現代日本は法治国家である。法律で国を治めようとしている。しかし法だけでは国は治まらない。法律的に正しくても仁愛の心がないと国は治まらない。これは一個人と接する場合も同じである。法律的に正しいことを言っても、仁愛の心で相手に接しないと相手は服さない。孟子の言うように「徒法は以て自ずから行うこと能わず」である。 |
人間は社会の産物であり、社会の影響を受けていない人間はいない。人間は言葉を話すが、その人の生まれ育った母国の言葉、母国語を話す。ものを考える時も母国語を用いて考える。母国語はまるで自分が生来持っていたかのように思っているが、そうではなく環境が得さしめたものである。優れた人の言に親しむと、知らずに優れた人の言葉を話し、優れた人の言葉でものを考えるようになる。優れた人に親しむ環境がそうさせるのである。だから高い丘の上にものを建てることになる。当然低い土地にものを建てる人より高いものを建てることが容易である。常に優れた人に親しむことが大事である所以である。 |
国家の安全保障を考える時は、まず軍備の拡張を考える。仮想敵国が核武装すると、自国も核武装しなければ自国の安全保障が脅かされると考える。それで核武装に邁進することになる。ところが孟子は国家に強大な武力がないのは、国の災いでないと言う。上の者が道理を考えず、下の者が道理を考えないと国家は日ならずして滅ぶと言う。このことは仮想敵国を滅ぼすのに、武力は必要ないことを示している。仮想敵国の上の者が道理を考えず、下の者が道理を学ばないようにすれば、仮想敵国は日ならずして滅ぶのである。 |
儒学は天下を治めようとせず、自分の身を正しくしようとする。自分の身が正しければ天下は自ずと治まると考える。だから修身にうるさい。資本主義社会で修身をうるさく言うと、多くの人が寡欲になる。寡欲になると物を買おうとしない。多くの人が物を買おうとしないから物が売れない。生産しても在庫がたまるだけである。人が皆修身に努めれば不況になり経済は成長しないのである。資本主義社会では修身は害悪以外の何ものでもない。だから資本主義社会では修身は重んじられない。政治家も修身をしようとせず、権謀術数で政治をしようとする。きれいなことを言ってもすることが違っている政治家を見て国民は政治家を信用しなくなる。だから国は治まらない。 |
君子はただ正理に合うことを長く考え行動するのである。私たちは何を長く考え行動しているのだろうか。政治家は人々の支持を得ることを長く考え行動する。商売人は利益が上ることを長く考え行動する。テレビ関係の人は視聴率を上げることを長く考え行動する。学者は自分の論文が高い評価を得ることを長く考え行動する。人々の支持、利益、視聴率、評価を得ることを長く考え行動するから正理は後に追いやられる。その結果しばしば正理に合わない行動をする。それで自ら災いを求めることになる。 |
「不得罪於巨室」を「巨室に罪を得ざれ」と読み、「代々の家臣に怨まれないようにしろ」と解釈するのが一般的である。しかしそう読むと、「代々の家臣に怨まれないように、代々の家臣が気に入るような政治をしろ」と解釈される恐れがある。滕の文公が三年の喪をしようとした時、代々の家臣は皆反対した。代々の家臣が気に入るようにするのが政治なら、滕の文公は三年の喪をしないのが正しかったことになってしまう。ここの「不得罪於巨室」の意味は人君の身を修めることで自ずと「不得罪於巨室」になると言っているのである。前章で家の本は自分の身にあると言っているが、この家はここの巨室になる。つまり代々の家臣を治める本は人君の身にある。人君の身が修まれば代々の家臣は自ずと服す。代々の家臣が服すれば国も服するし天下も服する。しかし代々の家臣が服するようにと政治をするのでない。ただ人君の身を修める。人君の身が修まれば代々の家臣は自ずと服するのである。 |
明治維新の頃、世界最強の強国、世界最大の大国はイギリスであった。その富の源泉は植民地である。アジア、アフリカ、オセアニアと世界の各地にまたがる広大な植民地がその帝国を支えた。イギリスには及ばないが、フランス、ドイツ、ロシアも強国であった。日本はこれらの列強にならい、国力を高めようとした。産業を興し軍備を整え植民地を得ようとした。朝鮮や中国に進出したのはこれである。孟子の言う「小国は大国を師とする」である。日清戦争で遼東半島を得た。ところがロシア、フランス、ドイツの三国が口出しし、遼東半島を清に返させた。国民はこれを屈辱と感じた。孟子の言う「小国は大国を師として、命を受くるを恥ず」である。第一次世界大戦後、イギリスの国力は落ち、第二次世界大戦後は植民地が相次いで独立したため、イギリスはますます国力が落ち、アメリカが最大の大国となった。その富の源泉は技術である。いろいろな製品を作りそれを売りまくって莫大な富を集めた。