草なり)

朱注
  1言舜視天下之歸己如草芥、2而惟欲得其親而順之也、3得者、4曲爲承順、5以得其心之悅而已、6順則有以諭之於道、7心與之一、8而未始有違、9尤人所難也、10爲人、11蓋泛言之、12爲子則愈密矣、
1 yán shùn shì tiān xià zhī guī jǐ rú caǒ jiè 、2 ér wéi yù dé qí qìng ér shùn zhī yĕ 、3 dé zhě 、4 qū wéi chéng shùn 、5 yǐ dé qí xīn zhī yuè ér yǐ 、6 shùn zé yoǔ yǐ yù zhī yú daò 、7 xīn yŭ zhī yī 、8 ér wèi shǐ yoǔ wéi 、9 yóu rén suǒ nán yĕ 、10 wéi rén 、11 gaì fàn yán zhī 、12 wéi zǐ zé yù mì yǐ 、
  言えらく、舜天下の己に帰するを視ること草かいの如くして、ただ其親を得て(1)之に順なることを欲するなり、得は、(2)つぶさに承順を爲し、以て其心の悦ぶことを得るのみ、順なれば則ち以て(1)之を道に於て(3)みちびくこと有り、心は(1)之と一にして、未だ始めより違うこと有らず、もっとも人の難とする所なり、人と爲るは、蓋し(4)ひろく之を言う、子と爲るは則ち(5)さら(6)こまかなり、
(1)之: 親をさす
(2)つぶさに: つぶさに  曲、猶小小之事也(曲、猶小小の事のごときなり) 通し番号695-19に「程子又發明之、曲盡其指(程子又之を発明し、つぶさに其指を尽す)」とある。
(3)みちびく: 導く  諭、導也(諭、導なり)
(4)ひろく: 広く
(5)さらに: さらに  愈、益也(愈、益なり) 通し番号455-6朱注に「世有強辯飾非、聞諫愈甚者(世強弁して非を飾り、諫を聞きさらに甚だしき者有り)」とある。
(6)こまか: 細か  密、疏之對也(密、疏の対なり) 通し番号460-31朱注に「然後節之密、而樂之深也(然る後之を節することこまかにして、之を楽しむこと深きなり)」とある。

朱注訳
次のように言う。舜は天下が自分に帰するのを見ることが草を見るようであり、ただ親の心を得て親に順なることを願った。得はつぶさに従い親の心が悦ぶことを得る。順であれば親を道に導くことがある。心は親と一であり、始めから違っていることはない。これは人が最も難とすることである。人と爲るは、広く言っている。子と爲るはさらに細かい。


   通し番号 462 章内番号 2 章通し番号 89 識別番号 7_28_2
本文
  1舜盡事親之道、2而瞽瞍厎豫、3瞽瞍厎豫、4而天下化、5瞽瞍厎豫、6而天下之爲父子者定、7此之謂大孝、
1 shùn jìn shì qìng zhī daò 、2 ér gŭ sŏu zhǐ yù 、3 gŭ sŏu zhǐ yù 、4 ér tiān xià huà 、5 gŭ sŏu zhǐ yù 、6 ér tiān xià zhī wéi fǔ zǐ zhě dìng 、7 cǐ zhī wèi dà xiào 、
  舜親に事えるの道を尽して、(1)瞽瞍こそう(2)よろこびを(3)いたす、瞽瞍よろこびいたして、天下化す、瞽瞍よろこびをいたして、天下の父子る者定まる、此を之大孝と謂う、
(1)瞽瞍こそう: 舜の父(朱注)
(2)よろこび: 喜び楽しむ(朱注) 通し番号81-13に「吾王不豫、吾何以助(吾王たのしまざれば、吾何以て助からん)」とある。
(3)いたす: 致す(朱注)

