体裁はまず孫子の本文があり太字で字を大きくしてある。その下にそのピンイン、その下にその書き下し文を書いてある。その下には荻生徂徠の解説がある。わかりにくいだろうと思われる所に数字を打ち、下に注釈をしてある。注釈の下には私の感想、意見、あるいは孫子の考え方を現代に応用したものを枠で囲んだ中に書いてある。

始計 第一

 始ははじめなり。計ははかりごとなり。はかりごとを始めとすと読むなり。文字の意を知らぬものは、はかりごとと云えば、はや人をたばかりいつわることと心得るは(1) 僻事 ( ひがごと ) なり。兵は詭道なれば、人をたばかるも計の内の一つなるべけれども、計の字の意は、ものを (2)つもりはかり(3)目算をすることなり。此の始計の篇は、総じて軍をせんと思わば、まず敵と味方をはかりくらべて、軍に勝つべきか勝つまじきかと云うことを、とくと目算して見て、果して勝つべき(4)図をきわめて軍をすべきことを云えり。孫子一部は専ら合戦の道を説きて治国平天下の道をば説かず。かように(5) 前方 ( まえかた ) につもりはかることは合戦の本なり。前方に目算をせず(6) 了簡 ( りょうけん ) を究めずして合戦に勝つと云うことはなきわけなるゆえ、此の篇を孫子の開巻第一(7)義とするなり。第一とは次第の一と云う意にて、孫子十三篇の最初なればかく云えり。此の篇を集注本には計篇と云う。始めの字なし。
(1)  僻事 ( ひがごと ) : 間違ったこと
(2) つもる: 見積もる
(3) 目算: 見つもること
(4) 図: 計画、はかりごと
(5)  前方 ( まえかた ) : その時より前
(6)  了簡 ( りょうけん ) : 考えをめぐらすこと
(7) 義: ことわり

1 孫子曰、兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也、
sūn zǐ yuē 、 bīng zhě guó zhī dà shì 、 sǐ shēng zhī dì 、 cún wáng zhī daò 、 bù kĕ bù chá yĕ 、
孫子曰く、兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからず、
 一部十三篇共に篇ごとの始めに皆孫子曰と云うことは、十三篇ともにみな孫武が語なればなり。兵と云うは、もと弓 ( よろい ) ( つるぎ ) (1) ( ほこ ) 等の(2)総名なり。それより転じて武器を持つ人と云うわけにて武士をも兵と云う。此の時はつわものと訓ずるなり。此の本文にては(3)兵革などと云うようなる詞にて(4)軍のことを兵と云う。軍には武士を用いて武器を取りあつかうゆえなり。国とは国郡の国には非ず、国家と云うと同じ様なる詞にて諸侯の家を云うなり。大夫の上にては家と云い、諸侯の上にては国と云う。君の身の上より家来民百姓までをも ( ) めて云う詞なり。されば兵者国之大事とは、軍と云うものは諸侯の身の上にては是に過ぎたる大きなることはなしと云う意なり。ひと軍にても(5) 物入 ( ものいり ) ( おびただ ) しく、民の ( うれい ) も甚だしきこと、外のことには、かようなる類(6)またもなく、多くの人の生死、国の立つも亡ぶるも、軍の勝負にかかることなればかく云えり。
(1)  ( ほこ ) : 長い柄の頭に刃をつけた兵器
(2) 総名: 総称
(3) 兵革:  兵は武器、革はよろい、かぶとのことで、いくさ道具の総称である。それから転じて戦争、戦いの意味もある。この場合は戦争、戦いの意味で使っている。
(4) 軍: 戦い
(5)  物入 ( ものいり ) : 出費
(6) またもなし: 「またなし」で「二つとない」の意味である。この場合は「も」をつけてあるので、「二つもない」の意味。
 死生之地と云うは、地は場所なり。軍は場所を大切なりとす。死する場あり、生きる場あるゆえ死生の地と云うなり。存亡之道とは存は家のたつことなり、亡はほろぶるなり。道とは軍に勝ちて家のたつ道と負けて家の亡ぶる道とあることを云うなり。不可不察也とは明かに察し知らずしてはならぬ事なりと云う意なり。されば死生之地、存亡之道、不可不察也とは、兵は国の大事にて多くの人の生死も家の存亡も軍の勝負によることなれば、かようなるを軍に勝ちて生くべき地とし、かようなるを軍に負けて死すべき地とす、かようにするは軍にかちて家の存する道なり、かようにするは軍にまけて家の亡ぶる道なりと云うことを察し知らずしてかなわぬことなりと云う意なり。かように説き出して勝負の知りようを下の文に説きたるなり。孫子は百度戦いて百度勝つ道を得て、今の世までも兵家の祖と云わるる程の人なれば、軍をすることは(1)心安きことに思うべき様に思わるるに、一部の最初にかように云いたる所、尤も心を ( ) めて深く味わうべきことなり。俗説には多く死生之地、存亡之道と云う句を上へつけて、兵の大事なるわけは、死生之地、存亡之道なりと云う意に見れども、集注本には国の大事なりと云うにて切りて、死生之地、存亡之道を不可不察と下へつづけてあり。今此の説に従うなり。
(1) 心安し: たやすい

 「死生之地、存亡之道」を「兵者国之大事」にかけて、「兵は国の大事である。死生の地、存亡の道であるからだ。察せざるべからず。」と読むのと、「不可不察也」にかけて、「兵は国の大事である。死生の地、存亡の道を察せざるべからず。」と読むのとでは、「不可不察也」にかけるほうが、はるかに優れる。
 兵が国の大事であることは当然であり、兵が死生、存亡にかかわることであるのも当然である。兵がなぜ国の大事であるかは、いちいち説明しなくても、当然わかるものである。しかし察することは察し方がある。同じ察するでもその察し方に兵法の極意がある。孫子は死生の地、存亡の道を察せよと言っており、単に生の地、存の道を察せよとは言っていない。つまり生、存の勝つことと、死、亡の負けることの両方を察せよと言っているのである。
 徒然草、第110段に次のような一文がある。
 双六の上手といひし人に、その 手立 ( てだて ) を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。
 勝つことと負けることでは、負けることを考えることを重んじなければならないのである。負けることを考え尽して負けないように打てば、負けないのだから自ずと勝つことになる。

 徂徠は「地は場所なり」と言っているが、場所も含むが場所だけに限定すべきでない。「場、状態」の意味に取るべきである。たとえ完全に負ける場所であっても、それが勝つ場、勝つ状態となることもある。死地になると、かえって勝つことが多い。
 軍争篇に「善く戦う者は不敗の地に立つ」とあり、徂徠はここで、「不敗之地と云うは如何様にしてもまけず、やぶれぬ場と云うことにて、是別にかくの如きの場所あるに非ず。」と注している。「不敗之地」の「地」と「死生之地」の「地」は同じ使い方である。徂徠はまた「李筌が説、開宗が説などに、要害よき地に備を立てることと云いたるは、是も不敗之地の一つにてはあるべけれども、畢竟地の字に泥(なず)みて、土地のことと心得たるより云うなれば、用うべからず。」と言っている。ここも地を単に土地の意味に取るなら、「地の字に泥んでいる」と言うべきである。

2 故経之以五事、校之以計、而索其情、
gù jīng zhī yǐ wŭ shì 、 xiào zhī yǐ jì 、 ér suǒ qí qíng 、
故に之を経するに五事を以てし、之を ( はか ) るに計を以てして、其の情を ( もと ) む、
 此の段は上の文に不可不察と云えるによりて、その察し様を云えり。故とは上の文を(1) ( ) くる詞なり。上の文に云いたる如くのわけゆえにと云う意なり。経はつねとも読む。(2) ( はた ) のたて(3) ( いと ) のことなり。機の横絲は左右へ移り動けども、たて絲は一定して動かず、(4) 絹布 ( けんぷ ) の骨になる物なり。このゆえに経之以五事と云うは、軍の勝負を察し考える上には五つの事を以て、一定したる(5)箇条(6)目録にして、是にて察し考えると云うこと也。
(1)  ( ) くる: 下二段活用の動詞「承く」の連体形。「受ける」の意味。
(2)  ( はた ) : 布を織る手動の機械
(3)  ( いと ) : 生糸(蚕の繭(まゆ)から取った絹糸)。絲を省略して糸とも書くため、糸にも生糸の意味がある。
(4)  絹布 ( けんぷ ) : 絹糸で織った織物
(5) 箇条: いくつかに分けて示した一つ一つの条項
(6) 目録: 項目
 この経の字を直解には常と訓ずるに泥みて、主将たる人の常々守りて軍の本とすることと云えり。道理はさることなれども始計一篇の文勢に暗きなり。一篇に、主意は、この五つにかないたる人は勝ち、かなわぬ人は負くると云う目録に挙げたるなり。さてこの五つにかないたる人は軍にも勝つなれば、主将たる人のつねづね守るべきことと云うわけは、おのづから見ゆるを、其の意にて経の字の義を説くはあしきなり。又武経大全には経理なりと注しておさむる意にし、黄献臣は(1)経緯の意と見たるは、何れも(2)的切の注にあらず。用うべからず。さてその五事は次の段にあるなり。
(1) 経緯: 経緯には
     1 縦糸と横糸
     2 ものごとの骨子となるもの
       3 おさめととのえる
 の意味がある。「ものごとの骨子となるもの」の意味にとれば これでもいいいように思われる。
(2) 的切: 適切
 校とは敵と味方と何れかまさる何れか劣ると、くらべ見ることなり。計とは(1)目算なり。其の情とは敵味方の軍情なり。軍情と云うは、軍に勝つべき所、まくべき所の外に見ゆるを軍形と云う、形はかたちと読みて外に見ゆる意なり、勝つべきわけ負くべきわけの、内にかくれて外へ見えぬ所をさして軍情と云うなり。軍理などとも云うべけれども、理と云えば理屈になるなり。理はなるほど聞こえても合わぬことあるものなり。情は(2)情実とて実に手に取りたる如くたしかなる所を云う。又人の腹中へたち入りて其の人情を知る程ならねばならぬわけゆえ、軍情と云う詞あるなり。
(1) 目算: 見つもること
(2) 情実: ものごとの本当のありさま。実状。
 さてこの一段の意は、上文にある如く、軍は其の家の大事にて多くの人の生死、家の存亡のかかる所なれば、勝負の境を察し考えずしてかなわぬわけゆえに、其の察し考える仕様は、次の段にある五事を箇条目録にして、我目算を以て敵味方をはかりくらべて、敵味方何れか勝つべき何れか負くべきと云う軍情を尋ねもとむべきことなりと云う意なり。尋ね(1) ( もと ) むると云うは、失いてかなわぬ物を失いて一大事と尋ね覔むる如く、此の軍情を尋ね覔めて必ず得べきことなり。
(1)  ( もと ) : 求む

3 一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法、
yī yuē daò 、 èr yuē tiān 、 sān yuē dì 、 sì yuē jiāng 、 wŭ yuē fǎ 、
一に日く道、二に日く天、三に日く地、四に日く将、五に日く法、
 この五つは、即ち上の文にある五事なり。この道天地将法の五を目録にたてて、是にて敵味方をはかりくらぶることなり。 ( さて ) この五のひとつひとつのわけは、次の文に委しく説けり。

4 道者、令民与上同意、可与之死、可与之生、而不畏危也、
daò zhě 、 lǐng mín yŭ shàng tóng yì 、 kĕ yŭ zhī sǐ 、 kĕ yŭ zhī shēng 、 ér bù wèi weī yĕ 、
道は民をして上と意を同じくし、之と死すべく、之と生きるべくして、畏れ危ぶまざらしむ、
 此の段は、上の文の一曰道とある、道の字のことを説けり。民と云うは、異国にては、百姓をおもに心得べし。我国にては、(1)士をおもに心得べし。子細は、異国にては民兵とて専ら民を軍兵に用いる也。故に民を云いて(2)官人はこもるなり。我国にても、上代は異国の如くなれども、今は民を軍兵に用いることはなきゆえ、民と云う字を、士卒と云う字に直して心得べし。さりとて(3)一向に民はかようになくてもよしと云うことにてはなし。民までもかようにあれば、(4)いよいよのことなるべし。まず異国と我が国と、事の様の違いたることを弁(わきま)えねば、異国の書の(5)義理は(6)すまぬものゆえ、かく断るなり。
(1) 士: 士農工商の士である。武士。
(2) 官人: 官吏。役人。
(3) 一向に: (下に打ち消しの語を伴って)全く
(4) いよいよ: ますます
(5) 義理: 意味
(6) すむ: 「澄む」 明らかである

 江戸時代は戦争は武士がして、民を兵士として使うことはなかったのである。近代国家ではどこでも民を徴兵するのが当り前である。太平洋戦争では多くの民が徴兵され、多くの人が死亡した。考えてみればこれは非常に残酷な制度である。本人は戦争をしたくないのに無理やり徴兵されて人を殺すことを強いられ、自分も殺される危険にさらされる。これは国家が殺人教唆罪を犯しているのである。江戸時代は戦争をしたくなければ、官を辞して身分を農工商に落とせばよかったのである。士農工商は身分制度として酷評されるが、非常に合理的な一面がある。無理やり徴兵され、従わないと犯罪者扱いされる徴兵制は非常に不合理な制度である。

 令民与上同意とは、上の思う様に士卒のなることなり。可与之死、可与之生とは、上と士卒と生死を一つにして、懸かるも引くも、死ぬるも生くるも、上たる人をすてぬことなり。(1)二つの之と云う字は、民を指して云うなり。畏れ危ぶまざらしむとは、畏れ気遣うべき場、危うきことをも、士卒が畏れず危まぬ様にあらしむることなり。是も生死を一つにすると同じことなれども、生死を一つにすると云うは、士卒の心の一致なることを云いて、畏れ危まざらしむと云うは、士卒の気の(2) ( ごう ) なる様にすることなり。 ( もっと ) も士卒の心(3)親切なれば、おのづから剛なるわけもあれども、 左様 ( さよう ) に見るは理屈の上のことなり。士卒の上と生死をひとつにするは、士卒の心を取る所にありて、士卒の剛なる様にするは、士卒の気をたくましくする所にあるなり。たとえば三国の時分、蜀の劉備の曹操に(4)追い落とされ、新野と云う所を落ちたまえる時、数万の民どもが劉備の跡を追いて、道もとおられぬ程おち行きけることあり。かように民に深く慕われたる劉備なれども、此の数万の民を以て戦うことはならざりし。是民上と生死を一つにすれども、民の心の剛になる様にする所の、いまだ足らぬ故なり。かようなる差別あるゆえ、孫子が意を加えて、詞を添えたるなるべし。
(1) 二つの之と云う字は、民を指して云うなり: 之は上をさすと考えるほうがよいと思う。令民与上同意の「令民」が、可与之死、可与之生にもかかっていると取るべきであり、そうすると之は当然上のことでなければならない。
(2)  ( ごう ) : つよい。剛気という熟語があり、「気が強く何物にも屈しないこと」を言う。
(3) 親切: 心の底からすること
(4) 追い落とす: 都、城などから敗走させる。