またその技術で強力な武器を作りそれで世界を威嚇した。自動車、テレビ、冷蔵庫、エアコン、化学繊維、パソコン、スマートフォンと、今まで考えられなかったような製品が次々と出て来た。これらはアメリカから生まれたものが多い。なぜか。アメリカは移民の国であり、移民しやすく、また優秀な人を高給で雇った。それで世界中の優秀な人がアメリカに集まった。こういう人たちが次々と革新的な製品を作り出した。 日本が明治維新の頃、当時の大国、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアにならわず、文王にならう政治をしていたらどうなっただろうか。仁に務め、軍備などには金を使わず、その金を減税にあて、税を収入の十分の一にする。すると日本は慈愛にあふれた国で、犯罪も少なく、しかも税金が安いので実収入が多いと、世界中の優秀な人が日本に集まったに違いない。すると日本で次々と技術革新がなされ、画期的な製品が次々と生み出されただろう。それを売りまくることで莫大な富が日本に集まったはずである。 |
「心が存していると得失の機微を得る、心が存していないと存亡が明らかなものでもわからない。」という朱子の言葉は感銘深い。欲や間違った情報で心が乱されると明らかなものでもわからなくなる。国を滅ぼすのに武力はいらない。欲や間違った情報でその心を乱し、心が存しないようにすれば、明らかに滅亡する道であってもわからなくなる。必然の結果として滅亡する。これは一個人の場合も同じである。 |
年齢よりも能力を重んじるべきである。年下でも能力があれば、年長の者に譲る必要はない。年下の者が上に立つべきだと現代の人は言うかもしれない。 人をまったく同列に置くと、自分が上に立とうとして争いが始まる。この争いが内乱や戦争の原因になる。人を争わないようにさせるには、人に序列、つまり上下をつけることである。この人が上だから、下の者は上の者に譲ってくださいという序列をつけるのである。では何を基準にして上下をつけるのか。年齢というのは非常に便利な基準なのである。人は必ず年を取る。だから年齢で序列をつければ、若い頃は下にいるが、年を取れば必ず上になる。また年齢は客観的な事実だから、誰にも一目瞭然の基準になる。無能な者、無知な者でも年を取れば上になるのだから、不平を抱く者も少ない。世の中の争いが少なくなるのである。能力で序列をつけると、どの人が能力があるのか、一目瞭然に決められない。Aの人が優れている所もあれば、Bの人が優れている所もあるというのが、実状である。一目瞭然にAの人が能力があると言えるものでない。基準があいまいだから、どうしてあいつが上になるのだという不平を抱く者が出てくる。これが争いの元になる。 人君は年齢が若くても賢人ならば登用するのは、当然のことである。年齢の高い者を上にしなければならないというものでない。しかし位が上の年の若い者も、自分より年長で自分より位の低い者には、自分の職権に関することでない限り譲るのである。列車に年の若い部長と年長の平の社員が乗っていた。あいにく席があいておらず、二人とも立っていた。一つ席があけば、年の若い部長は年長の平の社員に席を譲るのである。列車の席に座ることは部長の権限に関することでないからである。 年齢で人の序列をつけるという儒学の考え方は、戦争を未然に防ぐ優れた考え方である。 |
人間は昔から戦争をしてきた。近代は第一次世界大戦、第二次世界大戦という世界中が戦争になることを経験した。現代でも局地的に戦争が続いている。これらの戦争はほとんど土地の所有権の争いである。土地を求めて殺し合いをしているのである。孟子の言う、土地を率いて人の肉を食べさせているのである。孟子の言うように、これは死刑にしてもなお償いきれない大罪である。 |
古来中国では男女を分けるという考え方が主流である。『礼記』内則にも「七年、男女不同席」(七年にして、男女席を同じくせず)(生まれて七年で男女は敷物をともにすることをしない)とある。男女を分けるのを見てすぐに封建的だと非難するのは、この考え方の深慮を知らないのである。 一般的に自分に近いものは尊ばず、自分から遠いものを尊ぶ傾向がある。「従僕に英雄なし」という言葉がある。世間に英雄と言われる人でも、その英雄の世話をしている従僕から見ればただの人であり、とても英雄に見えないということである。多くの人が尊ぶ人でも、毎日接している従僕や家族から見ればその欠点ばかりが見えてとても尊ぶ気にならないのである。私たちは多くの金をかけて遠い国、アメリカやフランスやエジプトに旅行に行く。自分が見たこともない遠い国、自分が見たこともないものにはあこがれるのである。 男女を分けると男性は女性が自分に遠いものとなり、女性は男性が自分に遠いものとなる。遠いものだからあこがれが生じる。