朱注
  1底、2之爾反、3○瞽瞍、4舜父名、5厎、6致也、7豫、8悅樂也、9瞽瞍至頑、10嘗欲殺舜、11至是而厎豫焉、12書所謂不格姦、13亦允若是也、14蓋舜至此而有以順乎親矣、15是以天下之爲子者、16知天下無不可事之親、17顧吾所以事之者未若舜耳、18於是莫不勉而爲孝、19至於其親亦厎豫焉、20則天下之爲父者、21亦莫不慈、22所謂化也、23子孝父慈、24各止其所、25而無不安其位之意、26所謂定也、27爲法於天下、28可傳於後世、29非止一身一家之孝而已、30此所以爲大孝也、31○李氏曰、32舜之所以能使瞽瞍厎豫者、33盡事親之道、34共爲子職、35不見父母之非而已、36昔羅仲素語此云、37只爲天下無不是底父母、38了翁聞而善之曰、39惟如此而後、40天下之爲父子者定、41彼臣弑其君、42子弑其父者、43常始於見其有不是處耳、
1 dǐ 、2 zhī ĕr fǎn 、3 ○ gŭ sŏu 、4 shùn fǔ míng 、5 zhǐ 、6 zhì yĕ 、7 yù 、8 yuè lè yĕ 、9 gŭ sŏu zhì wán 、10 cháng yù shā shùn 、11 zhì shì ér zhǐ yù yān 、12 shū suǒ wèi bù gé jiān 、13 yì yŭn ruò shì yĕ 、14 gaì shùn zhì cǐ ér yoǔ yǐ shùn hū qìng yǐ 、15 shì yǐ tiān xià zhī wéi zǐ zhě 、16 zhī tiān xià wú bù kĕ shì zhī qìng 、17 gù wú suǒ yǐ shì zhī zhě wèi ruò shùn ĕr 、18 yú shì mò bù miǎn ér wéi xiào 、19 zhì yú qí qìng yì zhǐ yù yān 、20 zé tiān xià zhī wéi fǔ zhě 、21 yì mò bù cí 、22 suǒ wèi huà yĕ 、23 zǐ xiào fǔ cí 、24 gě zhǐ qí suǒ 、25 ér wú bù ān qí wèi zhī yì 、26 suǒ wèi dìng yĕ 、27 wéi fǎ yú tiān xià 、28 kĕ chuán yú hòu shì 、29 feī zhǐ yī shēn yī jiā zhī xiào ér yǐ 、30 cǐ suǒ yǐ wéi dà xiào yĕ 、31 ○ lǐ zhī yuē 、32 shùn zhī suǒ yǐ néng shǐ gŭ sŏu zhǐ yù zhě 、33 jìn shì qìng zhī daò 、34 gòng wéi zǐ zhí 、35 bù jiàn fǔ mǔ zhī feī ér yǐ 、36 xī luō zhòng sù yŭ cǐ yún 、37 zhǐ wéi tiān xià wú bù shì dǐ fǔ mǔ 、38 liǎo wēng wén ér shàn zhī yuē 、39 wéi rú cǐ ér hòu 、40 tiān xià zhī wéi fǔ zǐ zhě dìng 、41 bǐ chén shì qí jūn 、42 zǐ shì qí fǔ zhě 、43 cháng shǐ yú jiàn qí yoǔ bù shì chǔ ĕr 、
  底、之爾反、○瞽瞍、舜の父の名、、致なり、予、悦楽なり、瞽瞍至りて(1)がんなり、嘗て舜を殺さんと欲す、是に至りてよろこびいたす、書謂う所の(2)姦に(3)いたらず、(4)(5)しん(6)したがう、是れなり、蓋し舜此に至りて以て親に順なること有り、是を以て天下の子る者、天下事うべからざるの親無きを知る、(7)おもうに、吾以て事える所の者未だ舜の若からざるのみと、是に於て勉めて孝を爲さざるし、其親亦よろこびいたすに至る、則ち天下の父爲る者、亦慈ならざる莫し、謂う所の化なり、子は孝、父は慈、おのおの其所に止まる、而して其位に安らかにせざるの意無し、謂う所の定なり、法を天下に爲し、後世に伝うべし、一身一家の孝に(8)とどまるに非ざるのみ、此大孝と爲す所以なり、○李氏曰く、舜の能く瞽瞍をしてよろこびいたさしめる所以は、親に事えるの道を尽し、(9)るの(10)職を(11)つつしみ、父母の非を見ざるのみ、昔、羅仲素此を語りて云く、只天下(12)不是いたるの父母無しと爲す、(13)了翁りょうおう聞きて之をしとして曰く、惟此如くして後、天下の父子るもの定まる、(14)かの臣其君をしいし、子其父を弑する者は、常に其是なるざる処有るを見ることに於て始まるのみ、