 劉備がこの数万の民で戦うことができなかったのは、徂徠の言うように民の心が剛でなかったとも取れる。もう一つの見方は法がなかったからである。大将の命令で秩序立って動く法のある民でないと兵として使いものにならない。いくら慕われても法のない烏合の衆では戦うことはできないのである。

 さてこの段の主意は、上の段に、一曰道と云いたる其の道と云うは、いかようなることを云うとなれば、士卒が上と心を一つにして、いかようにも上の思う様になり、生死をもひとつにして、しかも其の心剛にして、物を畏れ危ぶむことなき様にあらしむる、是を道と云うなり。この道を箇条の一つにして、この箇条にて云わば、敵が箇様にあるか、味方が箇様にあるかと、たくらべはかるべしと云う意なり。
 この道と云うに付きて、是は王道なりと云う説もあり、又覇道なりと云う説もあり、王覇を兼たると見たる説もあり。是みな後人の憶説にて、(1) ( いず ) れ孫子が意にかないたりとも云いがたし。孫子は王道とも、覇道とも、又王覇を兼ねたるとも云わぬ也。ただ令民与上同意、可与之死、可与之生、而不畏危也と云いたるなれば、孫子が意は、王道にてもあれ、又覇道にてもあれ、又何の道にてもそれには構わず、ただ士卒をかようにあらしむるを、道とは云いたるなり。孫子が意は一の令と云う字の上にあり。士卒にかようにあらしむることは、上のせしむる所にありて、別にむつかしく、なりにくきことにてはなし。如何様にも、せしめばせしめらるることなりと云う意なり。誠に兵家者流の(2) 奥意 ( おくい ) は、上に天もなく、下に地もなし、天地人ともに我一本の(3) 団扇 ( だんせん ) に握りて、我心のままに自在なる妙所、この一字に露顕するなり。味わうべきことなり。
(1)  ( いず ) れ: どれが
(2)  奥意 ( おくい ) :  奥義 ( おうぎ )
(3)  団扇 ( だんせん ) :  軍配団扇 ( ぐんばいうちわ ) の略。軍配団扇は大将が采配に用いた武具。

 兵家の奥義は「令」の一字にあらわれていると徂徠は言う。民も味方も敵も自分の思うように動かしむることが兵法の奥義なのである。これは「人を致して人に致されず」とも説かれる。孫子の兵法は一言で言えば令なのである。

 但しかようにばかり云わば、初心の人は、如何様にして民をかようにあらしめんと惑うべきによりて、孫子が意にもかなうべからん様なる説を、ここに挙げるなり。張預が説に、恩信使民(ēn xìn shǐ mín 恩信民を使う)とあり。恩は恩沢なり、信はもののたがわぬことなり。賞罰は勿論、大将たる人は、何にてももののたがわぬ様にすべし、是信なり。恩あれば民上にしたしみなつく、信あれば民上を疑い(1)けすむことなし。故に恩信の二にて、上と下との心ひとつになりて、(2)へたへたにならぬゆえ、民を此の本文の如くあらしむることなるべきなり。又黄献臣か説に、通上下之情(tōng shàng xià zhī qíng 上下の情に通ず)と云えり。是又(3)神妙なる説なり。上下の情に通ずとは、上たる人、下の情をとくとよく知ることなり。位高く身富み、(4)境界もかわるによりて、聡明才智の人も、下の情は知りがたきものなり。下の情を知らざれば、慈悲と思いてすることも、下の為にならず、物のたがわぬ様にすべきと思いても、することに(5)つかゆること出来て、たがえねばならぬ様になりゆくなり。故に上下の情に通ぜねば、恩信もたたぬなり。古の名将は、(6)身を 高上 ( こうじょう ) に持ちなさず、下を親しみ近づけて、よく下の情を知りたるゆえ、恩信もよく恩信の用をなし、民を此の本文の如くあらしめたること、(7)書典に(8)歴々たれば、かように心をつけて見ば、孫子が心にも遠かるまじく思わる。尤も時に臨みて、急に民を此の本文の如くあらしむることも、名将の作用にあることなれども、此の篇の文勢は、軍の前に、敵味方をはかりくらぶる上のことを云いたれば、まず(9)平日の上のことと心得べきなり。
(1) けすむ: 躊躇する しりごみする
(2) へたへた: 辞書的には、「力がぬけてくずれるようにたおれるさま」しかしこの本では「まとまりのないさま」として使っている。同じような使い方で「へだへだ」と濁点をつけているものもある。
(3) 神妙: 甚だ巧妙で人力が及ばない
(4) 境界: 場所。「境涯」に「境界」の字を使うことがあったのかもしれない。境遇ぐらいの意味だろう。
(5) つかゆる: つかえる
(6) 身を 高上 ( こうじょう ) に持ちなさず:「高上」は「高い位」の意味。「持ちなす」は「取り扱う」の意味。全体として「自分の身を高い位のものとして取り扱わず」の意味。
(7) 書典: 書物
(8) 歴々; 明らかなさま
(9) 平日: ふだん

 下の情を知らなければ下が何をしてほしいかがわからない。それでは恩の施しようがない。だから上下の情に通ずることが大事になる。現代ではもう一つ「通内外之情」を付け加えるべきだろう。古と比べると交通機関がはるかに発達し、人の行き来が激しくなり、自分の配下にいろんな宗教、風習の人がいるようになっている。自分の育った環境しか知らないと、異なる宗教、風習で育った人の情が読めない。だから自分の育った内だけでなく、外の情も知ることが必要になる。通上下之情、通内外之情を心がけるべきである。

5 天者、陰陽寒暑時制也、
tiān zhě 、 yīn yáng hán shǔ shí zhì yĕ 、
天は陰陽、寒暑の時を制するなり、
 此の段は、前に云いたる五事の内の、二日天とあるは、如何様のことぞと其のわけを説けり。天とは天の時なり。時とは、天のはこびなり。細かに云わば、古より今とはこびゆく上も時なり、一年十二月のはこびも時なり、一月三十日のはこびも時なり、(1)一日十二時のはこびも時なり。天は古より今に至るまで、日夜朝暮はこびめぐるものゆえ、総じて天にかかりたることをば、皆天の時と云うにてこもることなり。其の天の時のことを、陰陽寒暑時制なりと云うは、大綱を挙げて云いたるものなり。まず陰陽と云うは、(2) 日取 ( ひどり ) (3)時取、方角の吉凶、年月の吉凶、(4) 十干 ( じっかん ) (5)十二支、(6)五運、(7)七曜、(8)九曜のくり様、(9)雲気(10) 煙気 ( えんき ) の見様、総じて(11)軍配の家に云い習わす類は、皆陰陽五行の 相生相剋 ( そうしょうそうこく ) をもとにして、くみ立てたることゆえ、是を陰陽と云うなり。
(1) 一日十二時: 昔は一昼夜を12等分したため、一日が十二時になる。
(2)  日取 ( ひどり ) : 大安はよい日取、仏滅は悪い日取という日取である。
(3) 時取: 「ときどり」と読むと思うが、日取と同じく、よい時、悪い時があるのだろう。
(4)  十干 ( じっかん ) :  ( こう ) (jiǎ)、 ( おつ ) (yǐ)、 ( へい ) (bǐng)、 ( てい ) (dīng)、 ( ) (wù)、 ( ) (jǐ)、 ( こう ) (gēng)、 ( しん ) (xīn)、 ( じん ) (rén)、 ( ) (guǐ)の10種類からなる。干は木の幹が語源である。
(5) 十二支:  ( ) (zǐ)、 ( ちゅう ) (chǒu)、 ( いん ) (yín)、 ( ぼう ) (mǎo)、 ( しん ) (chén)、 ( ) (sì)、 ( ) (wǔ)、 ( ) (wèi)、 ( しん ) (shēn)、 ( ゆう ) (yǒu)、 ( じゅつ ) (xū)、 ( がい ) (hài) の12種類からなる。日本では、(ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)と読んでいる。支は木の枝をあらわす。
(6) 五運: 五行の運行。五行は木、火、土、金、水からなる。
(7) 七曜: 木星、火星、土星、金星、水星、太陽、月を合わせた7つの天体のことである。
(8) 九曜: 七曜に 計都星 ( けいとせい ) 羅睺星 ( らこうせい ) を加えたもの。
(9) 雲気: 雲霧の移動する様子
(10)  煙気 ( えんき ) : 山水に立ちこめる雲霧などの気
(11) 軍配の家: 軍陣の配置、進退などの指揮をする家
 智の明らかなる人は、吾心吾身より、家、国、天下の上までも、明かに其の道理事勢に通達して、(1) 豪髮 ( ごうはつ ) も疑いなきゆえ、事を執り行う上に於ても、其の疑いなき心より執り行うによりて、迷い惑わず、危ぶみ畏れずして、よく其の事を成就すれども、愚かなる人は、道理事勢に暗くして、事々の上に迷い惑い、危ぶみ畏るる心ありて、(2) 決定 ( けつじょう ) して其の事を執り行い、成就することあたわぬゆえ、古の聖人この陰陽の術を教えて、 吉日 ( きつじつ ) (3) 吉方 ( きっぽう ) (5) 吉相 ( きっそう ) を以て、其の志をいさませ、危ぶまず畏れず心を決定して、其の事を成就せしむ。是愚民の心を決定さすべき為の教えにて、実には其の用なきゆえ、智者の用いる所に非ず。故に古より賢王名将の、此の陰陽の術を用いたまえることさらになし。されども古より愚かなる人の用い習わしたることにて、人皆信ずる者も多ければ、兵家には(5) ( じき ) に是を取り用いて、愚を使うの術とするゆえ、孫子もここに挙げたるなり。是に泥むをよしとするには非ず。
(1)  豪髮 ( ごうはつ ) : [細い毛の意味から]ほんの少し
(2)  決定 ( けつじょう ) : 決め定めること
(3)  吉方 ( きっぽう ) : 縁起のよい方角
(4)  吉相 ( きっそう ) : よいことのある前兆
(5)  ( じき ) に: 直接に 占い師などを経由するのでなく、直接という意味だろう。

 徂徠は「古より賢王名将の、此の陰陽の術を用いたまえることさらになし。」と言いきっていいる。昔から賢王、名将が陰陽の術のような占いを用いたことは全くないと言うのである。私たちも事業を占いで決めたり、将来の進路を占いで決めるような愚かなことは決してしてはならない。

 古の呉越の戦の時、呉王夫差越国を攻めんとせし時、歳星と云う星、越の分野を守れり。分野と云うは天の二十八宿を、大唐(1)四百余州に配当して、此の星は何と云う国に感通すると云う習いなり。歳星は五星の内の一つにて、徳を司る星なり。守ると云うは常の行動に(2)はずれて、久しく其の分野にとどまることなり。歳星は徳を司る星ゆえ、徳ある国の分野を守るわけなれば、越の国は攻むまじきことなるに、(3)呉王夫差是を攻めてほろびたるとなり。又十六国の時分に、歳星と鎮星と、燕の国を守れり。歳星は徳を ( つかさど ) り、鎮星を福を司りて、福徳備わるわけなるに、秦の国より是を伐ちて、却って燕の国にほろぼされたるなり。是みな天の時を考えずして、軍に負をとりしためしなり。
(1) 四百余州: 中国全土のこと
(2) はずれて: 外れて 「それる」の意味
(3) 呉王夫差是を攻めてほろびたる: 「呉王夫差が越を攻めて呉が滅んだ」という意味である。
 又周の武王の紂王を伐ちたまう時、(1)うらかた悪しかりければ、太公望亀を ( ) きすて、(2) ( ) をおりすて、枯れたる草、朽ちたる骨に、何の生霊ありて吉凶を知らんとて、遂に紂を ( ほろ ) ぼしたまえり。(3)宋の高祖劉裕の 慕容超 ( ぼようちょう ) を征伐ありし時、往亡日にあたれり。往て亡びる日なれば、今日の出陣とどまりたまへと、諸将諫ければ、高祖の仰せに、我往て彼亡びるなりとて、構わず攻めて、遂に是を退治す。是みな天の時にかまわずして、勝利を得たるためしなり。用いるも破るも、皆愚を使うの術と知るべし。
(1) うらかた: 占いにあらわれた形
(2)  ( ) :  筮竹 ( ぜいちく )  易占いに用いる竹を削ってつくった細い棒
(3) 宋の高祖劉裕の: 「宋の高祖である劉裕が」の意味。高祖は国を開いた多くの帝を指して使われている。一番有名なのは、前漢を開いた劉邦だが、ここは宋を開いた劉裕に対して使われているので、「宋の高祖」と書いている。

 占いを徂徠がどう思っていたかがわかり興味深い。占いは愚を使う術であって、智者の用いるものでないと言うのである。太公望も占いで凶と出た時、枯れた草、朽ちた骨に吉凶がわかるはずがないと言い、亀を焼き捨て筮竹を折って捨てたと言う。徂徠も太公望も自分の頭でよく考えて納得することしか信じていないのである。

 又寒暑と云うは、冬の寒気、夏の暑気なり。是は天の時の内にて、実に其の用あることを云わんため、此の二つを挙げて、其の外をも知らするなり。春夏秋冬、日夜朝暮、飢饉豊年、旱洪水、大風大雨、大雷大雪、潮の干満の類、みな天の時の内にて、実に其の用あることなり。たとえば農作の時軍をおこせば、民の害となり、終に米穀少なくなりて、国の弱みとなる類。又極寒極暑の時は、士卒寒暑に疲れて、働き(1)はかばかしからず、病気を生ずる類。
(1) はかばかし: 効果のあがるさまである
 又冬は北国を征伐せず、夏は南国を征伐せずと云うことあり。漢の高祖この ( いまし ) めを知らず。雪中に匈奴と云う北国の夷を ( ) ちたまえり。匈奴は北国の極寒になれたる者ゆえ、さらにひるむことなし。味方の軍兵は雪になやみて、指のもげたる者、十人の内には二三人ほどずつありければ、遂に白登城と云う城にかこまれて、(1)いたく攻められ、難儀に及びたまえり。漢の世の(2) 元祖 ( がんそ ) たる人に、手痛きめを見せたるゆえ、漢の世四百年が間は、匈奴の勢強くして、代々この ( わずら ) い絶えざりしも、高祖の冬不征北(dōng bù zhēng beǐ 冬は北を征せず)と云うことを知りたまわぬより起これり。
(1) いたく; ひどく
(2)  元祖 ( がんそ ) : 創始者
 又後漢の世の名将に、(1) 伏波将軍 ( ふくはしょうぐん ) 馬援と云う人も、此の理に暗くして、極暑の時 嶺南 ( れいなん ) と云う所の夷を攻めたり。嶺南の地は、四季共に雷 ( ひび ) きて、雪と云うもの降らず。常に(2)四五月の時分の様にて、殊に 瘴気 ( しょうき ) と云いて湿熱の気盛んなる国なれば、中国の人、この国にゆけば、必ずかの瘴気にあたり(3) ( わずら ) うなり。馬援が軍兵も、十に八九は(4) 疫癘 ( えきれい ) を煩いて、軍に利なかりしとなり。但し日本の内は、かようの熱国なければ、夏不征南(xià bù zhēng nán 夏は南を征せず)と云うことは、日本にはいらぬことなり。
(1)  伏波将軍 ( ふくはしょうぐん ) : 漢の武帝の時の武官名。水軍を率いる。
(2) 四五月: 徂徠の頃は当然陰暦だから、現代の暦では、5~7月になる。
(3)  ( わずら ) う: 病気になる
(4)  疫癘 ( えきれい ) : 流行性の病気