あこがれるから強く結びつこうとする。結びつけようとするなら、近づけるのでなく逆に離すのである。離すとかえって強く結びつこうとする。 現代日本は独身の男女が多い。結婚しても結婚する年齢が高い。当然の結果として出生率が低下する。現代日本の出生率では若い者の数がどんどん減り日本が衰亡することは目に見えている。出生率低下の原因は独身者の増加と晩婚化である。なぜ独身者が増加し晩婚化が進んだのか。男性は女性にあこがれず、女性は男性にあこがれず、結婚しようとする願望が薄れたからである。なぜ男性は女性にあこがれず、女性は男性にあこがれないようになったのか。男女を分けず、男女が一緒に成長するようにしたからである。いつも一緒にいる身近な人にはあこがれないのである。従僕に英雄がいないのと同じことである。 戦前は男子校、女子校があり、男女を分けて教育することが多かった。戦後アメリカが日本を男女共学にしたのである。男女共学にすると、男女がいつも一緒にいるため女性にあこがれたり男性にあこがれたりすることが少なくなる。結果として独身者が増え、晩婚化が進む。 日本には1947年から1949年にベビーブームと言われる時代があった。この期間に生まれた世代を団塊の世代と言う。1949年の出生数は269万6638人である。1947年から1949年に子供を生んだ人々は戦前に教育を受けた者である。男女別学の教育を受けたから異性にあこがれ強く結びついたのである。 出生率を上げる簡単な方法がある。男女別学にすることである。古人がなぜ男女を分けたのか。その深慮をもう一度よく考えるべきである。男女を結びつかせるために、男女を遠ざけたのである。 |
共産主義は世の中の仕組みを変えれば理想社会が出現すると考えた。労働者の政権をつくろうとした。ロシア革命で共産主義国家ソ連が誕生した。中国でも北朝鮮でも共産主義国家が成立した。共産主義国家になると、理想社会になったのだろうか。指導者の間の抗争と反対勢力の粛清、上層部の腐敗、民衆の苦難と理想社会からは程遠い現実が報告されている。社会制度を変えるだけでは、決して理想社会は出現しなかった。孟子は理想社会をつくるのにどうしようとしたのか。社会体制を変えようとせず、自分に求めようとした。朱子は言う。「己を直にして道を守るは、以て時を濟う所なり」『大学』は言う。「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其国を治む、其国を治めんと欲する者は、先ず其家を斉う、其家を斉えんと欲する者は、先ず其身を修む、其身を修めんと欲する者は、先ず其心を正す、其心を正さんと欲する者は、先ず其意を誠にす、其意を誠にせんと欲する者は、先ず其知を致す、知を致すは物に格るに在り」。社会を救おうとすれば、社会を変えようとせず、自分に求めるのである。知を致し自分の心を理で満たしてはじめて理想社会に近付く。己に求めずに、ただ社会を変えようとするだけでは、決して理想社会は実現せず、ますます理想社会から遠ざかる。 |
厳父慈母という言葉があるように、父は子に対して厳しいのがよいようなイメージがある。子供が少しでも間違ったことをすれば、厳しく叱責するのが、よいしつけのように考えられている。しかし孟子は父は子に善を責めないと言う。善を責めれば愛を損うからである。不義と言える大きな過ちがあった時にだけ子供に注意する。孟子のここの指摘は一般的に信じられている家庭教育に大きな修正を迫るものである。子供にやさしく接することは決して子供を甘やかすことでない。Spare the rod and spoil the child.(鞭を惜しむと、子供はだめになる )という西洋の諺はまったくの間違いである。子供を鞭で打つようなことをすれば、親子関係が大きく破綻し大きな不幸が訪れる。父子の間で一番大事なものは愛情である。愛情を損なわないために、小さな不善で子供をうるさく責めない。これが正しい家庭教育なのである。 |
フランス革命や名誉革命のような市民革命を民衆の革命のように思っている人が多いが、ここの市民は民衆のことでない。お金持ちのことである。現代の平均的な収入のサラリーマンではここの市民にならない。王制は世襲制である。王の子が王になる。すると立派な王も出て来るが、無能な王も出て来る。無能な王でも逆らうと殺されるから従わざるを得ない。しかし金を持っている裕福な者は、自分のほうが王よりずっと能力あるのにどうしてこんな無能な王に従わなければならないのかと不満がつのる。その不満が爆発したのが市民革命である。裕福な者がトップを選びそのトップが政治をするという体制になった。これが現代の選挙でトップを選ぶ制度である。現代は普通選挙であり、裕福な者がトップを選んでいるのではないではないかと言うかもしれない。しかし選挙には金が必要であり、候補者は金が集まるように行動する。