(1)がん: 愚か  頑、愚也(頑は愚なり) 頑者、無知覺(頑は、知りさとること無し)(通し番号588-10朱注) 通し番号588-17に「頑夫廉、懦夫有立志(頑夫がんぷれん懦夫だふは志を立てること有り)」とある。
(2)姦にいたらず: 『書経』虞書ぐしょの堯典からの引用
(3)いたる: 至る  格、至也(格、至なり) 通し番号802-19朱注に「知性則物格之謂(性を知るは則ち物いたるのいいなり)」とある。
(4)亦しんしたがう: 『書経』虞書ぐしょ大禹謨たいうぼにある「瞽亦允若(しんしたがう」からの引用
(5)しん: 信じる 允、信也(いん、信なり)
(6)したがう: したがう  若、叚借爲順(若、叚借して順と爲す)
(7)おもう: 思う  顧、念也(顧、念なり)
(8)とどまる: とどまる  止、猶居也(止、猶居のごときなり) 通し番号295-18朱注に「其貢亦不止什一矣(其貢亦什一にとどまらず)」とある。
(9)子るの職をつつしむ: 萬章章句上 通し番号542-18の引用である。
(10)職: つとめ  職、謂守與任(職、守り任をすを謂う 與、猶爲也(与、猶爲のごときなり)) 通し番号224-3朱注に「子之失伍、言其失職(子の伍を失なうは、其職を失なうを言う)」とある。
(11)つつしむ: つつしむ  共、叚借爲恭(共、叚借して恭と爲す)
(12)不是ふぜ: 是でない 正しくない 不善
(13)了翁りょうおう: 宋の陳瓘ちんかんの号
(14)かの: かの 事物を示す代名詞 通し番号552-9に「豈得暴彼民哉(豈かの民をそこなうことを得んや)」とある。
朱注訳
底は之爾反である。瞽瞍は舜の父の名である。厎は致である。予は悦楽である。瞽瞍は至って愚かである。かつて舜を殺そうとした。ここに至って喜んだ。書経に「姦を正す、まことに従う」とあるのがこれにあたる。舜は親がこのようでも、親に順であった。これがために天下の子はみな尽すことのできない親は天下にいないことがわかった。自分が尽す親のことを考えてみるに舜の親のようでない。これがために努めて孝をなさないことがない。その親が喜びを致すことになる。そうすると天下の父はまた子に慈愛を抱かない者はない。いわゆる化である。子が孝、父が慈であるので、そのいるべき所にいる。その分を乱す心がない。いわゆる定である。天下に行われ後世に伝えることができ、自分や自分の家の孝に留まらない。それで大孝となす。
李氏は言う。舜が瞽瞍が喜ぶようにできたのは、親に接す道を尽し、子の務めを慎み、父母の非を見なかったからである。昔、羅仲素は言った。「天下に至って不善の父母はいない。」了翁はこれをよい言として言った。「ただこのようにした後に天下の父子たるものが定まる。臣がその君を殺し、子がその父を殺すのは、父母に不善があるとする所から始まる。」

  儒学は親に対する孝を非常に重んじる。親に孝にすれば単に親子の間が良好になるだけでなく、天下が治まるとする。舜の父、瞽瞍こそうは舜を殺そうとした。通常なら、警察を呼び、瞽瞍を捕え、瞽瞍を監獄にぶち込もうとするだろう。ところが舜はそんな父に孝を尽し父が喜ぶようにした。孝はここまでしなければならないのである。
  現代は孝は重んじられない。学校教育でも孝はほとんど教えられない。子供は年のいった親の面倒を見ようとしない。親に介護が必要になれば、すぐに介護老人保健施設(老健)や特別養護老人ホーム(特養)に入れようとする。
  現代では親に孝にすることと政治とはまったく別のことであると考えられている。親に孝など尽さなくても、政治活動に励めば国は治まると考えられている。そうではない、親に孝にするという身近なこと、本となることに努めて初めて国は治まると儒学は考える。親に孝にするという身近なこと、本となることを怠るなら、どんなに政治活動をしても国は治まらないと儒学は主張する。今までの歴史、現代の社会を見ると、儒学の主張のほうが正しい。