 人間の体にはほとんど毛がない。それでもし衣服がなければ人間は寒い所で住むことができない。人間はもともとは非常に暑い所で生活していた動物なのである。人間には知恵があるから、衣服をつくり、寒い所でも生活することができるようになった。だから人間は寒さに弱く、寒さそのもので死ぬ。しかし暑さには強く、暑さそのもので死ぬことは少ない。熱国で死ぬのは、伝染病や害虫で死ぬのである。暑い所は細菌や害虫の働きも活発であるから、これらにあてられて死ぬのである。寒い所は細菌や害虫が少なく、寒さそのものが人間への脅威になる。

 元は二度日本に攻めて来た。これが元寇である。最初のを文永の役、2回目のを弘安の役と言っている。文永の役は元、高麗連合軍が1274年10月3日(新暦:11月2日)に朝鮮を出港し、1274年10月20日(新暦:11月19日)に撤退した。弘安の役は元、漢、高麗連合軍が1281年5月3日(新暦:5月22日)に朝鮮半島を出港し、1281年7月7日(新暦:7月23日)に終結した。1281年6月30日(新暦:7月17日)に台風があったとされる。文永の役の元の敗因が台風であるというのは疑わしいが、弘安の役の敗因の一つが台風であったことは確実である。7月の時期であれば、当然台風のことも考えなればならなかった。モンゴルには台風がないから、台風のことに疎かったのだろうか。天の利を考えなかった元のミスに日本は救われたのである。

 又 突厥 ( とっけつ ) と云う夷は弓を上手に射て、是をせむるに便りを得ざりしに、唐の太宗は長雨の時分、弓の ( にかわ ) とけ、矢の羽ぬれて、弓に利のなき時節を伺い、是を攻めて勝利を得たまえり。
 又大風大雨には敵多く油断するものなり。風上より火を放ち、雷の威に乗り、日月を背に負いて剣戟の光を添え、飢饉洪水の弊にのり、夜 ( ) したる所を伺い、又は節句歳の暮れなど、(1) 人界 ( じんかい ) のつとめずしてかなわぬ用事を務めるとて士卒のうち散る時節など、細に考えば、いくらもあるべきことなり。此の様なる類をば、孫子は寒暑の二字にこめて云いたるなり。
(1)  人界 ( じんかい ) : この世

 長篠の合戦で武田勝頼の軍勢は織田信長の鉄砲隊に敗れたように言われる。鉄砲は確かに強力な武器であるが、鉄砲には鉄砲の弱みがある。夜では射撃する相手が見えないし、雨では火縄がしめり鉄砲を発射することができない。これを考えずに攻めたのが敗因であると吉田松陰は言っている。昼夜、晴雨という天の時を考えていない。武田勝頼もまた孫子を知らないがために敗れたのである。

 時制と云うは、時とは上の文の陰陽寒暑の時なり、制とはそれを取りはからうことなり。陰陽寒暑のとりはからい様のよしあしは、たとえば吉日吉方を用いて、士卒のいさむことあり、破りて士卒の勇むことあり。飢饉の弊にのらんとすとも、其の手当をよくしたる国をば、飢饉なればとて侮るべからず。風雨にも油断せざる敵あり。寒暑にもひるまぬ敵あり。此の様なる類は、みな時のとりはからいのよきとあしきとなり。故にこの陰陽寒暑の時制を以て、敵味方をはかり(1)たくらぶることを、五事の内の天とは云うなり。
(1) たくらぶ: 比べる
 此の陰陽と云うを、張預が説には、陰陽の道理と見たり。それは(1)三才に通ずる陰陽にて、天の時に限らぬわけなれば、誤の説なり。又陰と陽と、寒と暑と、時と制と、六につけて説きたる説あり、是又(2)くだくだしき説なり。用うべからず。
(1) 三才: 宇宙間の万物
(2) くだくだし: 事繁くして煩わし

6 地者、遠近、険易、広狭、死生也、
dì zhě、 yuǎn jìn 、 xiǎn yì 、 guǎng xiá 、 sǐ shēng yĕ 、
地は遠近、険易、広狭、死生なり、
 此の段は五事の内にて、三曰地とある、地と云うはいかなることぞと、其のわけを説けり。地とは地の利なり。如何様なる地形にても、皆それぞれの勝利備わりてあるものゆえ、地の利と云うなり。遠近は遠きと近きとなり。険とは難所なり。易は平地なり。広はひろき地なり。狭はせばき地なり。死は死地とて引く所もなく、逃ぐる所もなく、残らず敵に打ちころさるべき地なり。生地とは命を ( まっと ) うするに(1)便りある地を云うなり。(2)近方を先にして、遠方をばゆるやかにすべし。難所は(3) 歩立 ( かちだち ) に宜しく、平地は騎馬に宜し。広地は大軍に宜しく、狭地は小勢に宜し。死地は戦うに宜しく、生地は守るに宜し。是皆一定したる地の利の大概なり。 神功 ( じんぐう ) 皇后は近き(4) 熊襲 ( くまそ ) をさし置きて、遠き朝鮮を征伐したまい、(5)義経は馬にて 鵯越 ( ひよどりごえ ) を落としたり。或いは広地も小勢を用うべからざるに非ず。狭地も大軍を用いまじきには限るまじ。死地を守り、生地に戦うも、時の変によりて必ずしもせざることには非ず。其の上、地の利のことは、此の本文の八品にも限るべからず。尚又九地篇など考え合わすべし。(6)とかく本文の意は、敵が地の利を得たるか、失いたるかと云うことを、たくらべ考うべき為に、かく云えるなり。
(1) 便り: 手段
(2) 近方: 遠方が「遠い所」だから近方は「近い所」なのだろう。「近傍」と書くのが一般的である。
(3)  歩立 ( かちだち ) : 徒歩であること。「徒立」と書くのが一般的である。
(4)  熊襲 ( くまそ ) : 上古に、日向、薩摩、大隅、肥後地方に住んでいた一種の民族
(5) 義経は馬にて 鵯越 ( ひよどりごえ ) を落としたり: これは「難所は 歩立 ( かちだち ) に宜しく、平地は騎馬に宜し」があてはまらない場合になる。
(6) とかく: とにかく

7 将者、智、信、仁、勇、厳也、
jiāng zhě 、 zhì 、 xìn 、 rén 、 yŏng 、 yán yĕ 、
将は智、信、仁、勇、厳なり、
 此の段は、五事の内にて、四曰将とある、其の将と云うは如何様なることぞと、其のわけを云えり。将は大将なり。大将たる人は、此の五つの徳を備うべきことなりと云う意なり。
 智は智慧なり。智慧と云うは世間に云う、(1)利口発明なることにも非ず。又学問博くして、様々のことを知りたるにも非ず。又弓馬剣術、槍長刀等の、種々の芸能の奥義を究めたるにも非ず。又(2)悟道(3)発明して、(4) 三世 ( さんぜ ) に通達したる智慧にもあらず。唯よく人情にぬけとおりて、上たる者下たる者、敵となり味方となる様々の人の心あんばいをよく知り、かようなることを喜び、かようなることをいやがり、(5) 一旦 ( いったん ) はかようなることを悦べども、(6)奥意はかようなることに安堵し、かようなることを 気遣 ( きずか ) わしく思うなどと云う様なる、人の心ゆきをよく知り、事の大きくならぬ前に、此の事は末にかようになると云うことを、早く見付けて、如何様なる詐りにてもだまされず、如何様なる 讒言 ( ざんげん ) にても惑わされず。又事の変の来る時、其の変に応じてそれぞれに取り扱うこと、定まりたることなく、よく其の宜しきにかない、禍の来るをよく取り扱いて福となす。是等を将たる者の智と云うなり。
(1) 利口発明: 才知があって頭の回転が速いこと。
(2) 悟道: 悟りの道
(3) 発明: ひらき明らかにすること
(4)  三世 ( さんぜ ) : 過去、現在、未来
(5)  一旦 ( いったん ) : ひとまず
(6) 奥意: 表に出さない心の中
 信はまことなり。まこととは平生人の(1)うろんなるを嫌い、物の真実なるを好み、我も少しの約束をも違えぬ様にし、(2) 前方 ( まえかた ) かように云いたる詞あるに、今かようにせば、(3)誰か心に恥ずかしきなどと云う様なるを、世間にては信と覚ゆれども、それは児女子の信にて、将たる人の信に非ず。心至りてせばく、(4)たよわく(5)せまりたる人のすることなり。将たる人の信と云うは、賞罰の定めの上にて付きて、かようなるをば賞すべきと、号令を出したらば、たとい吾がにくき人なりとも、約束の如く賞し、吾が 贔負 ( ひいき ) なる人なりとても、軽き功を重く賞せず。又かようなるをば罰すべきと号令を出したらば、貴人をも避けず、親類をも贔負せず、気に合いたる人をも、 ( あやまち ) あれば是を罰す。 (6) 下知 ( げち ) (7) 法度 ( はっと ) を変じかゆることなく、我身の(8) 大儀 ( たいぎ ) なることにても、先だちて出したる法度なれば、少しもかゆることなく、とかく賞罰号令などの様なる、万民へわたることを、約束の違はぬ様にすれば、将の誠、民士卒の心にぬけとおりて、民士卒深く心服し、少しも上を疑ひ(1)うろんに思うことなし。是を将たる人の信と云う也。
(1) うろん: いいかげんであること
(2)  前方 ( まえかた ) : 以前に
(3) 誰か: 人に
(4) たよわし: 弱い
(5) せまる: 狭くなる
(6)  下知 ( げち ) : 「げじ」とも読む。下の者に指図をすること。
(7)  法度 ( はっと ) : おきて
(8)  大儀 ( たいぎ ) : 骨の折れること

 「戦勢は奇正に過ぎず」と孫子は言う。奇兵で撃つために敵を欺くばかりか、味方さえも欺くことがしばしばなされる。少しの約束も違えぬ信義の人では、味方を欺くことができず、むしろ将としての能力に欠けると言うべきである。

 仁と云うは慈悲なり。慈悲と云えばとて、かおつき(1) 愛敬 ( あいぎょう ) らしくもの云いやさしくて人をだまし、或いは金銀(2) 絹帛 ( けんぱく ) を与へて人をだまし、或いは慈悲(3)善根とて(4) 非人 ( ひにん ) 乞食 ( こじき ) に物をとらせ(5) 僧法師 ( そうほうし ) を供養する類は、婦人の仁にして、大将の仁に非ず。(6) 利勘 ( りかん ) 細かにして、少しずつの規模立身をさせて人をいさまする方便をしかけ、(7)手をよく物やわらかにして人をだます類は皆真実の仁に非ず。大将たる人の仁はただ人の飢寒をよく知り、士卒と辛苦を同じくし、万民を安堵なさしむることなり。士卒の病気を尋ねては顔色を(8)しわめ、 手疵 ( てきず ) をこうぶり、(9)打死したると聞きては、 ( なみだ ) をながし、功ある人の子孫を棄てず、ふるきなじみを忘れず、民士卒の妻子を養い、朝夕安堵の思いをなす様にするを将たるひとの仁とは云うなり。
(1)  愛敬 ( あいぎょう ) : かわいらしく魅力的なこと
(2)  絹帛 ( けんぱく ) : 絹織物
(3) 善根: よい報いを受ける原因となるおこない
(4)  非人 ( ひにん ) : 非常に貧しい人
(5)  僧法師 ( そうほうし ) : 同意の僧と法師を重ねたもので、僧の意味。
(6)  利勘 ( りかん ) : 利得を考えること
(7) 手をよく: 主尾よく
(8) しわむ: しわをよせる
(9) 打死: 現代語では「討死」と書く
 勇は武勇なり。是も武勇を鼻にかけ、高慢甚だしく、陽気を専らにし、喧嘩口論をこのみ、或いは力つよきを武と思い、或いは武芸はやわざを武と心得るたぐいは、将たる人の勇には非ず。将の勇と云うは、大軍を畏れず、猛勢をも物の数ともせず、小勢にても戦うべき図をはずさず、敗軍しての後にも勇気くじけず、敵に逢いては必ず戦い、(1) 後詰 ( ごづ ) めをするには、大敵の内へも飛び入り、又大敵に囲まれては打ち破りて必ず出で、危き場にもひるまぬを、将たる人の勇と云うなり。
(1)  後詰 ( ごづ ) め: 味方を攻める敵軍をその背後より取り巻きて攻めること
 厳はきびしきと読みて、威の強きことなり。されども威を強くすればとて、 ( あご ) にて人を使い、目にて人を使い、かおつきを(1)けうとくして、人のよりつかぬ様にすることにも非ず。又(2)あらけなく人をしかり、少しのことをとがめ、 瑣細 ( ささい ) なる(3) 法度 ( はっと ) を立て、諫言の舌を ( つぐ ) ましむることを云うにも非ず。将たる人の厳と云うは、軍中の法令千万人を使うも、一人を使う如く、人馬の足音ばかり聞こえて、物云う音はせず。(4) 陣取 ( じんどり ) (5) 備立 ( そなえたて ) (6)役分、行列、金太鼓の作法、旗の進めよう、懸かるも引くも、合うも分かるるも、変化自在にして手間どることなく、軍兵将を畏れて敵を畏れず。将の下知を守りて君の下知をも用いず。かようなる将は、忍び入りて殺すことはなるべけれども、其の備を敗ることは曾てかなわぬなり。皆将たる人の一心の威より起こりて、一人をも殺さねども、よく三軍の心を畏れしむ。是将たる人の厳なり。
(1) けうとし: 恐ろしい
(2) あらけなし: あらあらしい
(3)  法度 ( はっと ) : 禁令
(4)  陣取 ( じんどり ) : 陣所を設けること
(5)  備立 ( そなえたて ) : 軍勢を整え、隊列をつらねること。陣立。
(6) 役分: 「やくわけ」と読むのだろう。役には仕事の意味がある。役分で仕事を分担すること。
  大凡 ( おおよそ ) 智ある人は勇たらず、勇なる人は智たらず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四の徳備わりてても、信また備わり難し。凡そこの五徳を備えざれば、大将の任にかない難し。敵の将と味方の将とを、此の五徳を以てたくらべはかりて、其の優劣を以て、軍の勝負を知ることを云うなり。近頃の学者に、この五徳を仁義礼智信の五常に引き合わせて、曲説を云うものあり。五常は人の心に具わる理なり。此の五徳は将の器量を云いて、(1)各別のことなり。用うべからず。
(1) 各別: それぞれが別であること