事実上裕福な者がトップを選んでいる。 現代では選挙でトップに選ばれても任期が4年くらいである。また選挙にはかなりの費用がかかる。こういう状況でトップになった者はどういう政治をするだろうか。次の選挙で当選するように有権者が気に入る政治をしようとする。また大金持ちの利益になる政治をして、たくさん献金してもらおうとする。4年という短い期間では、人に気に入られることをしようとして、国家百年の計に立った政治などはとてもできない。政治というのは必ず反対する者が出て来る。河のここに橋をかけようとすれば、それより上流の人は、どうして自分の所にかけてくれないのかと反対する。それより下流の人もどうして自分の所にかけてくれないのかと反対する。優れた指導者は遠慮深謀に基き、人の反対を押し切ってする人である。ところが4年毎に選挙で選ばれる不安定なトップでは、人の反対を押し切ってすることができない。こういうことができるには、世襲の王のような安定した地位がどうしても必要である。現代の選挙でトップを選ぶ制度では、安定した地位がないため、どうしても大衆や金持ちに媚ることだけをするようになる。孟子が言うようにトップが正しければ国は治まる。トップが正しくなれば国は治まらない。現代の制度ではトップは制度上正しくなることができない。よって国が治まることはない。 |
会社に就職するのは給料をもらうのが一つの目的である。だから高給を出せばたくさんの人がやって来る。しかし給料のために就職するなら、これは飲食のために就職したのと同じである。会社に就職する前に長い間教育を受けて来た。小学校、中学校、高校、大学と十二年以上の教育を受けて来た。それで給料のために会社に就職するなら、これは飲食のために長い間教育を受けたのである。単に飲食のために教育を受けることがあってはならないはずである。 |
現代日本は出生率の低下に苦しんでいる。子供が少なく人口が減少しようとしている。女性が働いても安心して出産できる環境がないから、出生率が低下するのだと考えられている。女性の育児休暇の充実、保育園の充実などに取り組んでいる。しかし出生率低下の一番の原因は別の所にある。社会の考え方である。私たちの今の社会では、自分が楽しく暮らすことが重んじられている。おいしいものを食べ、よいものを着て、よい家に住み、おもしろおかしく一日を過そうとしている。そういう考え方だと子供は邪魔なのである。子供を育てるには手間がかかるから、自分の時間を奪われる。子供は教育費がずいぶんとかかる。だから子供がおれば、自分が使えるお金が減り、うまいものを食べることもよいものを着ることも減らさなければならない。現代の日本には、孟子の頃のような子孫を絶やすことは大変な親不孝だという考え方は微塵もない。それで出生率が落ちるのである。イスラム圏は出生率が高い。コーランには「善良な者は結婚せよ」とあり、結婚を重んじる考え方がある。この考え方が出生率が高い一因になっているのだろう。「子孫がないのは、大きな親不孝だ」という考え方がまた復活しない限り、日本の出生率の向上は望みにくい。 |
范氏が「道を体している者でないと権を行ってはならない」とするのは同意しかねる。むしろ権を行うことができるから道を体していると言うことができる。権を行うことのできない人は『孫子』を読んで、『孫子』を暗証するほどよく知っているのだけど、戦いに負ける人のようなものである。『孫子』に書かれていることはあくまで兵法の常道である。実際の兵法は状況に応じて千変万化する。韓信は兵法では禁忌である背水の陣をしいて戦いに勝ったが、常道だけに捉われていては実際の戦いでは勝てない。道も権を行うことができて初めT道を知っていると言うことができる。 |
儒学は親に対する孝を非常に重んじる。親に孝にすれば単に親子の間が良好になるだけでなく、天下が治まるとする。舜の父、瞽瞍は舜を殺そうとした。通常なら、警察を呼び、瞽瞍を捕え、瞽瞍を監獄にぶち込もうとするだろう。ところが舜はそんな父に孝を尽し父が喜ぶようにした。孝はここまでしなければならないのである。 現代は孝は重んじられない。学校教育でも孝はほとんど教えられない。子供は年のいった親の面倒を見ようとしない。親に介護が必要になれば、すぐに介護老人保健施設(老健)や特別養護老人ホーム(特養)に入れようとする。 現代では親に孝にすることと政治とはまったく別のことであると考えられている。親に孝など尽さなくても、政治活動に励めば国は治まると考えられている。そうではない、親に孝にするという身近なこと、本となることに努めて初めて国は治まると儒学は考える。親に孝にするという身近なこと、本となることを怠るなら、どんなに政治活動をしても国は治まらないと儒学は主張する。今までの歴史、現代の社会を見ると、儒学の主張のほうが正しい。 |