 この所は徂徠のリーダー論として圧巻である。リーダーに必要なものも孫子が将に必要なものとしてあげた智、信、仁、勇、厳である。
 徂徠は将に必要な智(それはリーダーに必要な智でもあるのだが)とは利口発明のことでないと言う。利口発明とは英語が堪能であるとか、計算が速く正確であるとか、機知とユーモアに富む会話をするというようようなことである。また学識がありいろんなことを知っていることでもないと言う。剣道や柔道の奥義を極めたことでもないと言う。仏教の悟りに達していることでもないと言う。リーダーの智は人の心に通じていることと事の理に通じていることだと言う。人の心に通じているとは、人がどういうことを喜び、どういうことを嫌がり、どういうことを恐れ、いったんはこういうことを喜んでも心の底では嫌がっているというようなことを知り尽くしている。また部下の悪口を言う者がいても、それが本当のことかどうかをよく見抜き、人を讒言する者にだまされない。計略に落とそうと近づいてくる者がいても、よくその心を見抜き、その計略に落ちることがない。
 人間関係のトラブルというのは、ほとんどが人の心を読めないことから起こる。相手の心が読めていないから、こちらが言ったことに予想外の怒り、反発を招くことがある。害された相手はまたこちらを害してくる。それに対してまた相手を害そうとする。こういうことが繰り返されると大きな対立となり、ついには戦争状態になる。人の心をよく知っておれば、最初からこういうトラブルは起きない。人間が生きる上で人の心を知るというのは極めて大事な能力なのである。
 それでは人の心を知るにはどうしたらよいのだろうか。自分の心を分析すればいいのである。人間は似たものだから、自分の心から推察することで人の心が読めるのである。日常生活ではいろんな人に接することになるが、相手が言ったことで内心怒ることも少なくない。この場合なぜ自分が怒ったのかを深く分析し、このような場合にこのように言ったから自分が怒ったのだとわかれば、他の人も同じようなことをすれば内心怒るとわかる。自分の言動でそのようなことをしないようにすれば、人を怒らすことが少なくなる。
 私たちは学校教育で英語や数学を学ぶ。外国で暮すならいざ知らず、一生日本で生活するなら、英語を知らなくとも大きな支障はない。微分積分がわからなくても、小学生レベルの計算ができれば日常生活に不便はない。ところが人の心を知らないとその言動でたびたび人を怒らすことになり、人間関係がぎくしゃくしたものになる。これは日常生活での大きな支障となる。たくさんの訴訟や裁判がなされるが、訴訟や裁判の原因となる人間関係のトラブルは多くは人の心を知らない、人の心を読み間違っていることから起こる。訴訟や裁判に勝つための学問である法学を教えるのに、訴訟や裁判の原因となる人の心を知らないことを改めようとしない。これでは訴訟や裁判が減少することは決してない。
 現在はテレビドラマ、映画、小説のような仮想現実があふれている。こういう仮想現実では人と人とのいろんなやりとりがなされている。こういうやりとりが実際現実で起こるかというとそれは少ない。仮想現実は話をおもしろくするために現実ではありえないことも平気でなされる。また俳優は自分の心の中の動きをそれとなく表情やしぐさに出すように演じているが、実際現実では顔色ひとつ変えず、その心の動きがまったく読めないことも多い。こういう仮想現実にひたると実際にはありえないことを実際現実のように思ってしまう。それでますます人の心を読み間違うことになる。
 信とは賞罰として定めたことを公言すれば、それをきちんと実行することだと言う。人を使うには賞罰をはっきりとし、どういう場合に賞し、どういう場合に罰するということを部下に周知徹底しなければならない。その基準にあたれば、言った通りに賞し罰しなければならない。リーダーがその賞罰の基準を明言せず、自分の好きな人を賞し、自分の嫌いな人を罰することがよく見られる。これでは自分と好みを同じくする仲良しクラブができるだけで、真に能力のある人は離れてしまう。
 仁は部下と苦楽をともにすることである。リーダーが単に命令を出すだけでは、部下がリーダーに親しむことがない。親しみのないリーダーのために部下が懸命に動くことはない。リーダーが部下とも懇ろに話をし、いつも部下のことに気を配る。部下と酒食を楽しむこともあるが、部下が苦しんでいる時は、リーダーだけが免れるようなことはしない。そうすると部下も恩義に感じ、リーダーのために懸命に働いてくれる。
 将は特に勇が必要だが、平時のリーダーはそれほど勇は必要でないように見える。しかし虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うように、大きな成果を得ようとすれば、大きなリスクが伴うのは平時も同じである。平時のリーダーも大きな困難をものともせず敢然と実行する胆力が必要とされる。
 厳はリーダーの命じたことを部下がその通りに実行することである。リーダーの言うことを部下が聞かないとその組織はまとまった動きができない。各自がバラバラに動けば必敗の形になる。部下がリーダーの命令をきかないようなことがあれば、叱り飛ばし厳しく罰する必要がある。そうでないと厳が保てない。

8 法者、曲制官道、主用也、
fǎ zhě 、 qū zhì guān daò 、 zhǔ yòng yĕ 、、
法は、曲制官道の主用なり、
 是は五事の内の五曰法とある、其の法と云うは、如何様のことを云うぞと、其わけを説けり。法は法令なり、軍中の(1) 法度 ( はっと ) 、掟を云うなり。人の生まれの一様ならざること、面の異なるが如し。(2)けなげなる人あり、臆病なる人あり、(3)目のはやき人あり、手(4)はしかき人あり、手(5)ぬるき人あり、足はやき人あり、おそき人あり、其の外気だて(6)かたぎ一様ならず。大将一人一人を直にひきまわさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又(7)格別なれば、たとえば連碁を打つが如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千万人の力ひとつに合いて、一人の力となるゆえ、千万人がけの力なり。心一致せざれば、千万人(8)われわれになりて、一人ずつの力なり。故に軍には法度、掟を定めて、千万人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云うことあり、木やりを云いておんどを取り、えい音をそろえて、是をあぐれば、十人しても挙らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よわきに非ず、五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違いなり。きやりと云う法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云うもの有りて、百万の軍兵も我が身を使うが如し。
(1)  法度 ( はっと ) : 法令
(2) けなげ: 勇ましい
(3) 目のはやし: すばやく気がついて見る
(4) はしかし: すばやい
(5) ぬるし: のろい
(6) かたぎ: 気性や習慣
(7) 格別: それぞれが別であること
(8) われわれ:それぞれ一人一人

 「えい」の音頭で5人が同時にあげると5人の力が同時に加わったことになる。1人の力の5倍の力が出る。たとえ10人いても、100人いても音頭で同時に力を加えるのでないと、各自がばらばらに力を加えることになる。これではいつも1人の力しか加わらない。「えい」の音頭で力を一致させる5人のほうが、ばらばらにあげている10人、100人よりもずっと大きな力が出るのである。

 時代劇で、1人の強い侍が5人、10人、20人の相手と剣で戦い、みな打ち倒してしまうシーンがよくある。この戦い方を見ると、多勢の相手は1人ずつその強い侍にかかっていっている。これでは1対1の戦いになり、強い侍が勝つのは当然である。多勢の相手の1人が号令を出し、その強い侍に同時に四方、八方から切りかかるなら、1人の侍は5~20の剣を同時に受けることはできず、必ず打ち倒されることになる。法で力を合わせれば1人の力の5~20倍の力が出る。それでその1人の強い侍は必ず倒されるのである。

 されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけてかなわぬことなれども、道将法の三を又を肝要とするなり。士卒の(1)思いつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦いて勝つと云うこと、古今其のためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきわまる。将に五徳備われば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備わりたる将の、法度、掟のあしきことはあるまじき様なれども、何ほど五徳備わるとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を尽くすことあたうまじ。よく名将の法を伝授して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならわしめ、よく練熟せざれば、たとい五徳備わる将とても、士卒吾が手足を使う如にならぬゆえ、法と云うものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤も法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立て置きたる跡は、二代目の大将(2)つぎにても、兵威先代におとらぬことなりとぞ。
(1) 思いつく: 「思いが着く」の意味から「心を寄せる」
(2) つぎにても: つぎ+にても。「つぎ」は動詞「継ぐ」の連用形が名詞化したもので、この場合は二代目の大将が継ぐこと。「にても」は格助詞「にて」に係助詞「も」のついたもので、「~でも」の意味。格助詞「にて」は助詞「に」「て」の間に動詞を書略してある格助詞で、「にありて」「になして」「において」等の意味になる。現代語の「で」になる。

 ここの徂徠の論理は納得しかねるものである。
 「道は平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきわまる。」と言うが、軍に臨んで急に法が立つものでない。法も平生より立てておく必要がある。徂徠も「士卒につねづね是をならわしめ、よく練熟せざれば、たとい五徳備わる将とても、士卒吾が手足を使う如にならぬゆえ、法と云うものにてはなきなり。」と言っており、平生から法に熟練することの必要性を説いている。道は平生のことだが、法は平生のことでないとは言えないのである。
 「将に五徳備われば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。」と言うのも首をかしげることである。徂徠の考える将の智は人情に抜け通っていることである。地の利に抜け通っていることでない。孫子には九地篇があり、地の利を細かに説いている。たとえ五徳備わる将であっても、九地の地の利に尽く通じているだろうか。「いまだ聖人の地に至らずんば地の微妙を尽くすことあたうまじ。」と言うべきだろう。

 さてこの曲制、官道、主用と云うに、古来様々の説あり。梅堯臣、 茅元儀 ( ぼうげんぎ ) が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。
 まず曲制とは、(1)備分陣取の法制なり。(2) 備立 ( そなえたて ) の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合わせて五を五人組と定むるより、五人を一伍と云う。是備の元なり。十伍を一隊と云う、五十人なり、二隊を一曲と云う、百人なり。何万人なりとも是より段々に組立てるゆえ、曲と云う時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云うに、旗、(3) 馬印 ( ばいん ) (4) 笠印 ( かさじるし ) (5)袖印、金太鼓、(6) 坐作進退 ( ざさしんたい ) の合図なり。是にて何万の人数にても、分合自在の変を、一人を使う如くならしむ。
(1) 備分: 「そなえわけ」と読むと思われる。備は隊列のこと。備分は隊列を分けることだろう。
(2)  備立 ( そなえたて ) : 軍勢を配置すること。またはその配置。陣立とも言う。
(3)  馬印 ( ばいん ) : 将軍の馬のそばに立てて標識とした武具
(4)  笠印 ( かさじるし ) : 戦場で敵、味方の区別にかぶとの前または後につけた標識
(5) 袖印: 軍陣などで敵、味方を見分けるためによろいの左右の袖につけた小旗の類
(6)  坐作進退 ( ざさしんたい ) : 作は「立つ」の意味がある。全体で「坐る、立つ、進む、退く」の意味。
 官道とは官の道なり。官と云うは、軍中には、(1)組頭、(2)小組頭、(3)旗奉行、(4)鉄砲大将、(5)弓大将、(6) 長柄頭 ( ながえがしら ) (7) 目付 ( めつけ ) (8) 使番 ( つかいばん ) などとて、それぞれの(9)役儀あり。是官なり。官の道と云うは、各其の役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすじ道あり。是は士大将の(10)いろうこと、(11) 物頭 ( ものがしら ) のいろうこと、目付のいろうこと、いろわぬことと云う ( すじ ) みちあるなり。それゆえ曲制にて分かちて、官道にてつらぬくなり。
(1) 組頭:  徒組 ( かちぐみ ) 、弓組、鉄砲組などの隊の長。
(2) 小組頭: 五伍二十五人を一組として、小組頭がある。
(3) 旗奉行: 主将の旗を守る職名
(4) 鉄砲大将: 鉄砲組を統率する者
(5) 弓大将: 弓頭とも言う。弓足軽の部隊を統率する者。
(6)  長柄頭 ( ながえがしら ) : 柄の長い槍を持って出陣した騎馬、あるいは徒歩の隊を統率する者
(7)  目付 ( めつけ ) : 違法を探索、報告する職名。
(8)  使番 ( つかいばん ) : 伝令や巡視の役
(9) 役儀: 役目
(10) いろう: 扱う
(11)  物頭 ( ものがしら ) : 弓組、鉄砲組などの足軽の頭。組頭。足軽頭。
 主用と云うは、用度をば ( つかさど ) る人ありと云う意なり。用度とは、兵糧、(1) 小荷駄 ( こにだ ) 、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或いは賓客のもてなし、褒美に与うる物などなり。是皆主る役人別に有りて、合戦を司る人はかまわぬことなるゆえ、官道の外に、主用と云うなり。
(1)  小荷駄 ( こにだ ) : 兵糧、武具などを戦場に運ぶ荷馬隊の荷馬
 軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆえ、法者曲制、官道、主用也と云うなり。
 劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云えり。其の時は十伍を隊とし、二隊を曲とす、前に見えたり。二曲を官と云う。二百人なり。然れば曲も官も皆(1) 備組 ( そなえぐみ ) のことにて、曲制は備の法制なり、前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は(2) 備押 ( そなえおし ) (3)次第、兵粮の運送など皆道なり。さて主用と云うは、主として用いると云うことなり。曲制官道の仕形、いかようの陣法を主とし用いると云うこと有りて、是にて軍の勝負分かるるゆえ、敵は何を主とし用いる、味方は何を主とし用いると云うことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云うことなりと云えり。此の説も文勢の上にて云えば、宜しく聞こゆるなり、前の説と合わせ見れば、事たらぬ様なれども、(4)役分も用度も、備に付きたるものなれば、右の二の説をよきとやすべき。又杜牧張預が説も、 大抵 ( たいてい ) 右の二説の意に出ず。
(1)  備組 ( そなえぐみ ) : 隊列の組
(2)  備押 ( そなえおし ) : 備は陣と同じように使われる。備押は陣押のことと思われる。陣押は進軍のことである。
(3) 次第: 順序を追ってすること
(4) 役分: 役には仕事の意味がある。役分で職分、役目ぐらいの意味だろう。

9 凡此五者、将莫不聞、知之者勝、不知者不勝、
fán cǐ wŭ zhě 、 jiāng mò bù wén 、 zhī zhī zhě shèng 、 bù zhī zhě bù shèng 、
凡そ此の五の者は、将聞かざる莫し、之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず、
 此の段は、右の五事の(1)変極の理に通達すべきことを云えり。凡とは、総じてと云うことなり。此の五者とは、右の五事を云う。将は主将なり。聞と云うも知ることなり。知れども変極の理に通達せぬを、孫子は聞くと云う。変極の理に通達するを知と云うなり、変極の理に通達すとは、右の五事の上に於て、千変万化する所を、一々に其の(2)至極にぬけとおりて、我物とすることなり。総じて右の五事をば、主将たる程の人は、誰も皆知りたることにて、珍しきことには非ず。されども人々われも知りたるとは思えども、其の変極の理に通達する人はまれなり。通達する人は軍に勝ち、通達せぬ人は負く。通達せずしてかなわぬことなりとぞ。
(1) 変極: 変わり極まる
(2) 至極: 至り極まる

 孫子は知ることを「聞」と「知」に分けている。単に聞いただけでその理を深く考えなければ千変万化の現実に対応できない。これは知らないのと同じことである。古来将軍になるほどの人で孫子を読まない人はいないはずだ。それでいて戦に負けることが頻発する。これは孫子を読んでもその深理を会得していないからである。荀子に「小人之学也、入乎耳、出乎口、口耳之間、財四寸耳、曷足以美七尺之軀哉。 xiaǒ rén zhī xué yĕ 、 rù hū ĕr 、 chū hū koǔ 、 koǔ ĕr zhī jiàn 、 caí sì cùn ĕr 、 hé zú yǐ mĕi qī chǐ zhī qū zāi  小人の学や耳に入りて口に出る、口耳の間、 ( わずか ) に四寸のみ、 ( なん ) ぞ七尺の ( ) を美するに足らんや」とある。マスコミが発達した現在、理に通達せずにすぐに口から出る人が一層多くなったのでなかろうか。ものの理がわかっていないのだから、ことごとく失敗することになる。

 記誦の学問が役に立たないのは、単に字句を覚えているだけでは、いろんな変化にそれを応用できないからである。字句の中に潜む理に通達して始めてそれを応用できる。相手との優劣を考える時、相手がどれだけ知っているか、自分がどれだけ知っているかと考えると知るの中に単なる知識も含まれてしまう。単なる知識で理に通達していないなら、いくらたくさんの知識があっても恐れるに足らない。だから相手はどれだけ聞いているか、どれだけ知っているか、自分はどれだけ聞いているか、どれだけ知っているかと単なる知識と理に通達していることを分けて比較すべきである。

10 故校之以計而索其情、
gù xiào zhī yǐ jì ér suǒ qí qíng 、
故に之を ( はか ) るに計を以てし其の情を ( もと ) む、
 故とは、上の文をうけて、かようあるゆえにと云う意なり。上文にある如く、五事の至極に通達する人は勝ち、通達せぬ人はまくるゆえに、此の五事を目録にして、是にて敵味方をくらべはかり、目算して、その軍情をもとむると云う意なり。

11 曰、主孰有道、
yuē 、 zhǔ shú yoǔ daò 、
曰く、主孰れか道有る、
 この曰くと云うより下は、上文に校之以計と云える、其の(1)たくらべ様を説けり。此の品七つあるゆえ、曹操王皙が注より、是を七計と云い習わせども、五事の外に、別に七計なしと知るべし。
 主は主将なり。孰有道とは、敵の主将が道あるか、味方の主将が道あるかと、敵味方をたくらべはかることなり。有道と云うは、則ち前の五事の内に、道者、令民与上同意、可与之死、可与之生、而不畏危也とある所にかなうを、道あると云うなり。
(1) たくらぶ: くらべる。「た」は動詞、形容詞などについて語調を整える接頭辞である。
 むかし韓信、項羽を ( そむ ) きて、高祖に帰したりし時、項羽は諸侯の権を取りて、威天下に振いたれども、(1) 生得 ( せいとく ) (2)あらけなき大将にて、人を殺すことを好み、さし当たりは礼儀ありて(3) 愛敬 ( あいぎょう ) らしけれども、人に国郡を与うることを惜しみ、又人の(4)異見を用いぬ人なれば、智謀ある人、みな項羽に従わず。又高祖はわずかに漢中の王にして、(5) 小身 ( しょうしん ) なれども、器量(6) ( おお ) ようにして、民を苦しめず、細かなる法度を立てず。面にむかいて人を悪口し、又人をうやまわぬ ( あやまち ) あれども、人に国郡を与えることを惜しまず。又よく人の ( いさ ) めを用いる人なれば、始終の勝利は、高祖の方にあらんとはかりしが、後其のはかりたりし如くなりしも、此の本文の意なり。
(1)  生得 ( せいとく ) : 生まれつき
(2) あらけなし: ひどく荒々しい
(3)  愛敬 ( あいぎょう ) : いつくしみ敬うこと
(4) 異見: 思うことを述べて人を諫めること
(5)  小身 ( しょうしん ) : 禄が少ないこと
(6)  ( おお ) よう: 目先の小事にだわらない

 項羽は人を殺すことを好むが、高祖は民を苦しめていない。五事の内で、道は高祖が上である。項羽は人に国郡を与えることを惜しみ、人の意見を用いないが、高祖は国郡を与えることを惜しまず、よく人の諌めを用いる。五事の内の将の智、仁、信は高祖が上である。勇、厳で大きな差がないなら、将も高祖が上である。五事の「道、天、地、将、法」の中で少なくとも、道、将は高祖が上である。天、地、法で大差がなければ高祖が勝つことは前もってわかる。

12 将孰有能、
jiāng shú yoǔ néng
将孰れか能有る、
 将とは士大将を云うなり。能とは才能にて、器量のことなり。即ち上の文にある、智、信、仁、勇、厳の五徳備わりたるを、有能と云うなり。此の本文の意は、敵の士大将共と、味方の士大将どもとは、何れか器量まさりたると、くらべはかることなり。
 むかし漢の高祖の時、魏王魏豹が謀叛を起こしたると聞きたまいて、外のことをば尋ねたまわで、魏豹が方の総大将は誰ぞと尋ねたまえり。柏直と云う人なりと申しければ、いまだ口わきの黄なる若者なり。何として此の方の韓信に及ぶべき。心安しとあり。又騎馬の大将は誰ぞと尋ねたまう。 憑敬 ( ひょうけい ) なりと答う。是はよき(1)弓取なれども、此の方の 灌嬰 ( かんえい ) には及ばずとあり。又歩卒の大将は誰と尋ねたまう。 項它 ( こうた ) と答えれば、此の方の曹参に(2)かけ合うべきに非ず。さては心安しとて、外のことを尋ねたまはず、軍をはじめ、一(3)かけ合いにて魏豹を生け取りにしたまうも、此の意なり。
(1) 弓取: 武士
(2) かけ合う: つりあう
(3) かけ合い: 両軍の兵力が正面からぶつかること

13 天地孰得、
tiān dì shú deǐ 、
天地孰れか得る、
 天とは天の時、地とは地の利なり。前の五事の内にては、天と地を二箇条にしてあり。ここには一箇条につづめて云えり。天の時地の利をば、敵の方に得たるか、味方に得たるかとくらべはかることなり。天の時も、地の利も、 ( ぬし ) を定めぬものにて、味方に得れば味方の利となり、敵方に得れば敵方の利となるゆえ、天地孰得たると云えり。敵味方孰れか得たると云う意なり。五事の次第には、道天地将法と次第して、此の所には道将天地と次第したるとは、天地に逆らいて軍をすることはならねば、尤も重きことなるゆえ、五事の時は、道天地将法と次第するなり。されども同じき天の時、同じき地の利なるに、将のとりはからい様にて、敵の利にもなり、又味方の利にもなるゆえ、天地を得ると得ぬとは、将の(1)功不功にあるゆえ、ここには道将天地と次第を立たり。
(1) 功: たくみ

 「天の時も、地の利も、主を定めぬものであり、それを得ると得ぬとは将の巧みさにある。」と書かれている。天の時、地の利をチャンスに置き換えると、「チャンスは主を定めぬものであり、それを得ると得ぬは人の巧みさにある。」となる。チャンスは結構あるものである。けれど人はそれを知り、それを使うことができない。チャンスがないのでなく、チャンスを見つける目がないのである。チャンスを人より先に見つけると、その人がそのチャンスの主となる。

14 法令孰行、
fǎ lǐng shú xíng 、
法令孰れか行わるる、
 法は法度なり。令は下知なり。されば法はかねて定めるを云う。令は当座の下知なり。行わるるとは、下知法度のきくことなり。上より下知法度をたてても、下たる者是を守らず、或いは表向きばかり守る様にして、実は是を守らざるは、行わるると云うものにてはなき也。是は人の守り難き法度をたて、又賞罰に依怙贔屓ある時は、法令行われぬなり。総じて下知法度は事多きを嫌うなり。法度の箇条すくなくして、法を犯す時はたとえ貴人高位にてもゆるさず法におこなう時は、下知法度のきかぬと云うことはなきなり。魏の曹操、此の段を注して、設而不犯、犯而必誅(shè ér bù fàn 、 fàn ér bì zhū 設けて犯さず、犯せば必ず誅す)と云えり。誠に名言なり。設とは法を立てることなり。上より法度を立てるに、下たる者是を犯すなれば、法度と云うものにてはなきなり。法は下たる人の犯さざるを以て法と云うなり、故に設而不犯と云うなり。法度を犯す時は、誰人によらず必ず誅するなれば、法を立てる(1)程にて、犯す者はなきなり。故に犯而必誅と云うなり。古の名将皆かくの如し。
(1) 程: 限り

 道路交通法第22条には、「車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度を、その他の道路においては政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない。」と定められている。これの違反がスピード違反である。自動車を運転する人で、一生の内に一度もスピード違反をしなかった人が何人いるだろうか。それほど頻回に破られている法律である。制限速度が60km/時の一般道路でも実勢速度は70km/時~80km/時で流れていたり、制限速度が70km/時の高速道路でも実勢速度は100km/時で流れていたりすることがよくある。スピード違反をしてつかまった時の罰は一般道路でも高速道路でも15km未満の違反なら、9千円の罰金で、一般道路で30km以上、高速道路で40km以上の違反なら赤切符になり、前科がつき、最高10万円の罰金になる。
 この法律が人の守り難き法度のよい例である。実勢速度が70km/時~80km/時で流れているのに、制限速度を60km/時としても人は守ろうとしないのである。また犯した時の罰が軽すぎる。9千円の罰金では、時給800円で働いても2日も働けば払える額である。最高額の10万円にしても、2015年の平均年収は440万円だから、平均的な収入の人なら十分に払える額である。スピード違反を法度として立てるなら次のようにする。「一般道路で時速150km/時以上、高速道路で時速200km/時以上をスピード違反とする。これに違反した時は罰金2千万円、払うことができないなら、収監して懲役とする。」人が守ることのできる法律にすること、それを犯した時は厳しく罰すること、これが法の立て方である。

 孫子始めて呉王 闔廬 ( こうりょ ) にまみえたる時、闔廬女にも軍法をならわすべしやと問う。孫子答えて、女なればとて、(1)教えらるまじきに非ずと云う。闔廬則ち、宮女百八十人を(2)出さる。孫子其の内にて、闔廬の寵愛の美人二人を組頭と定め、百八十人に(3) ( ほこ ) をもたせ、二組にわけて備を立て、(4) 下知 ( げち ) して曰く、汝何れもむねと、左右の手と、せなかとを知るやと問う。宮女何れも(5)なるほど(6) 存知 ( ぞんじ ) たりと云う。孫子が曰く、前は胸を見よ、左は左の手を見よ、右は右の手を見よ、後は背を見よと云う。何れも(7) ( かしこ ) まると云う。孫子則ち合図の太鼓を打てば、宮女(8)大きに笑う。孫子が曰く、合図の示し合わせ調わざるは、士卒の罪に非ず、将の罪なりとて、又右の如く委細に云い含め、再び合図の太鼓を打つ時、宮女又大きに笑う。孫子が曰く、合図の示し合わせをもとくとしたるに、法を守らざるは士卒の罪なりとて、組頭と定めたる両人の宮女を斬らんとす。闔廬大きに驚き ( ゆる ) すべき(9)よしを仰せけれども、将たるもの、軍に在りては君命をも受けざる所ありとて、遂に是を誅し、二番目の宮女を組の頭と定め、再び合図の太鼓を打ちしかば、(10) 坐作進退 ( ざさしんたい ) みな法の如にして、一人として法に背くものなかりきなり。
(1) 教えらるまじきに: 教え+らる+まじき+に 下二段活用の動詞「教う」の未然形+可能の助動詞「らる」の終止形+否定の推量の助動詞「まじ」の連体形+断定の助動詞「なり」の連用形
(2) 出さる: 出さ+る: 四段活用の動詞「出す」の未然形+尊敬の助動詞「る」の終止形
(3)  ( ほこ ) : 両刃の剣に長い柄をつけた武器
(4)  下知 ( げち ) : 下の者に指図をすること
(5) なるほど: たしかに
(6)  存知 ( ぞんじ ) たり: 存知+たり サ行変格活用の動詞「存ず」の連用形+助動詞「たり」の終止形。「存ず」は「知る」の謙譲語。この場合は「存じ」の「じ」に漢字の「知」を使っている。「たり」は動作、作用がすでに終わってその結果が存続していることを表す。
(7)  ( かしこ ) まる: つつしんで命を承る
(8) 大きに: 大いに
(9) よし: 事柄の内容
(10)  坐作進退 ( ざさしんたい ) : 作は「立つ」の意味がある。全体で「坐る、立つ、進む、退く」の意味。

 王の寵愛の美人二人を殺せば王の不興を買い、王に遠ざけられ、最悪の場合自分も殺される可能性がある。こういうことを考えるから、いくら法を犯したと言っても、王の助命の指示を無視して寵愛の美人二人誅することはなかなかできない。しかしここで誅さないと法が守られない。法はこのように自分の身を危険にさらしても厳格に守られなければならないのである。
 又呉子魏の国の軍兵を率いて、秦の国と(1)取り合いける時、一人の勇士ありて、下知なきに敵陣にかけ入り、首取りて帰る。軍法に(2) ( たが ) いぬれば、功あればとて ( ゆる ) すべきに非ずとて、呉子是を誅したり。
(1) 取り合う: 争う
(2)  ( たが ) う: はずれる

 たとえ功を立てたとしても、法を破って功を立てたのであれば、厳しく罰さなければならない。戦争は個人の力で勝つものでなく、集団の力で勝つものだからである。
 又斉の景公の時、燕晋両国より斉の国を攻めて、味方軍に利を失うこと有りし時、 晏平仲 ( あんぺいちゅう ) と云う賢臣、 司馬穣苴 ( しばじょうしょ ) を薦む。景公則ち穣苴を将軍の官になし、燕晋両国の敵を ( ふせが ) しむ。穣苴申して曰く、臣 ( いや ) しき者にて、今にわかに将軍の官となれば、士卒重んぜず、願わくは君の寵臣を一人軍の(1)奉行になしたまえと云う。景公則ち 荘賈 ( そうか ) と云う寵臣を添えらる。穣苴、荘賈と約束するよう、(2)日中に軍門に来たりたまえと云う。荘賈君の寵臣なれば、もとより穣苴が下知を用いず、 ( ようや ) く暮時になりて軍門に来たる。穣苴なに故遅く来るやと問う。荘賈答えて曰く、親類の者共なごりを惜しみ、(3) ( せん ) するに(4) ( ひま ) をとりて遅かりしと答う。穣苴が曰く、将たる者は、家をも身をも、親類をも忘るるを以て忠とす、今敵深く我国に攻め入り、国中騒動し、君の憂い甚だし、汝かようなる重き任を受けながら、何として親類のなごりを惜しみて、出陣の刻限を違いたるやとて、軍正を呼びて問うて曰く、軍の法には、合図の(5)日限(6)刻限を(7)遅れなはりたる人をば、如何様の罪科に処するやと問う。軍正が曰く、斬罪なりと答う。穣苴則ち荘賈を誅して其の由を軍中に(8) 相触 ( あいふ ) る。士卒大きに恐れて、穣苴が法を違えず。遂に燕晋の敵を逐い払いて取られたる郡を取り返したるなり。
(1) 奉行: 上の者の命によって事を執行する人
(2) 日中: 正午
(3)  ( せん ) する: 酒宴を開いて行く人を見送る
(4)  ( ひま ) : 時間
(5) 日限: 指定した特定の日
(6) 刻限: 指定した時刻
(7) 遅れなはる: 「なはる」は尊敬の意味を表す
(8)  相触 ( あいふ ) る: 「相」は、動詞について語調を整え、また意味を強める。「触る」は、広く知らせる

 その軍の総大将の外に君の寵臣の権威強きものを奉行に加えることを監軍と言う。孫子は謀攻篇で「三軍の事を知らずして三軍の政を同じくする者あらば則ち軍士惑う」と書き、監軍では戦いに敗れるとする。指揮系統が二つに分かれるから軍にまとまりがなくなるからである。司馬穣苴がこのことを知らないはずがない。司馬穣苴はその時の状況から、監軍として来る者は必ず法を守らないから誅することができると前もってわかっていたのだろう。それで王に監軍を頼み、監軍に来た人を誅することで自分の権威を高め、士卒が法に違うことがないようにさせようとしたのだろう。

 又孔明が下の士大将に、 馬謖 ( ばしょく ) と云いしもの、孔明が下知を守らずして敗軍に及びしかば、孔明 ( なみだ ) を流して是を誅す。
 呉の 呂蒙 ( りょもう ) も、我が同郷の人の、幼少よりなじみたるもの軍中にて笠を盗みたれば、涕を流して是を斬る。
 又魏の曹操は、士卒に田畠を ( ) み作物をそこなうべからず、(1) ( そむ ) くものは斬罪に処せんと、法令を出せしに、曹操の馬はなれて、麦畑を蹂み損じたり。我が出したる法令を、自身破るべきに非ずとて、(2)既に自害せんとす。群臣(3)様々と諫ければ、さらば是なりとも我が頸の ( かわ ) りにすべきとて、(4)自身我が髪を切りたり。
(1)  ( そむ ) く: 命令に反する
(2) 既に: 今にも
(3) 様々と: いろいろと
(4) 自身: みずから
 是等は皆古今にすぐれたる名将の、一たび法を出しては、かりそめにも破ることをせざりしためしなり。かようなる程なれば、法令よく行わるるなり。敵味方をたくらべはかるに、何れかかように法令の行わるるなりと考えることを、本文に、法令孰行と云いたるなり。

15 兵衆孰強、
bīng zhòng shú qiáng
兵衆孰か強し、
 兵は軍兵なり。衆は人衆なり。強と云うは、士卒武勇に、馬つよく、兵具もよく、士卒太鼓を聞きては喜び、金を聞きては怒るを云うなり。敵と味方とは、(1)何れかかようなると、くらべはかることなり。
(1) 何れ: いずれ

 徂徠は「兵は軍兵なり。衆は人衆なり」とする。「人衆」は人のことである。こう取ると兵と衆がほぼ同じ意味になってしまう。兵は兵器に取るべきだと思う。「兵衆孰か強し」は、兵器と人はどちらが強いかということである。人が強いというのは、軍兵の体力、武術が優れることを言う。現代の戦争では、昔以上に武器の優劣が勝敗に大きくかかわる。それで特に現代の戦争の勝敗を考える時は、兵を武器の意味に取らなければ勝敗の正確な予想ができない。

16 士卒孰練、
shì zú shú liàn 、
士卒孰か練す、
 練とは、熟することなり。熟するとは、法に熟するを云う。旗、(1) 合符 ( あいじる ) しをよく覚え、金太鼓の合図をよくわきまえ、備を分け、備を合わせ、懸かるも引くも ( ) つも ( ひざまず ) くも、よく合図を違えず、手間とらず。馳引達者にて、武芸に訓練したることなり。敵味方何れかかようなると、たくらべはかることを、本文にかく云えり。
(1)  合符 ( あいじる ) し: 戦場で敵と区別するために ( かぶと ) ( よろい ) の袖、馬具などにつけるそろいのしるし

 「兵衆孰強」と、「士卒孰練」は、特に兵衆の兵を軍兵の意味に取ると同じことのようにも見える。どこが違うのだろうか。「兵衆孰強」は軍兵個人の体力、武術、能力を言っている。「士卒孰練」は上の命令により集団行動が的確にできるかどうかを言っている。個々の軍兵が強くても集団行動ができなければ負けるし、集団行動ができても個々の軍兵が弱ければ負ける。

17 賞罰孰明、
shǎng fá shú míng 、
賞罰孰か明かなる、
 賞みだりなれば、費多けれども士卒恩と思わず。罰みだりなれば、殺せども士卒恐れず。故に功あれば、(1)意趣ある人をも賞し、罪あれば、親子にても ( ゆる ) さず。かようなるを賞罰明らかなりと云う。敵と味方とは、何れか賞罰明らかなりと、たくらべはかることを、本文にかく云えり。
(1) 意趣: うらみ
 右の七計の内、兵衆孰強と云うより、末の三は皆法のよく立ちたる上のことを、委細に挙げたるものにて、七計を五事に合わせ見れば、末の四は皆五事の内の法なり。五事の内にては、法と云うもの尤も肝要なることゆえ、孫子が念を入れて、細かに分けて云いたる也。諸葛孔明も、名ある将の備にても、法なき軍は破りやすし、名なき将の備なりとても、法ある備は破り難しと云えり。

18 吾以此知勝負矣、
wú yǐ cǐ zhī shèng fù yǐ 、
吾此れを以て勝負を知る、
 吾とは孫子がみずから云いたるなり。此とは右の七計を云う。孫子は此の七計にて、敵味方をくらべはかりて、敵味方いずれか勝ち、何れか負けると、明らかに知るとなり。

 七計はすべて五事に含まれるから五事の外に七計はないというのが徂徠の考え方である。しかし近代戦では特に武器の優劣が勝敗を決す。いくら法が厳格に施行されていても、武器が大きく劣るなら負けることになる。空軍を持たない軍隊が強力な空軍を持つ軍隊に勝てるはずがないのである。「兵衆孰か強し」で武器の優劣を考えるべきである。

 五事は道、天、地、将、法の5つである。七計は、主孰有道、将孰有能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明 の7つである。勝敗を計算するのは、七計のほうでする。七計で考えて、例えば4つで勝ち、3つで負けるなら、かろうじて勝つと考える。七計では、天地は軽んぜられており、天地を合わせて一つの得点としている。徂徠によると、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明はすべて法になるから、法は4つであり、4得点になる。五事の内、道、天、地、将で優れていても、法で劣っており、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明のすべてで敵に負けるなら、五事で考えると4対1で勝つのに、七計で考えると3対4で負けてしまうのである。法が非常に重んぜられていることがわかる。

 徂徠は「五事の外に、別に七計なし」と言い、七計はすべて五事に含まれるとする。七計の中で、「主孰有道」、「将孰有能」、「天地孰得」、「法令孰行」は五事の道、将、天、地、法という言葉を使っているから、確かに五事と同じものだろう。しかし「兵衆孰強」、「士卒孰練」、「賞罰孰明」の3つは五事では使っていない言葉である。これらは五事の一つの範疇に含まれるものでなく、五事のいくらかが組み合わさってできるものと考えるべきである。兵衆が強くなるのは、法が行われているだけでは駄目である。道が行われていないと人は戦おうとしないから弱くなるし、天の利、地の利を失っても弱くなるし、将が愚将でも弱くなる。兵衆孰強は道、将、天、地、法がみな関係することである。士卒孰練も道、将、天、地、法がみなからむことである。賞罰孰明は法だけでなく、将も関係する。法が行われていても将がしきりに法を変えれば賞罰が明らかとは言えない。

 軍形篇に「勝は知るべく爲すべからず」とある。これを徂徠は次のように説明している。「一説に此の方をよく調りて居て、敵にすきまある時是を打ちさえすれば味方勝つゆえ、味方の勝つと云うこと先立ちて知らるるなり。されども敵に伐つべきすきまの出来ることもあり、出来ぬこともあるなれば、必ず味方の勝つ様にすることはならぬと云う意に見たるもあり。是にても通ずるなり。」ここの「勝負を知る」というのも、「味方が勝つ」と知ることができても、これは「必ず味方が勝つ」という意味でない。「敵に負けることはない。敵に勝つべきすきまができたら勝つことができる」という意味である。敵に勝つべきすきまをつくるために次の勢をなすのである。

19 将聴吾計用之必勝、留之、将不聴吾計用之必敗、去之、
jiāng tīng wú jì yòng zhī bì shèng 、 liú zhī 、 jiāng bù tīng wú jì yòng zhī bì baì 、 qù zhī 、
( ) た吾が計を聴き之を用いれば必ず勝つ、之に留まる、 ( ) た吾が計を聴きて之を用いざれば、必ず敗る、之を去る、
 此の段は、勝負の道は、右の五事七計にて明かに分かるることを、丁寧に云えり。将とは(1)辞なり。もしと云う意なり。吾計とは、即ち孫子が勝負のつもりなり。右の七計を云うなり。もし呉王闔廬、孫子が右の如く五事七計にてはかりつもりて、此の戦は勝なり、負なりと定めたるを、尤もと聴き入れて用いたまわば、必ず勝利あるべし。尤もと思わず、聴き入れず用いたまわずば、必ず敗北に及ぶべし。されば右の七計を尤もと思召さば、留まりて仕え奉るべし。用いたまわずば、留まり仕えても(2)せんなきことなるゆえ、立ち去るべしと云うことなり。然れば孫子が心は、合戦の勝負は此の五事七計にて、戦わぬ前に定まると云う(3)わけを、第一とするなり。
(1) 辞: 概念過程を経ることなく事柄に対する言語主体の立場を直接に表現する語を言う。助詞、助動詞のほか、感動詞、接続詞、陳述副詞も含む。
(2) せん: かい
(3) わけ: 物事の道理
 将の字をはたと読むこと、王晳、張預が説なり。陳皓、梅堯臣は将の字を主将と見る。一段の意は王晳、張預と同じけれども、総じて始計篇の内にて、主将を将とは云わず、文例相違せり。はたとよむ説宜しからん。又孟氏が説は、脾将と見る。是は大将の下の士大将のことなり。施子美が説には、はたと読むと、諸将と見ると、両説をあげたり。黄献臣は、君より見れば総大将を指し、総大将より見れは士大将を指すと云えり。将の字を総大将士大将と見る時は、下の文を、これを留めん、これを去らんとよむべし。吾計を用いぬ士大将をば、除き去るべし、用いる士大将をば、留め置て召仕うべしと云う意なり。一段の義理は、何れにても通ずるなり。されども此の段の吾計と云うは、即ち上文の七計のことなれば、聴き用いると聴き用いざるをば主将へかけ、留まると去をば孫子へかけて見ねば、始計一篇の文勢通貫せぬなり。(1)さるにても将の字をはたとよまずして、主将と見ることは、文例に合わぬゆへ、今王晳張預が説に従うなり。
(1) さるにても: それにしても
 尤も吾申すことを用いたまわずば立ち去るべしと云うこと、忠臣の道にはずれたる様なれども、戦国七雄の時は、いまだ君臣の約束をなさねども、客卿客将などとて、他国の人来りて其の国に居るもの多し。孫子も斉の国人にて、この時呉国へ来り、呉王闔廬といまだ君臣の分定まらざる前に、此の書を作りて献じたりと見えたり。故に史記の孫子が伝にも、孫子初めて呉王にまみえたる時、呉王の詞に、子之十三篇吾悉観之矣(zǐ zhī shí sān piān wú xī guàn zhī yǐ 子の十三篇吾悉く之を観る)とあるなり。
 又本文の用之とある字を、兵を用いると見る説あり、其の時は、はた吾計を聴かずしてこれを用いばとよむなり、字法穏ならず。従うべからず。

20 計利以聴、乃為之勢、以佐其外、
jì lì yǐ tīng 、 nǎi wéi zhī shì 、 yǐ zuǒ qí waì 、
計利ありて以て聴く、乃ち之が勢を為して、以て其の外を ( たす ) く、
 此の段より下、不可先伝也とあるまでは、勢いのことを云えり。右の五事七計のつもりにて、勝負は分かるることなれども、軍には不意の変動と云うものあり。天地の気も、日々夜々に生々して止まらず。人また活物なれば、両軍相対する上にて、無尽の変動起こること、先だちてはかるべからず。故に五事七計何れも宜しくて、味方の勝にきわまりたる軍にても、何事なくして勝つべきに非ざれば、兵の勢と云うことをなして、軍の勝を助くることを云いたるなり。計利以聴とは、右の七計にてつもり計りて、味方の勝利と知り、軍の手当をせんに、主将尤もと聴き入れたまい、上下一致していよいよ勝利に究まりたれども、猶又兵の勢と云うことをなして、其の助けとするとなり。佐其外とは、右の五事七計にてはかりつもりて設けたる手当は、出陣前にきわまることにて、是を内謀と云うなり。内謀にて及ばず、届かぬ所あるを、兵の勢いにて助け手つだいて、全き勝利をなすゆえ外を佐くとは云うなり。

21 勢者、因利而制其権也、
shì zhě 、 yīn lì ér zhì qí quán yĕ
勢は利に因りて其の権を制するなり、
 是は上の文に勢と云いたるによりて、其の勢と云うは、如何様のことぞと、其のわけを云えり。利と云うは、上の文にある五事七計にてはかりて、此の軍はかようにして勝利ありと、つもり定めたる所を云う。因とは何事にても、それを(1)もとたて、土台にして、其の上へちなみてすることを云うなり。権とはもと ( はかり ) のおもりなり、秤のおもりは、左へ移し、右へ移し、様々に変じ易えて、宜しきにかなうものなり。それゆえ何にても変じ換え、転じ移してよきぐあいにあたることを、権と云うなり。制すとは制作の義にて、此の方より作り出し、しかくることなり。兵の勢は、天より ( ) りるにも非ず、地より湧き出るにも非ず、此の方より作り出して、将の掌に握り、全き勝をなすものゆえ、制と云うなり。本文の心は、上文に勢と云うものをなして、内謀の助けとすると云う、其の勢と云うは、如何様のことなれば、其の五事七計にて、かねてつもりはかりて、是にて勝利あると定めたる所を、土台とし、元として、戦場に臨みては、それにちなみて、時に取りての変化、よき図にあたることを、此の方よりしかくる、是を勢と云うとなり。
(1) もとたて: 本立 文字どおり「本を立てる」ことだろう。
 尤も五事七計にてつもりては、勝利なき軍なりとも、時に取りてせでかなわぬこともあるべきなれば、左様なる軍には、勢を取りて勝利を得ること、名将の作略にあるべし。されども孫子が心は、兵の正道を云うなり。兵の正道にて云う時は、名将の作略にて、何ほどよく勢をとりて軍に勝つとも、前方五事七計にてつもりはかりて、利なきはずの軍を、無理にして、今勢の作略ばかりにて勝利を得るは、皆あぶなき戦にて、まぐれあたりとも云うべし。兵家の全き勝には非ずと云う意にて、因利と云いたるなり。此の篇は始計篇にて、出陣前の始計こそ勝利の根元にてあれと、只是を大切に云いたるなり。さて軍の上手の勝利を得るは、皆この勢にて禍を転じて福となし、まくべき軍に勝ち、さても奇策妙計かなと世にも云い伝え、書にもしるして、後世にももてはやし、又孫子が妙所も此の勢にあることなるを、かように云える孫子が深意、よくよく味わうべし。あり難きことなり。
 又此の因利と云うを、敵の利、又時にとりての利と見る説もあり。尤も兵家の作略神妙なる所、みな敵の利に因りちなんで、味方の勝をなし、時に取りて、天地人の上にて、何によらず其の事々の利にちなんで、兵の勢をなすことなれば、此の説は孫子が妙意を得たる様なれども、一篇の文勢に疎くして、孫子が手厚き所をしらぬなり、深く思うべし。

 この所の徂徠の解釈は異和感を持つ。私は徂徠が「一篇の文勢に疎い」と言う「利を敵の利」と見る解釈がよいと思う。五事七計より得る利は戦争を始める前のことである。ところが戦争は敵の動きにより千変万化するものである。戦争を始める前の五事七計の利に固執したのでは、変に応じた動きができない。変化する敵、その敵の利に因りて動いて始めて千変万化の変化に対応できる。五事七計で出る利は戦争前に決まる利だから、固定したものであり、それを土台としてもいろんな変化ができるはずがない。固定した利をもとにして、固定した動きしかできないのでは、兵法が死物になってしまう。
 五事七計でつもるのが兵の正道であり、これを大事にすべきということは、「計利ありて以て聴く、乃ち之が勢を為して、以て其の外を佐く」で尽されている。五事七計で利があって始めて勢をなすのだから、五事七計が大事で、基本であることは明白である。勢まで五事七計の利に基づかなければならないというものではない。
 ただこの解釈を取ると、「計利ありて」の利と「利に因る」の利の意味が異なることになる。少しの間に意味を変えるのは、少し無理があるように思う。しかし後の利を敵の利と見なければ兵法が死物になり、役に立たなくなる。
 徂徠は「尤も五事七計にてつもりては、勝利なき軍なりとも、時に取りてせでかなわぬこともあるべきなれば、左様なる軍には、勢を取りて勝利を得ること、名将の作略にあるべし。」と言い、五事七計で負けても、勢で勝つことがあることを認めている。利を五事七計での利と考えるなら、五事七計で負けているのに、勢で勝つと言うその勢はどういう利によっているのだろうか。少なくとも五事七計の利とは考えることができないのである。

22 兵者詭道也、
bīng zhě guǐ daò yĕ 、
兵は詭道なり、
 是は上の文に、因利而制其権と云えるをうけて、此の権と云うものを、合戦の上にて大切にするわけを云えり。総じて合戦の道は詭道なり。詭道と云うは、詭はいつはりとも、あやしとも、たがうともよむ。是は唐の文字に倭国のことばを付けて、文字の訓を定むるに、一言にてとくと、其の字の意を云い取られぬことあるによりて、一字に二つも三つも字訓あるなり。よのつね詭道と云えば、いつわりと云う訓ばかりに泥みて、合戦と云えば、とかく(1)表裏、(2)たばかりを、軍の本意と定むるは(3) 僻事 ( ひがごと ) なり。あやしとは敵よりあやしみ、何とも合点のゆかぬことなり。たがうとよむ時は、詩経の詭随、孟子の詭遇なとの、詭の字の意にて、正しき定格を守らぬことなり。故に兵は詭道なりと云うは、軍の道は、とかく手前を敵にはかり知られず、見すかされぬ様にして、千変万化定まりたることのなきを、軍の道とするなり。されば、敵よりは是をたばかると思うゆえ、いつわりとも訓ずるなり。易の師の ( ) に、聖人の兵法を明かしたまえり。(4)師の卦は外坤の卦にて、内坎の卦なり。坤は至静をあらわし、坎は至険をあらわす。至りて静にして動かず、声もなく ( におい ) もなき中に、はかり知られず、犯しさわられぬ物ある、是軍の本体にして、八陣の根元なり。孫子が兵者詭道也と云うをも、ここに本づきて是を伺わば、其の妙所に至るべし。
(1) 表裏: 表と内心との一致せぬこと
(2) たばかり: だますこと
(3)  僻事 ( ひがごと ) : 間違ったこと
(4) 陽を表す長い横棒(─)( 陽爻 ( ようこう ) と言う)と陰を表す真ん中が途切れた短い横棒(--)( 陰爻 ( いんこう ) と言う)を上下に3つ組み合わせると2の3乗で8種類の卦ができる。これが 八卦 ( はっけ ) である。八卦は☰ ( けん ) 、☱ ( ) 、☲ ( ) 、☳ ( しん ) 、☴ ( そん ) 、☵ ( かん ) 、☶ ( ごん ) 、☷ ( こん ) の八つである。この八卦を二つ組み合わせて上下に配置すると、8×8=64 で64種類の卦ができる。これが 六十四卦 ( ろくじゅうしけ ) である。師は六十四卦の一つで䷆になる。上に坤、下に坎を組み合わせたものである。上の卦を 外卦 ( がいか ) 、下の卦を 内卦 ( ないか ) と言う。師は上が坤で、下が坎だから、「師の卦は外坤の卦にて、内坎の卦なり」となる。坤は陰爻(--)を上下に3つ組み合わせたもので、坎は上が陰爻(--)、中央が陽爻(─)、下が陰爻(--)の組み合わせになっている。陰爻(--)は陰であるから、静を表す。師は陰爻(--)の中に一つだけ、陽爻(─)を含む卦である。だから、「至りて静にして動かず、声もなく臭もなき中に、はかり知られず、犯しさわられぬ物ある」という像になる。これが聖人の兵法だと言うのである。

 「兵は詭道なり」と言うのは、一語で兵法というものを表した名言である。その兵がどこにいるのか、その兵がどう動くのか、その兵が何を求めているのかが相手からまったくわからない。それが兵法である。また師の卦が聖人の兵法だと言うのも名言である。兵法というものがどういうものであるのか、その具体的なイメージを卦で示している。

23 故能而示之不能、用示之不用、
gù néng ér shì zhī bù néng 、 yòng shì zhī bù yòng
故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示す、
 故とは上の文を ( うけ ) る詞なり。上の文にある如く、兵は詭道なるゆえ、かようかようと詭道の作略を、是より下十四句に説けり。是皆上に云える兵の勢なり。
 能するとは、吾力にかない、吾(1)手ぎわになることなり。不能とは、力にかなわず、手にあまることなり。示すとは(2)見せかくることなり、用いるとは取り用いることなり。たとえば、戦いて勝つことがなれども、ならぬ様に思わせ、城を攻め落とすことがやすやすとなれども、ならぬ様にして見せかくるは、能而示之不能なり。又ここにてはかようのてだてをせんなど、敵の気づかう所なれば、左様なる手だてをばせぬ様に見せかけ、何々の(3) 兵具 ( ひょうぐ ) を用いて利ある所あれば、それをば用いぬ様に思わせ、我臣の内にも、敵の(4)手を置くものをば用いれども、用いぬ様に見せかくるなど、みな用而示之不用なり。皆敵に油断をさせ、(5)度に迷わする道なり。
(1) 手ぎわになる: 「手ぎわ」は「できる範囲」だから「手ぎわになる」で「できる範囲になる、できる」
(2) 見せかくる: 下二段活用の動詞「見せかく」の連体形 あるものを別のもののように思わせる
(3)  兵具 ( ひょうぐ ) : 兵器
(4) 手を置く: 処置に窮する
(5) 度: 物事の適当な程合い

24 近而示之遠、遠而示之近、
jìn ér shì zhī yuǎn 、 yuǎn ér shì zhī jìn 、
近くして之に遠きを示し、遠くして之に近きを示す、
 近国を攻むべきと思わば、遠国を攻めるふりに(1)もてなし、遠国に働くべきとする時は、近所に働くふりをすることなり。
(1) もてなす: そうであるかのようにみせかくる

 徂徠は遠国と近国のことだけを言っているが、これは勿論一例と考えるべきである。同じ国を攻めるにしても、近い所を攻めると思わせて遠い所を攻めたり、遠い所を攻めると思わせて近い所を攻めたりする。時間的遠近もこれに含まれる。近い時に攻めると思わせて遠い時に攻めたり、遠い時に攻めると思わせて近い時に攻めたりする。

25 利而誘之、乱而取之、
lì ér yoù zhī 、 luàn ér qŭ zhī 、
利して之を ( あざむ ) く、乱して之を取る、
 利とは、敵の好むことを云うなり。或いは財宝、米粮を取らせ、或いは国郡を与え、或いは一旦の勝利を与えなどすることなり。誘くとは、だまし引き出すことなり。是は城に引きこもり或いは要害を固めて出ざる敵、或いは戦うまじき図を守りて戦わざる敵などを、彼が好むことにて惑わして、是を引き出すことなり。乱而取之とは、てだてを以て敵の乱れぬ備をみだして、是を打ち取るなり。
 むかし秦の苻堅と晋の謝玄、 淝水 ( ひすい ) と云う川を ( さしはさ ) んで陣を取る。謝玄使を遣わして、少し備をあとへくりたまわば淝水を ( わた ) りて合戦を ( つかまつ ) らん、かように川を夾んで対陣しては、(1)せんもなきこと也と云う。苻堅尤もとて備をあとへくる。其の意謝玄が軍勢の川を ( なか ) ば済る所を、討たんと思いてなり。半渡を撃つと云うは、古の兵法なれども、苻堅の軍兵二十万にあまる大軍を、あとへくらんとせしかば、備忽ち乱れたり。謝玄兼て苻堅が半渡を撃つの計を用んとて、備の乱るるをば思いつくまじと察して、右の如く申し遣したるに、案の如くてだてにのりたるゆえ、一戦にてこれを敗る。これ乱而取之のはかりごと也。
(1) せん: 詮 かい(甲斐)
 或いは火をかけ、馬を切りてはなしなどして、敵陣を乱す計は、其の品いくらもあるべし。
 また手前を乱して敵をかからせ、是を打取ると云う説あり。是は上の利而誘之と云う意なり。乱而取之と云うとは、少しとおき説なり。
 又本文を、みだれてこれを取るとよみて、敵国の政道乱れて、 ( らち ) もなきと知らば、速にこれを攻め取り、或いは城中陣中の法の乱れたるを、乱れに乗じて攻め落とし、或いは備の乱れ、足並みの定まらぬを討ち取る類も、乱れて取之なり。みだれて、みだして、両(1)点何れも用うべきなり。
(1) 点: 漢文訓読のための補助記号から転じて注釈のこと
 或説に、みだしてと読む時は、此の方より計を以て乱すことゆえ、詭道なり。みだれてと読む時は、彼が(1)自分と乱れたるを攻め取るゆえ、正道にて、詭道に非ず。此の段は、兵の詭道を説きたる所なれば、みだしてとよむ説、然るべしと云うものもあれども、(2)最前にことわる如く、詭道と云うは、強ちにいつわりたばかるばかりに非ず、千変万化して、一定の格を守らぬことなれば、両説ともに用うべし。
(1) 自分と: ひどりでに
(2) 最前: さきほど

26 実而備之、強而避之、
shí ér bèi zhī 、 qiáng ér bì zhī 、
実して之に備え、強くして之を避く、
 実するとはみちたることなり。敵の備、法制整りて、すきまなく油断なく、打つべき図の見えぬことなり。かようなる敵ならば、味方も備を設けて、時の変を待つべしとなり。備を設くるとは、敵の虚を討たんとばかり思わず、味方にうたるべき虚のなき様に、油断なく守りて、変を待つことなり。強と云うは勢いの強きことなり。或いは猛将の勝ちに乗りたる勢、或いは勇将の会稽の恥を ( そそ ) がんとする勢、或いは陣を列する上にても、将、勇猛にして、(1) 兵馬 ( へいば ) (2) ( しら ) げたる備をば、是をよけさけて鋒を争わず。其の勢のぬけたる図を打つべしと云うことなり。
(1)  兵馬 ( へいば ) : 軍隊
(2)  ( しら ) げたる: 「精製した」の意味から「すぐれてするどいこと」。現代語でも「精兵」と使う「精」である。
 一説に、此の二句を、実してこれに備え、強くしてこれを避くと読む時は、詭道に非ず、正道なり。実してこれを備えしめ、強くしてこれを避けしめとよむべし。其の意は、味方の備もと実せざるを実したる様に見せかけて、用もなき所まで敵に用心させ、敵にちぢみを付けて、(1) 聊爾 ( りょうじ ) にかからせぬ様にし、味方の勢弱けれども、強き様にもてなして、敵によけさする様にする、是詭道なりと云う説あり。(2)尤も面白き説なれども、前段に断る如く、詭道と云うは、強ちにいつわりだますことばかりに非ず、千変万化して、敵にはからせぬことを云うなれば、正道の戦も、千変万化の一つなり。或いは正道を用い、或いは(3)表裡を用るこそ、真の詭道なれ。然れば古来の説の如く、実してこれに備え、強くしてこれを避くとよみて、(4)なるほど孫子が本意に違うべからず。
(1)  聊爾 ( りょうじ ) : 軽はずみなこと
(2) 尤も: いかにも
(3) 表裡: 表裏と同じ。表と内心との一致せぬこと
(4) なるほど: まことに いかにも

 戦争を力比べの競技のように思っている人は、一番強い所と対戦して自分の力をためしたがる。相手の実にこちらの実をあて、その優劣を競いたがる。戦争は勝つためにするものであり、こちらの武力や武術の優れていることを誇示するためにするものでない。相手の実にこちらの実をあてれば、たとえ勝ってもこちらの被害が大きくなる。相手の虚を見つけてこちらの実をあてる。相手が実で虚が見あたらないなら、こちらを備え固めて攻めない。相手が実で強いならそこを攻めることを避ける。これは卑怯でもなく、臆病でもない。これが兵法である。

27 怒而撓之、
nù ér nǎo zhī 、
怒らして之を ( みだ ) す、
 敵武功の将にして、 ( たやす ) く勝利を得がたき時、其の将短慮なりと知らば、計を以て是を怒らすべし。易にも、身を修むるみちを説きて、(1)懲忿窒慾(chéng fèn zhì yù (2) 忿 ( ふん ) (3) ( ) め、欲を ( ふさ ) ぐ)と云える、二つばかりを挙げたまえり。(4)さばかりの人も、制し難きは怒なり。怒る時は、かねての計略をもかきみだされて、必ず敵を侮り、すまじき合戦をもするものなれば、是又(5)方略の一つなり。
(1) 懲忿窒慾: 易経の損(䷨) に「象曰、山下有沢損、君子懲忿窒慾、 xiàng yuē 、 shān xià yoǔ zé sŭn 、 jūn zǐ chéng fèn zhì yù 、 山の下に沢あるは損なり、君子 忿 ( ふん ) ( ) め、欲を ( ふさ ) ぐ、」とある。
(2)  忿 ( ふん ) : いかる
(3)  ( ) め: 懲は止の意味
(4) さばかり: さほど
(5) 方略: はかりごと

 怒りを止め、欲をふさぐ二つだけを易経は身を修める道にあげていると言う。怒りに任せて道理を考えずに言ったりしたりしたことから大きな災いが来るし、多欲でいろいろと外のものをほしがり言ったりしたりしたことからも大きな災いが来る。怒りを止め、欲をふさぐだけでたくさんの災いが消失する。

 易経が怒と欲をなくすことを身を修めることにあげたということは、人間は怒と欲で失敗することが多いということである。人と争う時、自分は怒と欲をなくし、相手を怒らし、多欲にするようにすればまず勝てるのである。

 資本主義社会は利益をあげることを原動力として社会が動いている。利益をあげるには、自分のつくったものを人が買い消費してくれなければならない。それで資本主義社会はあらゆる手段を用いて人を多欲にしようとする。それで資本主義社会の人々は他の社会の人々に比べてはるかに多欲になっている。実際我々の社会では多欲が幸福をもたらすように思っている人が多い。多欲が不幸の源泉であることを知らない。

 されども尉繚子に、寛不可激而怒(kuān bù kĕ jī ér nù 寛なれば激し怒らすべからず) と云えり。生まれつき寛大なる人には、怒るべき様なることをすれども、曾て動ぜぬ人あり。諸葛孔明、司馬仲達と対陣せし時、仲達戦えば必ず孔明に破らるることを知りて、様々にすれども、 ( とりで ) を堅くして兵を出さず。其の時孔明、(1) 巾幗 ( きんかく ) と云うものを贈れり。女のかぶりものなり。臆病なること女の如し、(2)おのこごの気概はなきとて、仲達をあざけりたる意なり。されども仲達動ぜざりしかば、孔明も(3)せんかたなかりき。是又尉繚子の心なり。
(1)  巾幗 ( きんかく ) : 婦人の頭の飾り
(2) おのこご: 男子
(3) せんかたなし: なすべき方法がない

 怒ると理性の抑えがきかず戦争を始めることが多い。2001年9月11日の同時多発テロ事件でアメリカは多数の死傷者を出した。それにアメリカ国民は激怒した。怒りに任せて、冷静な判断を失い、アフガニスタン、イラクに対し戦争を始めた。これもこの類である。民主制は国民の選挙によって指導者を選ぶ制度だから、その時の世論が政府の意思決定に大きな影響力を持つ。国民は群集心理で一時の怒りに任せた行動を取りやすい。ドイツ国民がナチスを強く支持したのも、第一次世界大戦の敗戦で高額な賠償金を課せられた怒りが源になっている。民主制は安易に戦争を始めることが多い制度である。

28 卑而驕之、
beī ér jiāo zhī 、
( ひく ) くしてて之を驕らす、
 智勇ともにすぐれたる人も、慢心はあるものなれば、手前をひきさげて、殊の外にあがめ尊べば、必ず驕り生じて、油断するものなり。是を卑而驕之と云うなり。 ( ひく ) くすとは、吾を ( ひく ) くひきさげ、(1)向かいを敬い尊ぶことなり。越王 勾踐 ( こうせん ) の、呉王夫差を敬い、唐の高祖の李密を敬いたまえるなど、皆敵の心を驕らせて、油断させ、終にこれを退治せるなり。
(1) 向かい: むこう

29 佚而労之、
yì ér laó zhī
佚にして之を労す、
 佚するとは安逸なり。敵の上下安逸なれば、兵の力全くして、破れがたき国なり。然らば方便を以て是を(1)つからかすべし。
(1) つからかす: 疲れるようにする
 昔呉の公子光と云う大将、楚国を伐つべき謀を、(1) 伍員 ( ごうん ) に尋ねたりければ、伍員が謀にて、軍兵を三手に作り、二手をばかくしおき、一手の軍兵を以て、楚国の境へ働き入り、楚より是を打払わんとて、人数を出せば引き、敵引きたりとて、楚の軍兵引けば、又打ちて出て、楚又出れば其のまま引き、一年の内に七度まで(2)懸け合いたり。終りに楚国の疲れたるを見て、三手の軍兵一度に起こりて、是を破りしことなども、此の本文の意なり。
(1)  伍員 ( ごうん ) :  伍子胥 ( ごししょ ) のことである。
(2) 懸け合う: 「懸く」は「進んで攻める」こと。「懸け合う」で「進んで攻め合う」。

30 親而離之、
qìng ér lí zhī、
親しみて之を離す、
 親しむとは、君臣の間したしきをも、又隣国と親しきをも云うなり。皆てだてを以て、君臣の間をはなし、隣国の交わりをへだて、孤立の(1) ( せい ) として是を破ることなり。
(1)  ( せい ) : 軍勢

31 攻其無備、出其不意、
gōng qí wú bèi 、 chū qí bù yì
其の備え無きを攻め、其の不意に出ず、
 此の二句は、上の十二句の様々の方略は、皆この二句の意に帰するなり。本文の二つの其と云う字は、皆敵を指して云うなり。無備とは、用心なく油断したる所を云うなり。不意はおもわずと読みて、敵の思いかけぬ所を云うなり。敵の油断したる所をせむれば、敵これを禦ぐことあたわず、敵の思いかけぬ所より出れば、敵仰天して度を失うゆえ、戦わぬ前に勇気(1) ( くじ ) くるなり。総じて両人相戦わんに、或いは臥したる所を打ち、或いは後より切らば、何程の勇士なりとも、 ( たやす ) く弱兵に打たるべし。是愚かなる者も知ることにて、別に奥ふかき道理に非ず。百千万の兵を ( あつ ) めて、敵味方と分かれ、備を張り、陣を設け、国を争い城を抜くこと、両人相戦うと大小多寡の異あれども、其の道理(2)一般なり。故に太公望の詞にも、動莫神於不意、謀莫善于不識(dòng mò shén yú bù yì 、 moú mò shàn yú bù shí 動は不意より神なるは莫し、謀は不識より善きは莫し)と云えり。
(1)  ( くじ ) くるなり: 折くる+なり 下二段活用の動詞「折く」の連体形+助動詞「なり」の終止形。「折く」は「弱る」の意味。助動詞「なり」は動作、状態などについて説明し断定する。
(2) 一般: 同一

 太公望の「動は不意より神なるは莫し、謀は不識より善きは莫し」は味わい深い言葉である。このことは企業活動にも言えることである。その会社がどう動くか、その会社が何をしようとしているかはライバル会社に決して読まれてはならない。その会社のすることは、ライバル会社の考えもしない、度肝を抜くことでなければならない。会議の多い会社がある。多くの部署で頻回に会議を開き、多数意見に従って企業活動をする。多数の人が考えそうなことは、ライバル会社も読みやすい。人は似たものだから、大勢の意見はライバル会社も多くの人が考えることだからである。会社が多数意見で動くようになると、ライバル会社にとっての不意である動きができなくなる。その謀もライバル会社の知る所となる。会社は少数意見だが理に合ったものに従って動かなければならない。会社が会議の多数意見で動くようになると、その会社は早晩つぶれる。

32 此兵家之勝、不可先伝也、
cǐ bīng jiā zhī shèng 、 bù kĕ xiān chuán yĕ 、
此れ兵家の勝、 ( さき ) に伝うべからざるなり、
 これは上を結ぶ詞なり。兵家之勝とは兵家軍に勝つの妙用と云うことなり。先伝と云う伝の字は、(1)伝示(2) 伝泄 ( でんせつ ) と註して、云い述べることなり。
(1) 伝示: 伝え示す
(2)  伝泄 ( でんせつ ) : 伝えつげる
 此の一段は、上の計利以聴、乃為之勢、以佐其外と云うより、下の文を承けて、此の二句にて結ぶなり。始計一篇の文勢、前に五事七計にて、戦わぬさきに勝負を知ることを云いて、其の次に其の五事七計のつもりにて、勝利あるべきと目算せんに、主将も尤もと聴き入れたまいて、出陣に及ばば兵の勢と云うことをなして、かねて定めたる手当ての助けとして、全き勝を取るべきなり。然れども、其の兵の勢と云うは、そのかねて勝利あるべきと定めたる手あての上にちなんで、時に ( あた ) りて、千変万化の妙用をなし出すことなり。其のゆえは、兵はもと詭道なるによりて、其の仕形一定することなし。或いは能しても能わざる様に見せかけ、用いることをも用いぬ様に思わせ、遠国へ働くをば、近国と(1)云い習わし、近国へ働くをば、遠国と云いふらし、或いは利欲を以て引き出し、乱れぬ備をば、方便を以て是を乱し、実したる敵をば、油断せずして時節を見、ほこさき強き敵をば暫くさけて衰えるを待ち、或いは辱めて怒らせ、或いは敬いて驕りをつけ、ゆたかなるをば疲らかし、或いは一和するをば(2)へだへだになし、畢竟は敵の備なき油断の所より計を出してこれを挫くこと、是兵家の軍に勝つ妙術なれども、皆軍に臨んで変に応ずる上のことなれば、今出陣の前戦わぬ先に、云い述ぶべきに非ず。それゆえに軍に先だちて勝負を知るは、五時七計を以て定むることなりと云う意なり。この本文の伝と云うを、伝授の意に見る説もあり、これにても通ずるなり。
(1) 云い習わす: 言って慣れさせる
(2) へだへだ: まとまりのないさま。この本では「へたへた」と濁点のないものも見られる。

 「吾此を以て勝負を知る」と言い、「兵家の勝先に伝うべからず」と言う。一方で「これで勝負がわかる」と言い、一方で「勝は先にわからない」と言う。これは矛盾に見える。「先に伝うべからず」と言うのは、この戦いはこうして、ああして勝つと前もって具体的に戦術を言うことができないと言っているのである。なぜ具体的に戦術を言うことができないかと言うと、戦術は敵が利とすること、敵の動きに因りて立てるからである。敵が何を利とするか、敵がどう動くかは、相手がすることだから前もってわからない。それではなぜ勝敗がわかるかと言うと道、天、地、将、法を比べているからである。その将がどんな戦術を出すかは、相手に因るものだから前もってわからない。しかし将と将を比べてどちらの将が優れるかは、前の実戦歴を見ればいいからわかる。道、天、地、法も相手とこちらを比べることができる。つまり孫子はどちらが勝つかは前もってわかるが、どんな戦術で勝つかは前もってわからないと言っているのである。

33 夫未戦而廟算、勝者得算多也、未戦而廟算不勝者得算少也、多算勝、少算不勝、而況於無算乎、吾以此観之勝負見矣、
fú wèi zhàn ér miaò suàn 、 shèng zhě deǐ suàn duō yĕ 、 wèi zhàn ér miaò suàn bù shèng zhě deǐ suàn shǎo yĕ 、 duō suàn shèng 、 shǎo suàn bù shèng 、 ér kuàng yú wú suàn hū 、 wú yǐ cǐ guàn zhī shèng fù jiàn yǐ 、
夫れ未だ戦わずして 廟算 ( びょうさん ) するに、勝つ者は算を得ること多きなり、未だ戦わずして廟算するに、勝たざる者は算を得ること少きなり、算多きは勝ち、算少なきは勝たず、況んや算無きに於てをや、吾此を以て之を観て勝負見ゆ、
 此の段は、一篇の結語なり。夫は発語の詞にて、詞の端を更むる時置く詞なり。前に戦に臨み、兵の勢をなすことを云いたるによりて、 ( ここ ) に至りて一篇の主意に反り、語の端を更めて、又五事七計を説きて、一篇を結びたるなり。廟算と云うは、廟は墓のことには非ず、 宗廟 ( そうびょう ) とて先祖を祭る所なり。国王の宮殿の東の方にあり。総じて、軍は国の大事にて、其の国の存亡のかかるわけゆえ、軍を起こさんとする時は、国の老臣を宗廟へ集め、先祖の(1) 神主 ( しんしゅ ) の前にて、右の五事七計にて軍の勝負を目算するなり。是を廟算と云う。得算多少と云うは、右の五事七計にてめやすを立てて、(2) 算木 ( さんぎ ) を以て数をとり、敵にいくつ、味方にいくつと、目算するなり。其の時その算木の数を多く得たる方勝ち、少なく得たる方負くるなり。少なきさえ負くるを、まして況や五事七計の内に、一つもかなわずして、算木を一つも置くべき様なきをや。是を算なしと云う。滅亡すべきこと決定せりとなり。吾孫子この廟算を以て、合戦の勝負を観るに、其の勝負のさかい、明らかに見ゆるとなり。
(1)  神主 ( しんしゅ ) : 死者の官位、氏名を記し祠堂に安置する霊牌
(2)  算木 ( さんぎ ) : 易で占いに使う長さ約9センチメートルの正方柱体の木

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